狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

ひろゆき氏の辺野古「座り込み」ツイートから2ヶ月…今も活動家と左派マスコミが発狂し続けている件

2022-12-22 08:16:38 | マスコミ批判

 

 

 

ひろゆき氏の辺野古「座り込み」ツイートから2ヶ月…今も活動家と左派マスコミが発狂し続けている件

 

一番発狂しているのは沖縄タイムスの阿部岳記者。

ご愁傷さまです。

 

 

 

過去ブログの再掲です。

野嵩ゲートの惨状!

2013-02-25

 

お年寄りの活動家が連日たむろする普天間基地の野嵩ゲート。

今では全国的に有名スポットになりレンタカーでわざわざ見物に行く物好きな観光客もいると聞く。

見物に行くなら土日は避けたほうがいい。

老活動家のほとんどが沖教組OBや自治労OBでで生活に困らない恵まれた面々。 現役時代の週休二日が身にしみているので、野嵩ゲートの抗議活動も週休二日。

土日はお役所並みに「抗議活動」も定休日。 行っても珍獣たちにお目にかかることは出来ない。

その一方、毎日の仕事に追われ日曜日しか活動できないボランティアグループが老活動家たちが汚した野嵩ゲート付近のクリーン作戦に打って出た。 

その結果報告がコメント欄にあるので改めて紹介する。

着色強調した部分には、目的のためには手段を選ばない「革命家」の残酷さを垣間見ることが出来、思わず戦慄した。

【2013-02-25 00:32:40 Fence Cleaning Project


本日午後1時より、野嵩ゲート集合後、清掃作業を開始しました。

参加人数は延べ20名、金曜の夜に汚損されたため、十分な告知が出来ていないのにも関わらず、多くの若者や親子連れがご参加いただきました。
プロ市民の皆さんは、除去作業の召集を困難にさせるために、金曜の夜にコトに及んだものと思われます。

最近は、赤いテープ代が底をついたのか、テープの幅を縮めて貼り付ける箇所を増やしているようです。
また驚くべき行為に及んでおります。

今回、子供の顔の高さに幾つもの大きな石がぶら下げられているのを発見、除去しました。
これは、清掃作業に参加する大人ではなく、子供の顔に直撃する危険性がありました。
また許されざることに、今回初めて除去作業に従事された女性が怪我をする事案が発生しております。
これは赤く巻きつけたテープの中に、割れたガラスの欠片を封入し、手で掴むと刺さるように細工されておりました。

他、鉄条網は今まで以上にきつく束ねられており、除去するにはいままで以上の細心の注意が必要となっております。

平和を訴える者たちが、自分たちと主張の違う者たちを傷つける罠を平気で仕掛けている現状を拝見しますと、この行為がもはや、平和を達成するための手段ではなく目的と化してしまっている感は否めません。

今回も警察、憲兵隊とは連絡を密にし、参加者の身の安全を第一に考え作業にあたったのですが、このような現実を目の当たりにし、誠に残念でなりません。

嬉しいこともございました。
今回の作業では、参加された方々から、お菓子や飲み物、医薬品の差し入れがございました。
子供たちは大喜びです。
そして作業を見ていた米軍関係者から、「アリガトウ」という言葉とともに、ミネラルウォーターとコーラの差し入れがあり、参加者の喉を潤しました。

そして何よりも、宜野湾市議会の呉屋議員が最初から最後まで作業に参加していただき、現状を把握していただいたことは、清掃作業の大きな前進となりました。
今後、この破廉恥な行為を止めさせるためにお力を貸していただくこととなっております。

後に、某新聞社に取材の申し入れをしていたのですが、現場には現れませんでした。
フェンスを汚すプロ市民のことは、まるで平和の使者のように奉り紙面に掲載するのですが、清掃作業に従事する真の一般市民の活動は、一切報道する気がないようです。
土日公休日お休みの平和活動家のお里が知れるがごとく、新聞社のスタンスも知れたものでございます。
まことに残念。

狼魔人様のご掲載と、参加して頂きました読者の皆様に主催者として心から感謝申し上げます。】
               ☆

宜野湾市の清掃作業に参加するのに、右も左もないはずだ。

が、宜野湾市議の呉屋等さんが、沖縄紙が黙殺する「不都合な真実」に参加された勇気ある行動には敬意を表したい。

何しろ沖縄で新聞と逆の行動をすると嫌がらせを受けると相場が決まっているからだ。

なお呉屋議員は先日名護市で行われた「辺野古容認派」の名護市民大会にも参加されている。 

「世界一危険な普天間基地」を引き受けてくれると言うのだから、宜野湾市民としては感謝こそしても「辺野古移設反対」などするはずはない。

呉屋議員が宜野湾市民の感謝を代弁して参加するのは当然のことで、むしろ佐喜真宜野湾市長も率先参加し、辺野古受け入れに謝意を表すべきだった。

だが、依然として沖縄紙の顔色を窺う佐喜真市長は、新聞が嫌がる集会に参加する勇気を持ち合わせていなかった。

一刻も早く 「オール沖縄」のトラウマから抜け出し、汚名を返上してほしいものである。

【追記】16:10

呉屋均議員が昨日のクリーン作戦に参加した様子を自身のブログでアップされたようです。

落書きはやめましょう!

 

タイで行われている多国間軍事演習コブラゴールド2013に参加していたアメリカ海兵隊の普天間基地所属ヘリコプター「CH-46シーナイト」が20日、タイ北部ピッサヌローク県プーヒン栄KLA国立公園の付近で緊急着陸し、乗員が脱出後に機体は炎上。複数の負傷者が出ています。

7 Marines hurt in Thailand helo mishap - Marine Times


เฝ้าซาก"Sea Knight"ตกภูหินร่องกล้า

事故の詳細はまだ不明ですが、現地報道ではエンジントラブルが発生し緊急着陸を試みたという情報が有ります。負傷者の一人は火傷が酷く重傷だとも報じられています。

なお事故機のCH-46シーナイトが所属する普天間基地の第262中型ヘリコプター飛行隊(HMM-262)は今年の夏に機材と人員を入れ替えて、MV-22オスプレイを装備する第262中型ティルトローター飛行隊(VMM-262)として再発足する予定です。

      ☆
 
 
 
普天間基地配備のCH46ヘリは製造後半世紀近くも経過した賞味期限切れの旧型機なので、事故をの可能性が高く、それを最新鋭機に更新しようと言うのが「オスプレイの沖縄配備」である。
 
そのオスプレイからペットボトルが落ちた事故を、まるで墜落の大惨事が起きたように騒ぎ立て、一面、社会面トップで「恐怖」を煽り立てた沖縄タイムス。

オスプレイに限らずヘリコプターから物が落ちるのは、普段から頻繁に起きいるが、だからと言ってその機種に対する反対運動が起きたことは過分にして知らない。

頻発するヘリ落下物事故

■富士重工、試験飛行中にヘリから窓落下 栃木で(2012/1/25)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2503Q_V20C12A1CC1000/

■奈良上空400M、警察ヘリから携帯電話落下(2012/8/9)
http://www.sanspo.com/geino/news/20120810/tro12081005030003-n1.html

■ヘリからペットボトル落下 横田基地所属、訓練中に(2008/07/14)
http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008071401000666.html

その一方で、従来型のCH46ヘリが墜落炎上し、7人の米海兵隊が大怪我を負ったというにこの事故に対する沖縄タイムスの反応は、共同記事をそのまま掲載しただけで、通常なら誇大に報じられる「恐怖で夜も眠られない」などの県民の声は一切報道していない。

賞味期限が切れ危険なヘリはオスプレイと代替のCH46型ヘリだから県民には知られたくないのだろう。

             ☆

最近元外交官の孫崎亨氏が22日、那覇市で講演会を催した。 会費が1000円程度なら参加しようと思ったのだが、当日件が2500円もするというので参加を諦めた。

孫崎氏の外交関連の主張は、日本の政府方針には反旗を翻し、常に中国の主張を代弁するため「日本には物にわかる元外交官」と、中国にとっては極めて評価が高い人物である。

したがって、沖縄2紙や沖縄のプロ市民の間では人気が有るのは佐藤優しと双璧である。

孫崎享さんに聞いた(その1)
 
日中領土問題で得をしたのは誰なのか?
 
孫崎享さんの近著『戦後史の正体』は、日本の戦後史を対米関係の観点から読み解く、衝撃的な内容でした。領土をめぐって日中・日韓関係が緊張し、一方、沖縄や岩国では、反対の声が高まる中でオスプレイ配備が強行。こうした状況は、どんな背景から生まれてきているのか。じっくりとお話を伺いました。
 

まごさき・うける
1943年生まれ。1966年東京大学法学部中退、外務省入省。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て、2009年まで防衛大学校教授。今年7月に上梓した『戦後史の正体』(創元社)が話題になり、20万部を超えるベストセラーに。ツイッター(@magosaki_ukeru)では約5万人のフォロワーを持つ。『日米同盟の正体―迷走する安全保障』 (講談社現代新書)、『日本の国境問題―尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)、『不愉快な現実―中国の大国化、米国の戦略転換』(講談社現代新書)など著書多数。
 


領土問題もオスプレイも全て関連している
 
編集部

 尖閣諸島や竹島などの領土問題、オスプレイの配備に象徴される日米問題など、今、日本の政治はコントロール機能を失っていると感じます。こうした一連の動きは、全て関係し合っているのでしょうか? 
 
孫崎

 そうですね。なぜこのような事態になったかを理解するために、まず尖閣諸島のことから話しましょう。尖閣問題は、捉え方に2つの路線があります。「日本固有の領土であるから、断固として領有権を確保しようとする道」と「お互いが領有権を主張しているから、紛争にならないようにどうするか考える道」です。
  今、日本国民のほとんどが前者の捉え方をしています。尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際的に何の問題もなく、中国がいちゃもんをつけてきている、ということです。しかし、実は領土問題の"土台"となる事実を知っている人はほとんどいません。
 
編集部

 領土問題への関心は高いけれども、領土問題をめぐる史実や国際条約については、知りませんね。

孫崎

 戦後史を見ていく上で、一番大切なのは、ポツダム宣言なんです。1945年8月、日本が受諾したポツダム宣言の第8条には"「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ"と書かれています。つまりカイロ宣言(1943年)の履行を求めているわけです。
  では、カイロ宣言にはどう書かれているかというと、"日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト"とあります。日本が中国から奪った領土を全て返還しなさいということです。日本が尖閣諸島を併合したのは1895年でカイロ宣言より前ですから、本来、返還しなければならない可能性があります。
 
編集部

 そうなりますね。

孫崎

 同時に、ポツダム宣言で連合国側が求めているのは、「本州、北海道、九州、四国は日本のものだけど、その他の島々は我々が決定する諸小島に極限せられる」ということです。連合国側が決定していないものは日本の領土ではないことになりますが、アメリカは領有権問題について中立の姿勢で、日本側・中国側のどちらにもつかないと言っています。したがって、尖閣諸島が絶対に日本のものと言えるかどうかが、かなり危ないんですよ。
 
編集部

 そうした史実を土台にすると、先ほどおっしゃった2つの路線が問題になるのですね。

孫崎

 断固として領有権を守る道か、紛争にならないように考える道のどちらかですね。後者に関しては、いわゆる「棚上げ論」になるわけですが、「棚上げ」が持つ意味合いを理解するためには、中ソ国境紛争(1969年3月、国境にあるウスリー川の小島の領有権を巡って起こった大規模な軍事衝突)を知る必要があります。紛争が起きてすぐ、両国とも30〜40人の死者がでましたが、その後、エスカレートして場合によっては核戦争も辞さないとすら言われました。しかし、その状況のなか「川の上の島のことで戦争をするのが、中ソ双方にプラスなのか?」という話になっていきます。
 
 そもそもこの紛争が起こったのには、同じ年に、中国の内政で非常に重要な動きがあったことが関係しています。1969年4月に、中国国防大臣の林彪は、毛沢東国家主席の後継者に指名されました。つまり、中ソ国境紛争を起こしたことが、林彪にとって政治的にプラスになった。紛争などが起これば、国防大臣はやはり重要だということになりますから。いわば、意識的につくられた紛争だったのです。
  しかし、その状況に危機感を抱いた周恩来首相はソ連のコスイギン首相と会談し、「当面、この問題は棚上げにしよう」と同意しました。その知恵が、1972年の日中国交正常化の際、田中角栄首相と周恩来首相との会談でも用いられたのです。
  このとき、周恩来首相は、「小異を残して大同につく」と言って、尖閣問題を棚上げしました。さらに、1978年の日中平和友好条約の制定時にも、小平副首相が「我々の世代に解決の知恵がない問題は次世代で」と語り、尖閣問題は再び棚上げされています。
  つまり、棚上げ論というのはある領土をお互いが「自分のものだ」と言っている状況で、いかに紛争にまでならないようにするかという、そのために出てきた知恵なんですね。

               ☆

尖閣問題に関する孫崎氏の主張は、中国との戦争を避けるなら周恩来首相の言葉に従って棚上げにせよ、という「棚上げ論」である。

元エリート外務官僚が条約等を列挙し、力説するとなんとなくその気にさせられるが、良く検証すると孫崎氏の「棚上げ論」はほころびだらけで、これに反論するのは容易であるが、これについて別の機会に論じたい。

こんな男の講演会に2500円も払うのは勿体無いと参加しなかった筆者の考えは正解でった。

 【おまけ】

県民と米兵が対立する報道は針小棒大に報道し、米兵と県民の友情については必死で隠蔽する沖縄紙。

やはり地元のニュースを全国紙で知るという異常な状況だ。

【探訪 防人の風景】

沖縄の米海兵隊ルポ 模索続く“フェンス越し”の友情

2013.2.24 08:19
視界を遮るゴーグルを着用し、海に墜落した航空機からの脱出訓練。報道関係者に公開したのは初めてという=キャンプ・ハンセン

視界を遮るゴーグルを着用し、海に墜落した航空機からの脱出訓練。報道関係者に公開したのは初めてという=キャンプ・ハンセン

 沖縄県内6カ所の基地に約8千人が駐留し、厳しい訓練を続けている米海兵隊。このうち、キャンプ・ハンセンとキャンプ・フォスターで隊員の日常を取材、“フェンスの向こうの素顔”に迫った。

 海兵隊は有事の際、最前線へ赴く精鋭部隊。東日本大震災では、いち早く被災地入りして復興支援活動を行い脚光を浴びた。しかし、最近は隊員が起こした事件がクローズアップされ厳しい視線にさらされてもいる。

 「米海兵隊は日本を守る使命感を持って沖縄にいる」。イラク展開の先遣隊で派遣された経験を持つドラフトン1等軍曹(34)は強調した。ホワイト伍長(24)は「日本は大好きな国。地域の人とも交流したいが、私たちの存在が理解されない部分があるのは残念…」と複雑な心境を語った。

 沖縄に米海兵隊が駐留することで、日本の周辺国に対する抑止力になっている側面もある。基地では海に墜落した航空機からの脱出訓練や、作戦地域でのシミュレーションなど実践的な訓練が欠かせない。

 その一方で、新任の若い隊員らには沖縄の歴史や日本文化の講義を実施。さらに、日々の暮らしに直結する左側通行の運転訓練や日本人のマナー講習なども行っていた。(写真報道局 鈴木健児)

 

 「探訪」の動画は、「産経フォト」photo.sankei.jp.msn.comまたは「YouTube」産経新聞チャンネルでご覧になれます。

このニュースの写真

100キロを超えるタイヤを持ち上げる訓練をするホワイト伍長。どんな環境でも体を鍛えるのが海兵隊の流儀という=キャンプ・フォスター
教育棟では「日本文化や沖縄を理解するための講習」も行われている=キャンプ・ハンセン
世界中のあらゆる状況に対応できる最新鋭のガスマスク。実戦準備は常に整っている=キャンプ・フォスター
基地内には沖縄の地図のパネルが掲げられている=キャンプ・ハンセン

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コメント (2)

■ひろゆき氏と上原正稔氏、パンドラの箱を開けた二人の奇人

2022-12-21 08:28:39 | マスコミ批判

 

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ひろゆき氏と上原正稔氏、パンドラの箱を開けた二人の奇人

出版予定の『沖縄「集団自決」の大ウソ』(仮題)の締め括りに「あとがき」を書き始めようとした矢先、突然降って湧いたようにネット上で論争が沸騰し「沖縄のタブー」に風穴が開いた。

「沖縄のタブー」とは、沖縄米軍基地問題だ。

世代は違うがひろゆき氏と上原正稔氏という異界(魔界)に住む二人の奇人を同時に知る者少数派だと思う。だが、それはここでは深く立ち入らない。

とにかくひろゆき氏の発言が飛び交うネット界と地上波テレビの話題とはまるで別世界である。

沖縄タイムスの記事によると、事の発端はこうだ。

≪沖縄タイムス 2022106

インターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)氏が3、4の両日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前を訪れた。「新基地断念まで 座り込み抗議 3011日」と記す掲示板を「0日にした方がよくない?」などとツイートし、市民が反発している。(編集委員・阿部

 ひろゆき氏はユーチューバーとしても活動し、影響力のある著名人として知られる。3日に辺野古を訪れ、「誰も居なかった」と投稿した。訪問は、抗議行動が終わった夕方だったとみられる。≫

 

■ひろゆき氏の正論「ウソはいけません」

ひろゆき氏が12月3、4日の両日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前を訪れた際、反基地活動家がおらず、ツイッターに「誰もいなかった」と書き込み、「新基地断念まで座り込み抗議3011日」と記す掲示板について「0日にした方がよくない?」とツッコミを入れた。

ひろゆき氏の言動を沖縄タイムスも大きく取り上げ、ひろゆき氏の「事実陳列」に対し、謝罪と撤回を求めている。だが、ひろゆき氏の「ウソはいけません」発言謝罪や撤回はあり得ない。

筆者も県外の知人を案内して問題の座り込み現場に行ったことがあるが、週末には誰もいないことが多い。 行く前に想像していた「座り込み」と現場の景色と全く違うのだ。

これまで「沖縄米軍基地問題」をタブー化してきた沖縄メディアの総反撃にあったひろゆき氏のネット反響はすさまじい。座り込み抗議看板の写真付きの投稿は三日後の9日の時点で約3万7千人がリツイートし、約28万3千人が「いいね」を押している。「本当のことを言って何が問題なのか」など、ひろゆき氏に共感する書き込みが大半を占めている。

ひろゆき氏が辺野古を訪れて書き込んだことがきっかけで、ゲート前で実際は何が行われているのかが、多くの国民に知れ渡った。ひろゆき氏が沖縄ではタブー化されていたパンドラの箱をこじ開けた結果となった。

ひろゆき氏の「事実陳列」問題を、「子どもの喧嘩」(北村晴男弁護士)とか、「くだらん」「めんどくせー」(ほりえもん)などと矮小化し、自分はひろゆき氏より沖縄問題に詳しいと言ったマウント取りする知識人がいるが、ら知識人が言いたくても言えなかっ沖縄のタブーだ。反日活動家を擁護するために「ウソはいけません」というだけの話であり、「子どもの喧嘩」どころか県民栄誉賞の価値がある。

「沖縄のタブー」に挑戦した先駆者・小林よしのり氏

今から約20年程前、漫画家小林よしのり氏が「集団自決と基地問題」という「沖縄のタブー」に挑戦したが、沖縄2紙に徹底的に叩かれた。 

小林氏曰く「沖縄戦における集団自決で『軍命は無かった』という意見を、沖縄県民が友人・知人の前で言える雰囲気にはない。自衛隊基地への小学生の見学ですら、新聞で批判される風土はずっと続いている」(『日本のタブー2』小学館)。 

当時は現在のようにネットは普及しておらず、新聞等旧メディア全盛の時代。小林氏の挑戦は早過ぎたようだったが、小林氏は漫画という斬新な手法で「沖縄のタブー」に風穴を開けた先駆者として心に刻むべきである。

■沖縄タイムス―「新聞社が嘘を書くはずがない」お得意の印象操作

デタラメ記事満載の『鉄の暴風』を出版して、梅澤・赤松両隊長に「自決命令を出した残虐非道な日本軍」という濡れ衣を着せた沖縄タイムスの太田良博記者は、作家曽野綾子氏との討論で、現地取材もせず伝聞と噂のみで書いたと批判され、「新聞社が嘘を書くはずがない」などと開き直り、曽野氏に「素人の戯言」と一刀両断された。太田良博記者の後輩である阿部岳記者は、沖縄問題をタブー化させウソの付き放題で、記者の特権を使って他県の識者の批判を排除してきた。今回ひろゆき氏が、「嘘はダメよ」の発言に発狂した阿部記者。論点をすり替えて「沖縄差別」などと、応戦したが負け犬の遠吠えは誰の目にも明らかだ。ひろゆき氏の速射砲のような弁舌に対し「構造的沖縄差別」などと論点ずらしの本土側左翼も参戦する有様だ。玉城デニー知事までもひろゆき氏の「事実陳列罪」に反応したが、問題は「嘘をつく活動家を支援してはいけない」と極めて単純である。

■創造的破壊

ひろゆき氏は、沖縄メディアの総攻撃にすべて反論し、「それって、あなたの感想ですよね」「正解を見せても間違う人」「言っちゃいけないことは正しい」など数々の名言を残した。
中でも一つだけ最も重要と思われる「名言」はこれだ。


「沖縄戦で米軍に虐殺された沖縄県民より、集団自決で日本軍に殺された県民の方が多い」と何かの本で読んだ。≫


勿論これは、ひろゆき氏の事実誤認であり、事実は米軍が沖縄県民を虐殺した数が集団自決による死亡者より圧倒的に多い。だがこの事実誤認の重要な点は何かの本で読んだという部分である。


つまり、ひろゆき氏が沖縄戦を勉強しようと沖縄戦関連の本に目を通すと沖縄タイムス編著『鉄の暴風』やその引用本に行きつく。そしてその内容は「人道的な米軍」と「残虐非道な日本軍」という沖縄タイムスの印象操作の影響を受ける。
結果的にひろゆき氏をして「沖縄戦で米軍に虐殺された沖縄県民より、集団自決で日本軍に殺された県民の方が多い、と何かの本で読んだ」と「事実誤認」を言わしめるのだ。

仮にひろゆき氏が間違いを承知で、罠を仕掛けているとしたら正にこれこそ創造的破壊だろう。創造的破壊は同時に古い非効率的な方法(オールドメディア→沖縄新聞ら)は駆逐し、一連の新陳代謝を促す。

ひろゆき氏はタブー化された「沖縄米軍基地」というパンドラの箱をこじ開け、 反基地活動家の実態を洗いざらい全国に晒してしまった。

■藪を突いたら百鬼続出

最も過敏に反応しているのが沖縄サヨクメディアで、琉球新報はあの暴力男・山城博治を登場させ反論させているが、山城博治自身が沖縄防衛局職員に暴行を加えた事件を起こして逮捕され、有罪判決が確定しているのだから、配慮もへったくれもない。同じような防衛局職員への暴行もTwitterで拡散されており、反基地活動家の実態が共有されつつあるのは、むしろ良いことだろう。

どうやらひろゆき氏は、藪ヘビでパンドラの箱を開けてしまったようである。


■パンドラ訴訟/沖縄のタブーに挑戦した上原正稔

もう一人の奇人上原正稔氏は琉球新報で、沖縄戦に関する連載「パンドラの箱を開ける時」を執筆していたが、最終回の慶良間諸島の集団自決の真相に迫る箇所について、琉球新報から「自社の方針と違う」と批判されて書き直しを求められた。上原氏はそれを拒否して088月に連載を打ち切り、最終回も掲載されなかった。上原氏はこの件について裁判を起こし、729日、5年越しに福岡高裁那覇支部は原告の請求を棄却した一審判決(那覇地裁)を覆し、琉球新報社の契約違反を認め、1054千円の支払いを命じた。

二人の奇人上原正稔氏とひろゆき氏は約4半世紀の時間差を置いてパンドラの箱をこじ開け沖縄のタブーに挑戦した。

上原氏は裁判を通じ

ひろゆき氏はネットを通じて。

だが、裁判による告発は、メディアの「報道しない自由」により県民の記憶から消え去った。

上原正稔氏の裁判による告発「パンドラ訴訟」の高裁判決が下った翌30日、被告の琉球新報は、「判決文を詳しく読んで今後の対応を検討したい」とベタ記事で報じたが、 これを読んだ者は、ほとんどいない。

いや、たとえ読んだとしても、記事には肝心な事実が欠落しているので裁判の意味を理解した読者はほとんどいないだろう。 この裁判が、地元のドキュメンタリー作家が書いた「沖縄戦の真相」の記事を、琉球新報が言論封殺したという重大な意味については全く触れていない。

その時の記事を再度引用する。

結局この訴訟は被告琉球新報が上告を断念し、琉球新報の敗訴が確定するのだが、琉球新報は敗訴確定を報道しなかった。

■マッカーサーの怨念を打ち砕いたひろゆき氏

もう一人の奇人ひろゆき氏のネットによる告発は、沖縄タイムスが反撃すればするほど返り討ちに会い、今ではその長年受け継いできた「残忍非道の日本軍」という沖縄タイムス史観の屋台骨に亀裂が入った現状である。

沖縄分断を目論んだマッカーサーも昨今のインターネットの普及は予想できなかっただろうし、ひろゆき氏の様に「ふざけ?」ながら、沖縄のタブーに風穴を書ける奇人の出現など想定外だっただろう。いずれにせよ、一人もいない「座り込み抗議」は、常人から嗤い飛ばされて当然だ。

今回の件は沖縄の現状、実情が拡散したので沖縄の反基地活動の実態やそれに関連して「沖縄戦の実態」が、白日の下に晒されたのは歓迎すべきである。これを機に、「リモート座り込み」や「1日1秒でも座れば座り込み」という荒唐無稽なものも含め、彼らの大嘘を洗いざらい晒し、同時にマッカーサーの怨念木っ端みじんに打ち砕いてしまった

『鉄の暴風』の軍命論

最後にの「軍命論」について、ひろゆき氏の言葉を借りて、『鉄の暴風』に止めを刺しておこう。

軍命?

それってあなたの感想ですよね

嘘つくのやめてもらっていいですか?

 

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コメント (1)

ひろゆき氏、沖縄をあざ笑うなと批判する毎日新聞記事に反論「変な反対活動を指摘するとなぜ沖縄全体 あざ笑う事になるのだろう」

2022-12-21 07:05:39 | マスコミ批判

 

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ひろゆき氏、沖縄をあざ笑うなと批判する毎日新聞記事に反論「変な反対活動を指摘するとなぜ沖縄全体をあざ笑う事になるのだろう」

New's

YouTube:ひろゆき,hiroyuki より

ネット掲示板「2ちゃんねる」開設者で実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏(46)が20日に自身のツイッターを更新。「沖縄をあざ笑うひろゆき氏 冷笑の裏にある植民地主義」と題して配信された毎日新聞の記事を引用して私見を述べた。

ひろゆき氏が引用した記事では、沖縄・辺野古の座り込みを揶揄するひろゆき氏のツイートは、日本にとって沖縄があざ笑う対象であることを沖縄に再認識させたとし、沖縄はたたいても大丈夫な対象で、沖縄をあざ笑うことで評価される一定の客層がいるということ、ひろゆき氏のツイートが実際に何十万といういいねをたたき出すことを沖縄は見せつけられたと伝えている。

また、沖縄をあざ笑うことができるのは、沖縄を他者化できるからだとし、沖縄に基地が集中している現状は、沖縄にいれば毎日目の当たりにするからひしひしとわかるが、日本に住む多くの人にとってはそれは沖縄の問題であって他人の問題になっている。自分たちは当事者ではないと振る舞えることが前提になっているとしている。

ひろゆき氏はこの記事を引用して「平日に15分座るのを3回、雨や雪だと休みなのに『座り込み』が継続してるかのように書くのは間違いじゃない?という指摘がどうしても沖縄を笑うことになるのかわからないです。」と指摘したうえで、「変な反対活動を指摘するとなぜ沖縄全体をあざ笑う事になるのだろう。沖縄には、変な活動家しか住んでないのかな?」と持論を展開した。

この投稿にコメント欄には「どうして新聞は事実を報道しないのかな!?私は、ひろゆきさんに感謝してる。本当のことを報道していただいたので今までのモヤモヤがスッキリしましたー!」「沖縄じゃなぜか容認されてる感じになってるけどあの座り込みって道交法違反と威力業務妨害なんですけどね。なぜか容認されてる感じになってるけど」「ひろゆきさんのお陰でメディアが公平中立ではなく自分達の意向に合わせて湾曲したニュースを流す機関であることが鮮明になりました」「必要以上に騒ぐ事で誰にも触れられない聖域と化す事を狙っているのでしょうが、この現代においてそれは通用しないって事をこのお年寄り達は理解していません…」など、さまざまな意見が寄せられていた

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売国奴、大江健三郎の正体

2022-12-20 10:31:49 | 資料保管庫
 

 

 

北朝鮮は、大江健三郎氏にかつてどのように語られたか

 



二十歳の日本人「厳粛な綱渡り」( 文藝春秋刊・昭和四十年 )

 北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。

日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない。

大江健三郎「わがテレビ体験」( 「群像」昭和36年3月 )

結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。



■ 北朝鮮の惨状を大江氏はどう考えているのか? ■

 
北朝鮮の惨状について、大江健三郎はどう考えているのだろうか。大江健三郎が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違ったのか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをしないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような過ちを繰り返すのみである。

 また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。
■ 「帰るべき朝鮮がない」大江健三郎 ■

 新婚初夜に新妻を放り出して金日成に恋慕していた大江健三郎。
 現在の北朝鮮の飢餓地獄しか知らない若い人々には、「自分には帰るべき朝鮮がない」と嘆く大江健三郎の感慨は、想像を絶する。かつて共産主義を理想とする人々の間では、北朝鮮がさかんに「地上の楽園」として宣伝されていた時期があった。
 現在でもアメリカやフランスに憧れている人はいるが、大江健三郎のように「日本人であることを後悔する人」(ノーベル賞授賞式演説)はいない。

 

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 ■「潜在主権」と「天皇メッセージ」

2022-12-19 17:22:44 | ★原稿
 

 

 ■「潜在主権」と「天皇メッセージ」

大田海軍中将の電文や関係者の努力だけで法治に厳しい日本の官僚機構である厚生省が、違法とも取れる拡大解釈までして沖縄住民に援護法の適用をした理由は解明できない。


ここで忘れてはならないのが沖縄の「潜在主権」にこだわった昭和天皇による「天皇メッセージ」の存在である。

もとより1979年にその存在が公表された「天皇メッセージ」を、1950年当時の関係者が知るはずもなかった。

 ただ昭和天皇が大田少将の電文を読んだ可能性は充分考えられる。理由は昭和天皇が20歳の皇太子時代、ヨーロッパ旅行時の船旅の第一歩を印されたのが沖縄であり、その沖縄が米軍の銃弾に蹂躙されたことを大田少将の電文で知り心を痛めたことも想像に難くないからだ。

人間誰しも多感な青春時代に訪れた土地の想い出が深く心に刻まれるもの。ましてや長いヨーロッパ旅行の船旅のお召し艦の艦長が沖縄出身の漢那憲輪和少将とあれば、皇太子時代の昭和天皇が船旅の最初に上陸した沖縄のことを特に身近な土地と考えてもおかしくはない。

裕仁親王は沖縄訪問を大変喜ばれ、外遊の日を記念して、毎年三月三日、艦長の漢那少将を始め関係者を宮中に招いて午餐会を催したという。

お召し艦「香取」が宮古列島沖を航行中、艦の甲板上に飛び魚が躍り込んできた。それから46年後の67(昭和42)年、宮中新年歌会始で、昭和天皇は皇太子時代沖縄で見た飛び魚を回想し和歌を詠まれた。

「わが船にとびあがりこし飛魚をさきはひとしき海を航きつつ」(「さきはひ」は幸いの意味) 

昭和天皇は青春時代に訪問された沖縄のことをしっかり心に刻んでおられ46年の時の経過を乗り越え青春時代の想い出を和歌に詠まれたのだ。御製碑は宮古神社に建立されている。

皇太子(裕仁親王)の沖縄訪問時、特筆すべきエピソードがある。最近の沖縄ブームで、沖縄ソバやゴーヤーチャンプルーなどが全国区になったが、それでも「エラブ海蛇」を食する人は極めて少ない。

 裕仁親王は沖縄県民でさえ好き嫌いの激しい沖縄特産の「エラブ海蛇」に興味を示され、漢那艦長に食べてみたいと所望された。

 艦長は急遽、「エラブ海蛇」を取り寄せて食卓に供した。裕仁親王は「たいへんおいしかった」と漢那艦長に告げている。

ここまで縷々と青春時代の昭和天皇と沖縄の関係について書いたのは、終戦直後の1947年の時点で、昭和天皇が当時既に米軍統治下にあった沖縄の将来について思いを馳せ、「臣吉田」と自称するほど昭和天皇を敬愛していた吉田茂首相を通じ、何らかの影響を厚生省に及ぼしていた事実を明らかにしたいからだ。 

吉田茂とダレスの熾烈な戦い/肉を切らせて骨を断つ

米軍は沖縄を「信託統治」により、将来は米国の自治領にしようと目論んでいた。 

昭和天皇は米国に対し「天皇メッセージ」と言う形で、次の4点を認めさせた。

(1)沖縄住民の主権の確保、「潜在主権」

(2)沖縄の分離ではなく期限付き租借、

(3)本土と同じ教育制度の継続(文部省教科書の使用)、

(4)本土と沖縄の経済関係の維持(援護法の優先的適用など)、を米国側に認めさせた。

これは紛れもない歴史の事実だ。

昭和天皇を敬愛していた吉田茂首相は、1951年の講和条約締結にあたり、米国務省顧問のアレン・ダレスと丁々発止の外交交渉をしたことが外交文書の公開で明らかになっている。

戦勝国の権威をバックに、自国の権益を要求するダレスに対し、まだ独立もままならぬ敗戦国の首相がどのような秘策で対応したのか。



吉田首相とダレスの交渉の前哨戦は、それに先立つマッカーサーと昭和天皇との「外交交渉」によって大方の下地は出来上がっていた。

 昭和天皇は、マッカーサーの6年間の在任中に11回も会談を持っている事実から、終戦直後のこの時期に「君臨すれども統治せず」という自身の信念を破って「天皇親政」による外交交渉を行っていたことがわかる。

 その期間に沖縄の将来を慮る「天皇メッセージ」が寺崎御用係を通じてワシントンに伝わった。

吉田首相は、昭和天皇の意を受け「潜在主権」という切り札を根拠に、骨を切らせて肉を断つ覚悟で、沖縄に関する上記の「本土と同じ教育制度の継続(文部省教科書の使用)」「本土と沖縄の経済関係の維持(援護法の優先的適用)など」、を米国側に認めさせた。

天皇メッセージとは何か

そもそも「天皇メッセージ」とは何か。 1979年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が米国の公文書館から「マッカーサー元帥のための覚書」を発掘し、雑誌『世界』で発表したものを「天皇メッセージといいう。 

同覚書には、宮内府御用掛かり寺崎英成がGHQ政府顧問ウイリアム・シーボルトを訪れ、天皇からのメッセージを伝えたと記されている。

これがいわゆる「天皇メッセージ」とされるもので、概略こう述べられている。

「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本が主権を残したままの長期租借ー25年ないし50年、あるいはそれ以上ーの擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」

沖縄に流布する大きな誤解の一つだが、沖縄保守系にも「天皇メッセージ」とは昭和天皇が自身の延命のため「沖縄をアメリカに売り渡す」と書いた文書が米公文書館から発見された、と誤解する人が多い。

 だが、実際は「天皇の密書」が存在するわけではない。寺崎が昭和天皇の会話の中から沖縄についての陛下の「思い」を斟酌してシーボルトに伝え、それがシーボルトの手紙という形でワシントンに伝えられたのだ。

「天皇メッセージ」の重要ポイントは昭和天皇が、沖縄に「潜在主権」を強く望んだこと。つまり日本の主権を残したまま米国に統治を委任すること希望したことだが、これを親子の場合で言えば、次のように例えることができる。

破産状態で子(沖縄)を育てる経済力のない親(日本)が金持ち(米国)に、戸籍はそのまま残して一時里子に出したようなものであり、戸籍を移籍する養子縁組(米国領にすること)とは根本的に異なる。

当時戦勝国のリーダーであり世界一の経済力を誇る米国の統治下にあった沖縄では、食糧不足で喘ぐ祖国日本では食すること出来ない米国産の豊富な食料供給の恩恵に浴した。

 その名残の一つがランチョンミート(スパム)文化であり、戦前の沖縄にはなかったビーフステーキやハンバーガーなど現在も続く牛肉文化の繁栄である。

                    ◇

大江岩波訴訟は2005年に提訴されるが、2005年の時点で軍命派の先頭に立つ沖縄タイムスは未だ提訴の情報を得ていない。したがって「援護法のカラクリ」似ついて解説した当時の記事がオウンゴールになるとは夢にも思わなかったのだろう。 援護法の概略を知る参考になるので、古い沖縄タイムスの記事を引用する。

<沖縄タイムス 2005年3月4日 朝刊30面>

[戦闘参加者とは誰か](6)
申請
「救えるものは救おう」
役場職員も事務研究

 一九五七年、厚生省は、沖縄戦で亡くなった一般住民のどのような行動が「戦闘協力者」として、該当するかを調査した。その後、実際の受け付け業務は、琉球政府から委託され、各市町村役所が担当した。

 申請の過程でも、援護法が「軍への協力」を前提としていたため、そのことが、強調されていくこととなった。

 長嶺秋子さん(70)=糸満市=は五三年、兼城村役場(当時)の初代の援護係に着任し、その後八年間担当した。

 援護法の申請手続きは、兵隊や現地召集の防衛隊など軍人軍属が先だった。

 「軍人の場合は、政府から一次名簿というのが届いていた。しかし、戸籍がなく、仮戸籍で受け付けた。防衛隊の場合は名簿もないので、各字を回って、誰が隊員なのかを申告してもらった」

 地域の公民館に机を置き、住民が申請に来るのを待った。「援護金の支給があると言っても、なかなか信用してもらえなかった。『戦争のことは思い出したくない。辛いことを思い出すからやりたくない』。そんな声が聞こえてきた」と振り返る。

 その後に、一般住民が対象となる「戦闘参加者」の申請が続いた。

 申請には、戦没者氏名、生年月日、死亡月日、死亡場所に加え、どのようにして亡くなったかを記した「戦闘参加概況書」を添付する必要があった。

 職員は、概況書を基に、「戦闘参加者」の基準となる二十項目、「義勇隊」「直接戦闘」「弾薬運搬」「戦闘協力者」などの、どれに当たるのかを判断した。

 申請は、琉球政府を通して、厚生省援護局未帰還調査部に送付。厚生省は、添付資料を基に、「戦闘参加者」に「該当」するのか、否かの審査をした。その結果を「戦闘参加該当予定者名簿」として、市町村に送り返され、該当遺族に通知が送られた。

 厚生省へ送付される「戦闘参加概況書」では、住民が協力した、軍隊の部隊名も特定する必要があった。住民の立場からすると、混乱した戦場での正確な記憶が求められるのは、土台無理な話だった。しかし、書類はそれを要求していた。

 結局、申請を受け付けた役場職員が、日本軍の作戦状況を把握して、日時場所から、部隊名を記入することもあった。

 市町村の援護課職員は事務研究の連絡会をつくり「戦闘概況」について、どう記せばいいのかを検討し、連携したという。長嶺さんは「琉球政府の方針も、沖縄は復帰できるかも分からない、援助できるものは援助しようということでした」と振り返る。

 同村役場三代目の援護課担当だった大城美根子さん(62)は六五年に着任。当時の業務は、「戦闘参加該当予定者名簿」の中から、「『非該当』の人を『該当』となるように救うことだった」と振り返る。「沖縄戦で亡くなった人たちが、救えないのはおかしい。亡くなった人たちは、皆『戦闘協力者』だと思っています」と語る。(社会部・謝花直美)

 

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覆された集団自決の大嘘!「援護法」に隠された沖縄戦の真実

2022-12-19 13:19:50 | ★原稿
 

 


貶められた旧日本兵 「援護法」に隠された沖縄戦の真実
壕の提供/「軍の命令」記入で援護対象に

 昭和31年(1956年)、戦闘参加者の範囲を決定するため、厚生省援護課の職員らが沖縄に派遣され、沖縄戦の実態調査を行った。琉球政府社会局が昭和33年に発行した援護法関係出版物「援護のあゆみ」によると、沖縄県遺族連合会が職員と協議会を重ね、集団自決や壕(ごう)の提供などの事例についても援護法が適用されるよう強く求め、厚生省に陳情した。
 戦争の実態調査や要望を踏まえて厚生省援護課は、昭和32年7月、援護法の適用例を20種の分類で示した「沖縄戦の戦闘参加者処理要項」を発表した。これまであいまいだった「戦闘参加者」の定義がこれによって明確になった。「戦闘参加者」の分類は以下の通りだ。

 ①義勇隊②直接戦闘③弾薬・食糧・患者等の輸送④陣地構築、⑤炊事・救護等雑役⑥食糧提供⑦四散部隊への協力⑧壕の提供⑨職域(県庁職員報道)関係⑩区(村)長としての協力⑪海上脱出者の刳船(くりぶね)輸送⑫特殊技術者(鍛冶屋)⑬馬糧蒐集(しゅうしゅう)⑭飛行場破壊⑮集団自決⑯道案内⑰遊撃戦協力⑱スパイ嫌疑による斬殺⑲漁撈(ぎょろう)勤務⑳勤労奉仕作業。

 20項目のいずれかに該当すれば、一般住民であっても軍属・軍人と同様に「戦闘参加者」として認定され「準軍属」に扱われた。その場合、軍命令に従い、「自己の意思」で戦闘に参加・協力したか否かだけが問われることとなった。当初は「小学校適齢年齢6歳以上」とされた。

 しかし、当時の厚生省、琉球政府、市町村、そして、遺族という四者の共同作業により、6歳未満にも援護法が適用されるようになった。

 金城和信遺族連合会会長(当時)は「援護のあゆみ」の中で、「遺族は勿論全住民が一体となってこれら戦没者の報国の精神に充二文(ママ)に応えるべく全機能を上げて一人でも時効失効なき様処理に万全を期さなければならないと強く日本政府及び琉球政府に訴えるものであります」と述べている。

 実際に「戦闘参加者」として援護法の申請をした事例を示す、沖縄県公文書館に保管されている「現認証明書」(請求時の障害が公務上の傷病であることを認めることができる書類)の文面を引用する。

 <右は昭和二十年六月二十日沖縄本島摩文仁村字摩文仁付近の戦闘間に於て球部隊司令部の下士官兵数名に避難壕を立ち退くよう要請され止むなく同壕を戦闘員のため提供して立ち退き、他の壕を求めて移動する際、至近に砲弾炸裂し、全身に砲弾破片創を負い、即死したことを同一行動中に確認致しましたのでその事実を証明します。
一九六〇年二月二十日>

 沖縄県遺族連合会のある幹部は「軍に積極的に協力して戦死したという表現でも厚生省から突っ返されました。『軍の命令によって』と書き込んで再送して受理されました」と振り返る。そこで、現認証明書に「軍の命令・要請による」という虚偽事実の記入をしたが、そのうち大半が「壕の提供」に関する内容だったという。

20項目のいずれかに該当すれば、一般住民であっても軍属・軍人と同様に「戦闘参加者」として認定され「準軍属」に扱われた。その場合、軍命令に従い、「自己の意思」で戦闘に参加・協力したか否かだけが問われることとなった。当初は「小学校適齢年齢6歳以上」とされた。

当時の厚生省は、本来なら民間人には適用されないはずの援護法を、可能な限り、というより「拡大解釈」をしてまで沖縄住民に適用しようとした。 そこに「軍命捏造」という意図せぬ結果が生じ、後に反日左翼勢力の付け込む隙を与えることになる。

政府(厚生省)は、軍命と明記されていない申請書には「軍命」という不実(嘘)を書くように暗示する「書き換え」の指導をした。

例を挙げると、厚生省の1960年「戦闘参加者に関する書類」に、次のような記載がある。

■昭和34年(‘59年)10月12日付け 厚生省引揚援護局未帰還調査部第四調査室長から琉球政府社会局援護課長 「戦闘協力により死亡したものの現認証明について」

≪別紙記載の戦斗協力者に対し、遺族より弔慰金の請求をされましたが、戦斗協力内容が消極的に失すると審査課より返却されたので、死亡者は要請(指示)事項のみに終始したのではなく、当時の戦況から判断して現認証明事項欄記載の如きこともあったものと推定されるのでその旨、審査課に回答した処、死亡の原因が回答のような、積極的な戦斗協力によるものであれば現認証明書を添付されたいとのことですが、現認証明欄の如き事項は、当時何人かが現認していると思われるがそうであったら然るべく御とりはからい願います≫

厚生省から琉球政府側への「指導」も1959年ごろまでは、「積極的な戦闘協力」などと曖昧な指導をしているが、沖縄住民の援護金申請は全て受理してあげたい、という善意が働き、厚生省の「指導文書」も1962年になると、以前に比べてあからさまな「軍命捏造」の指導が目立ってくる。

その例がこの文書だ。

 ■1962年1月「戦闘参加者に関する書類綴」(援護課調査係)

「戦闘参加者の申立書」に対して、厚生省から琉球政府

≪「要調査事項」昭和20年5月10日食糧を求めるため部隊に行ったのは、軍命令か 申請書の記述ではその点が不明であるから解明されたい≫

と軍命の有無を重視するよう明確に指導している

さらに具体的に個々の「戦闘協力者」を、「軍命による」と記入するように、その時の状況に至るまで「指導」した例が、次の例である。

これは現在のお役所の常識から考えれば、「越権行為」といわれても仕方がない「指導」である。

 

「現認証明書を要する戦闘協力者氏名」の一覧 

■当時50歳の県庁職員についての「指導」

≪壕生活の指導並びに避難誘導のため摩文仁村に派遣されたが、摩文仁村摩文仁で避難誘導任務遂行中砲弾の破片により胸部に受傷戦死したという現認証明に対して、「上記の理由では積極的戦闘協力とは認め難いとの審査課の意見であるが、積極的戦闘協力の事実はないか。 例えば軍命により弾薬運搬又は食糧の輸送の指導若しくは陣地構築の指導等の如きものとか、公務遂行中殉職というが、公務の内容はなにか軍の命令により何か積極的戦闘協力はしたのか・・≫
などと具体的に書き換えの仕方を指導している。

 
当時9歳の学童についての「指導」

≪艦砲弾が激しいため殆どの壕が破壊されたので作戦上壕を提供せよと命じられたので、軍に協力して他の避難場所を探している際、敵の小銃弾で頭部を撃たれ治療も出来ず出血多量で数時間後に死亡した≫
という表現パターンで、書き換えが行われている。

 ■1962年1月「戦闘参加者に関する書類綴」

認定保留者=座間味村 明治9年生まれ、昭和20年3月28日隊長命令による自決」という内容で戦闘参加者として認定されている。   

>「隊長命令による自決」

ここで座間味村の隊長は梅澤裕氏と指名されたことになり、後に反日左翼勢力が「残虐な日本軍」と主張する根拠となる。

 

■1966年「援護関係表彰綴」

宮村幸延座間味村総務課長の功績調書

宮村幸延座間味村総務課長は、1957年8月、慶良間戦に於ける集団自決補償のため上京 1963年10月集団自決6歳未満から0歳児まで(148名)準軍属に決定と記されている。

宮村幸延氏は、連載の第6回目に登場するが、沖縄側は琉球政府社会局援護課のみならず、援護金申請書の直接の窓口である座間味村の援護係の宮村氏が直接上京し、厚生省と掛け合って援護金受給に大きな功績を成し遂げている。座間味村役所には宮村氏の「功績を讃える表彰状があるという。 幸延氏は梅沢氏に「侘び状」を書いた事で、とんだ騒動に巻き込まれることになる。その顛末は連載第6回をご期待下さい。

 国(厚生省)、琉球政府援護課、各市町村の援護係そして遺族会のメンバーの4者が一致協力し、祖国防衛の戦ため、軍人・軍属に負けずとも劣らない戦いをした沖縄の民間人に対する援護金支給の努力をしたのである。

その結果、1981年には6歳未満への援護法の適応が認められることになる。 

                 ☆

 【おまけ】

援護法㊙公文書

1960年12月28日付琉球政府社会局より琉球政府駐日代表事務所宛ての問い合わせ。

➀11月26日付「沖縄タイムス」に掲載の「『戦斗協力者に新措置』『援護法は拡大適用厚生省は方針を決定」という記事の「適用者の数字」の問い合わせ。

 

 

琉球政府社会局の数字の問い合わせに対し、琉球政府駐日代表事務所から回答。

「ご紹介の数字は、記者自体の数字であり、新聞記事については当局は関知しないことで、記者の情報収集によるもので当局も迷惑している」というもの。

 

 

戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄は、「遺族たちに援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」「戦後、島の村長らが赤松嘉次元大尉に連絡し、命令を出したことにしてほしいと依頼し、赤松元大尉から同意を得て(本当は命令していないが)命令があった事となった」と語っている

ただし実際には、赤松自身は単に自決は自分の命令したものではないと語ったことしかない。(なお、座間味の梅澤の方は、宮城初枝から自決命令は聞いていなかったとの告白を受けた時に、島の人が助かるならば自分が悪者になるのはかまわない、自身の家族に真実が伝われば十分と語っている

 

 

沖縄集団自決の真実

「沖縄人の見た沖縄戦」①

――座間味戦の裏側にあるもの――

 

ルポライター(沖縄県国頭郡出身)   冨村順一(大阪市西成区77歳)

 

平成20年1月10日  昭和史研究所会報 第129号

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

残されたわずかな時間の中で歴史の証言を収集記録し、後世に伝えます。

これは本来国家のなすべき事業なのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〔解説〕

平成19年11月9日、大阪地裁。大江・岩波裁判の日。

傍聴券を求める人々の中に車椅子の人物がいた。

この人が配布したA4判3頁の文書は、梅沢・赤松両元隊長の無実を訴え、

大江健三郎に謝罪を求める切々率直な内容のものであった。

 

この人こそ誰あろう。

かつては左翼反戦平和運動に携わりながら、梅沢裕隊長の「自決命令」の

なかったことを知るや、翻然梅沢氏弁護の運動を開始し、それが宮崎初枝

女史の告白を決意させ、また神戸新聞に「梅沢隊長の命令なし」の記事

を掲載させるきっかけをつくった冨村順一氏(『隠された沖縄戦記』などの著者)だ。

 

いわば梅沢隊長の冤が晴れる大きな一歩を刻んだ富村氏の正直で義に

強い人柄に、かねて中村は敬服していたが、大江裁判の折に氏の配布した

文書を読んで感銘を新たにし、氏に二、三の質問を含んだ書簡を送った。

 

それに対して11月30日、氏からテープレコーダーに録音した

委曲を尽した返事を頂戴した。貴重な体験と証言を含む内容なので、

一部を割愛して掲載させて頂くことにした。(中村)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〔註〕「中村」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E7%B2%B2

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★以下、富村順一氏のテープおこしの本文です。★

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 中村先生、今晩は。

先生からの御手紙を拝読し、直ぐに手紙を出そうと思いましたが、

何分にも手足が不自由で遅れたこと申し訳ありません。

 

話は違いますが、近所に梅南座という芝居小屋があります。

そこの主は沖縄出身の渡口さんというお婆ちゃんです。

このお婆さんは、娘さんやお孫さんも毎日のように私の家に来て

よく私の面倒を見てくれます。

そのような方ですから、私は先生から来た御手紙を劇場のママに見せました。

ママが「返事を書いたのか」と聞くので、ヘルパーに代筆を頼んで、

毎日四、五枚づつ書いていると話したところ、「このように大切なことは

ヘルパーの代筆では駄目だ。

貴方は手足は不自由でも口は利ける。

録音を取って生の声を包み隠さず、テープで差し上げなさい」と仰有った

ので、「テープレコーダーがありません」と話したところ、ママが

「じゃ、買えばいいんじゃないか」と仰有ったので、「そのようなお金は

ありません」と云ったところ、「じゃ、金は私が出すから録音テープで

自分の気持を先生に伝えた方がいい」と仰有って金を置いて行って下さった

ので早速テープレコーダーを買い、録音で先生に座間味戦記のことを

お伝えしようと思っています。

 

大城明さんの自殺

 

 私はここ十四、五年間、大衆の前へ出たことがありません。

故に梅沢さんはじめ私の知ってる方には、

私が死んだという噂が飛んでいる現在です。

何故、そのような私が今頃、大江裁判傍聴に行こうと思ったのか、

訳があります。

 

 一昨年(平成17年――中村)の10月1日、大阪西成区の津守公園で

大城明さんという沖縄出身の方が自殺いたしました。

彼は若い頃、ベトナム戦争反対、基地反対、部落開放運動なんかに

首を突っ込んでました。また非常に読書家でもありました。

 

 彼が自殺一週間前、突然私の家に来たのです。私の家に来るなり跪いて

「富村さん、本当に申し訳ありませんでした。

富村さんが練馬区の元町公園で二匹の犬と野宿しているときに、

夜六人の仲間と一緒に襲い、二匹の犬を殺し、富村さんに怪我をさせ、

富村さんが車椅子の生活をするようになったのは私達です。

私がそのリーダーでした。

その理由は、富村さんが書いた「座間味戦記 / 梅沢隊長は生きている

――自決命令はなかった」という『隠された沖縄戦記』を読みました。

沖縄には沖縄の偉い大学の先生や文化人が書いた『鉄の暴風』、

沖縄県教職員組合が書いた『沖縄戦の真相』、『沖縄県史』がある。

それらは何れも自決命令で、梅沢隊長は従軍慰安婦と爆死したことになっている。

 

だが富村さんは「隊長は生きている」と云う。

富村さんは右翼から金を貰って嘘の本を書いたに違いない。

このような沖縄人はいない方がいい。

二度と本を書けないようにしてやろうと、富村さんを襲い、袋叩きにしたのは

私達で、そのリーダーが私でした。本当に申し訳ありませんでした」

と云いながら鞄から一冊の本を取り出しました。

 

宮城晴美さんが書いた『母の遺したもの』という本でした。

十年以上も本と縁がなく、新聞も余り読みませんでしたので、

この本が出ていることも全く知りませんでした。

 

その本をテーブルの上に置き、「梅沢さんは自決命令を出していない、

ましてや、死んだといわれた梅沢さんが健在であることを知りました

。自分たちは取り返しのつかないことをしてしまった。

富村さん、本当に申し訳ありませんでした」と跪いて詫びたのです。

 

余りに突然のことで、私も宮城晴美さんが本を出したことも知らず、

どのように大城君に返事をしていいやら、言葉を失い、黙っていると、

大城君が

「富村さん、近い中に私は本を読めない所へ行くんだ。

富村さん、この眼鏡はフランス製です。いい眼鏡です。

もしレンズが合わなければ、レンズだけ替えてお使い下さい」

と眼鏡をテーブルの上に置きました。

彼は読書家でもあったので、私は「じゃあ、お前は好きな本を読まないのか」

と云ったところ、「本を読めない所へ行くんだ」と――。

 

 私はその意味をすぐには理解できませんでした。

それから一週間ほど経って、彼の友人が私の家に訪ねてきました。

 

 「実は大城明さんが自殺しました。

彼の部屋に富村さん宛の手紙がありました」と云いました。

彼はその手紙で何度も何度も「申し訳ありませんでした」と詫びていました。

またお母さん達にも、富村さんに迷惑をかけたから、お詫びするようにと

遺言があったようです。

その後、大城君のお母さんやお姉さんからも電話がありました。

「申し訳ない。何か困ったことがあったら連絡下さい。

可能なことはして上げます」ということでしたが、

私は「何も困っていません」と申し上げてお断りいたしました。

 

私は大城さんの自殺を考へ(ママ)た場合、まだ沖縄戦は終わって

ないんだと思うと同時に『鐵の暴風』や沖教組が捏造した

座間味戦記を書かなければ、このような自殺は出なかった訳です。

故に私は仮(たと)え手足が不自由でも、車椅子で外へ出かけることが出来る、

今度の大江裁判でも傍聴して、加納であれば事実を訴えようと思い、

裁判所へ行きましたが、残念ながら、傍聴出来ず帰ってきました。

 

 その後、大阪の関係者から二回ほど話を聞きに来ましたが、初対面であり、

どのような方かよく分からないので一部始終は話していません。

だが、先生のお手紙を読み、劇場のママからも、知ってること思ってる

ことを全部包み隠さず先生にお伝えするようにと云われておりますので、

私も知ってることを包み隠さず先生にお話しようと思います。

 (つづく)

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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中国の反発は「抑止力が効いているということ」と小野寺氏【防衛装備品輸出は「抑止力を高める」】

2022-12-19 10:39:09 | 外交・安全保障
 

 

中国の反発は「抑止力が効いているということ」と小野寺氏 防衛装備品輸出は「抑止力を高める」とも

配信

FNNプライムオンライン(フジテレビ系)
 

FNNプライムオンライン

日曜報道THE PRIME


ポコちゃま41分前
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中国を始め北朝鮮やロシアなどが、日本の防衛3文書の改訂に反発するのは、「抑止力が効いているということ」の裏返しと言えるのではないでしょうか。
また、【防衛装備品輸出は「抑止力を高める」】ことになるのは間違いありません。それは、クワッドに参加していながら、ロシアの兵器に依存していることで、「ロシアに忖度」しなくてはならないインドの姿勢を見れば明らかです。
いずれにしても、政府は防衛産業の育成に力を注ぐとともに、武器の輸出に関する法律も改定する必要があるのではないでしょうか。それが防衛費の削減に貢献するだけでなく、抑止力を高めると言っても過言ではないと思います。

標題にもあるとおり、中国が反発したということは、政府の「防衛政策」が正しかったことを物語っています。


gkj*****4時間前
非表示・報告
我が国が、米国の理解を得ながら軍拡し、近隣国の反発を招くのは歓迎すべきです。近隣への威嚇は必要です。
ここで国民の嫌がる増税をしながらも、自衛隊を重装備にして日本を軍事大国化して、九条を改正して、中国の尖閣侵攻や台湾防衛に自衛隊が大きく貢献できるようにしてほしい。岸田さんは、いまは評価が低くても将来は名宰相と言われるのではないでしょうか。


0005時間前
非表示・報告
彼等が日本の防衛強化を嫌がるという事は抑止力が働いている現れだ。
彼等と同じ反応をする国内の防衛強化反対派は日本に内在する脅威として炙り出されている。
誰が日本の防衛強化を阻止し有事を招こうとしているのかメディアは取材しなければならない。
有事になれば情報機関であるメディアは、真っ先に爆撃制圧対象になり他人事では済まされなくなるだろう。


wyc*****4時間前
非表示・報告
安全保障3文書を実現してはじめて普通の国になれると思う。
当初50兆円以上だった防衛予算案は、財務省の反発を受け43兆円に減額したこと、また3文書の中身も岸田首相によって後退したという指摘があり、国民はしっかり監視すべきです。

一部のマスコミが岸田首相の成果だと絶賛しているようですが、この内容は安倍さんがご存命だった、今年初めに策定されたものであり、岸田首相の成果ではありません。
つまり今年初めに増税が財務省との間で握られ、それを隠して参院選に臨んだということ。これは裏切り行為そのものであり、断じて許してはいけない。

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「眼前の敵」 座間味で何があったか

2022-12-18 14:11:38 | ★原稿

 

 

 

 

 

 

■「死に所の森」の恐怖■

貧しかった昔の日本にはいたるところに「うば捨て伝説」があり,そこから生まれたのが鬼婆伝説だといわれる。

集団自決のあった座間味島にもうば捨て伝説がある。 だが、“その時”は鬼婆ならぬ鬼畜米軍の上陸に島全体が怯えていた。

座間味島のうば捨て伝説のある場所はシンジュの森という鬱蒼とした森の中にある。

シンジュという発音から鎮守の森を連想するが、実際は「死に所」という方言で、老いて働けなくなった老人が死に場所を求めて彷徨い入るという悲惨な印象の森だ。

1945年3月26日の未明の座間味島で、島を囲んだ米軍の艦砲射撃から逃げ惑う老人と子供の一行いた。

シンジュの森にある自分の壕に向かう途中、軍刀を持つ男に遭遇した。

未明の朝もやの中に立ちはだかったのは「鬼畜米兵」ではなかった。

その男が怒鳴った。

「なんでお前らはまだ自分で死ねんのか。自決できぬなら俺が斬ってやる」

と日本刀を抜こうとした。

2001年7月5日付毎日新聞を引用する。

「眼前の敵」~ 恐怖と緊張感が増幅

うばすての伝説を持つシンジュ(死所)の森
 
  「その明け方、僕は家族連れで整備中隊壕に行き、自決さすことを頼んで本部壕に帰ろうとしたら、内藤中隊長や幹部らにさんざん怒られた。「軍は住民と国土を守るためにある。住民を殺すことはできぬ。早く安全な所に避難して、必ず誰かが生き残り、亡くなった人々の霊を祭るんだ。それがお前の役目だろう」と言いながら、米、梅干、金平糖、カツオブシ等軍の糧食を袋に入れてくれた。「節約すれば一ヶ月は大丈夫。何としても生きろ」
 僕らはシンジュ(昔、老人の死所)の森の避難壕に向かう途中、日本刀を持つ国民学校の教頭に呼び止められた。「なんでお前らはまだ自分で死ねんのか。自決できぬなら俺が斬ってやる」と日本刀を抜こうとした。「なんでお前に孫やうちらが殺されねばならんのか」と祖父母が必死の形相で反抗したため事なきを得た」と宮平さん。敵は眼前にも居たのだ。のちに、彼は住民二人を斬殺した事が判明し島に住めなくなったという。「彼は跳ね上がりで、硬直した軍国主義的言動で住民に威張っていた。僕は余り信用していなかった。戦後しばらくして訪ねて来たとき、どこかの社長になったが座間味へは帰れなくなったと話していたよ」(梅沢裕さん談)
 住民や兵たちの恐怖と緊張館をますます増幅するかのような艦砲射撃の猛威のなかで、座間味島は3月26日の朝を迎えていた。(毎日新聞 2001年7月5日)

■本当の敵は誰だ■

憎むべき敵は「鬼畜米英」のはずだった。

だが、朝もやに霞むあの朝、死に切れない住民に軍刀を振るったのは日本語で怒鳴る軍服の男だった。

憎むべき敵は「日本兵」だと記憶に刻み込まれていた。

だが、「眼前の敵」は日本兵ではなかった。

軍人より軍人らしい男、「参謀長」と呼ばれる民間人だった。

軍人より軍人らしい男は、島で教頭をしていた山城安次郎氏だった。

   *

“山城安次郎”、でググルと321件出てくるが、そのほとんど全てが「渡嘉敷島の集団自決の証言者」としての記述のみであり、他の意味での記述はない。

一例を挙げると下記引用のようなものだが、本人は隣の座間味島での体験者ではあっても渡嘉敷島での体験者でないのが不可解だ。

山城氏の不可解な言動の一例として曽野綾子著『ある神話の背景』の重要な箇所が次のように記されている。


「太田氏が辛うじて那覇で《捕えた》証言者は二人であった。一人は、当時の座間味の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来ていた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起こった事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。もちろん、二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった」

山城氏は、戦後一貫してマスコミ業界を歩み沖縄テレビの社長にまで上り詰めた著名人である。 それにしては、他に一切ネット上に名前が出てこないのは不可解である。

「集団自決」の体験者では、山城氏と対照的なのが渡嘉敷島の金城重明氏であり、同じくググルと何と13,800件も出てくる。

それだけ金城氏が自分の体験を語り続けたことを意味する。

金城氏は「集団自決」で自分の家族に留まらず他人の親子にまで手をかけたが、本人は幸か不幸か生き残り、戦後は自己の悲惨な体験を語り続けた。

金城氏は語り続けると同時に「軍の命令だった」と責任転嫁し続けた。そうしななければ戦後生きていくことは出来なかったのだろう。

一方の山城安次郎氏はその後自分の体験について一切語ることは無かった。

言うまでもないが『潮だまりの魚たち』に登場する「参謀長」と呼ばれた元教頭先生は後の沖縄テレビ社長の山城安次郎氏である。

 

大田記者が『鉄の暴風』の取材をしていた終戦直後は、米軍は沖縄を日本から永久分離するため「日本軍=悪玉、米軍=善玉」という世論作りを行っていた。

その尖兵となっていたのが沖縄タイムスを始めとする沖縄の新聞であった。

その空気は曽野氏の著書にも次のように書かれている。

「当時の社会事情は、アメリカ側をヒューマニスティックに扱い、日本軍側の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。」


 、数千人動員して民間人救出
「米軍より日本軍怖い」感覚へ

  沖縄戦に関する沖縄県民の手記には、しばしば「米軍よりも日本軍の方が怖かった」という感想が出てくる。言葉も通じない敵の軍人に、同じ日本人よりも親近感を覚えるということが果たしてあるのだろうか。それは、米軍が「日本の圧政に苦しみ、虐げられている状況を打開してくれた解放軍」という認識を、県民が抱くようになって初めて可能だ。(略)(世界日報 2007年10月30日) 

                     ◇

太田元沖縄県知事の一連の著書にはこのような記述が見られる。

≪その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)http://www.kamiura.com/chuu18.htm

 

沖縄タイムスが極端な偏向を通り越し、

敵意剥き出しの反日報道をするのには理由があった。

 それは昭和25年に発行された『鉄の暴風』の初版の前文にはこう書かれていた。

「なお、この動乱を通じて、われわれ沖縄人として、おそらく終生わすれることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。 国境と民族を超えたかれらの人類愛によって、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更正第一歩を踏み出すことができたことを、特記しておきたい」 (『鉄の暴風』初版前文)

揉み手をしたような、この米軍へのおべんちゃら記事が『鉄の暴風』の記事だと知ると驚く人も多いだろう。

勿論、沖縄タイムス出生の秘密を暗示するこの前文はその後の重版では削除されている。

『鉄の暴風』は主として沖縄タイムス記者伊佐良博氏(後に太田に改姓)によって書かれたが、同書のもう一人の著者、牧港篤三氏によれば、

初版は2万部出版され「米軍に提出されるため英訳され、占領軍司令部でも話題になった」と記している。(沖縄タイムス平成14年6月12日付け)

そう、沖縄タイムスは戦後沖縄占領米軍のプロパガンダ紙として出発したのだ。

ここで言うプロパガンダ紙というのは比喩的な意味ではなく米軍情報部の下に作られた文字通りの広報紙という意味である。

勿論米軍情報部の目論む「沖縄住民を日本から永久分断する」情報作戦の一旦を担うのが沖縄タイムス紙創立の理由だった。

 

                      ◇

■老人と子供■

「集団自決」問題を難しくしている理由の一つは生き残りの殆どが老人と子供だということである。

島の成年男子の殆どが応召で外地へ派遣されており家を守るのは老人と子供だけ。

それだけに米軍の上陸を前にパニックになる要素も多かった。

従って生き残った証言者も老人と子供が殆どで、それを戦後半世紀以上も経ってから証言を求めることに「真実」解明の難しさがある。

 

「集団自決」当時子供だった証言者の証言が、周囲の大人達の噂話等によって本人の知らぬ間に間違って伝えられる例を専修大学の学生達が卒論のテーマとして座間味島を訪問し研究している。

彼らは2004年、当時の座間味村の宮里芳和教育課長へのインタビューから実例を引き出している。

8月2日に座間味村役場会議室で行われた学生のヒアリングに答えて宮里氏は次のような証言者の例を語っている。

手りゅう弾の操作を知らない家族が日本兵にその使い方を教わった。

日本兵は使い方を教えはしたが「できるだけ最後ま生きてください」と言って去った。

当時傍にいた子供には親と日本兵の会話を聞いたはいても、その真の意味は理解できない。

その後、親は手りゅう弾で自決した。

遺された子供は日本兵が家族を殺したと思い込んだ。

戦後61歳になった証人は「親は日本兵の命令で自決した」証言した。

宮里氏はこのように「集団自決」の生き残りが語る証言が誤解され、歴史記述となって残される危険性の例を学生達に語っている。

以下は宮里芳和教育課長(当時)の話。

 1945年3月25日の夜、忠魂碑前に集合という「軍命」が伝えられた。しかし、砲撃が激しいため人々は産業組合壕などに逃げ帰り、そこで「集団自決」に追い込まれた。

 産業組合壕では、兵事主任・宮里盛秀氏をはじめ村の幹部とその家族67名が亡くなった。生存者は一人もいない。
 

説明役の、宮里芳和氏は宮里盛秀氏の叔父の孫にあたる人だ。戦後生まれだが、当時の歴史を調べ平和ガイドをしている。


「眼前の敵」~ 恐怖と緊張感が増幅

うばすての伝説を持つシンジュ(死所)の森
 
  「その明け方、僕は家族連れで整備中隊壕に行き、自決さすことを頼んで本部壕に帰ろうとしたら、内藤中隊長や幹部らにさんざん怒られた。「軍は住民と国土を守るためにある。住民を殺すことはできぬ。早く安全な所に避難して、必ず誰かが生き残り、亡くなった人々の霊を祭るんだ。それがお前の役目だろう」と言いながら、米、梅干、金平糖、カツオブシ等軍の糧食を袋に入れてくれた。「節約すれば一ヶ月は大丈夫。何としても生きろ」
 僕らはシンジュ(昔、老人の死所)の森の避難壕に向かう途中、日本刀を持つ国民学校の教頭に呼び止められた。「なんでお前らはまだ自分で死ねんのか。自決できぬなら俺が斬ってやる」と日本刀を抜こうとした。「なんでお前に孫やうちらが殺されねばならんのか」と祖父母が必死の形相で反抗したため事なきを得た」と宮平さん。敵は眼前にも居たのだ。のちに、彼は住民二人を斬殺した事が判明し島に住めなくなったという。「彼は跳ね上がりで、硬直した軍国主義的言動で住民に威張っていた。僕は余り信用していなかった。戦後しばらくして訪ねて来たとき、どこかの社長になったが座間味へは帰れなくなったと話していたよ」(梅沢裕さん談)
 住民や兵たちの恐怖と緊張館をますます増幅するかのような艦砲射撃の猛威のなかで、座間味島は3月26日の朝を迎えていた。(毎日新聞 2001年7月5日)

■本当の敵は誰だ■

憎むべき敵は「鬼畜米英」のはずだった。

だが、朝もやに霞むあの朝、死に切れない住民に軍刀を振るったのは日本語で怒鳴る軍服の男だった。

憎むべき敵は「日本兵」だと記憶に刻み込まれた。

だが、「眼前の敵」は日本兵ではなかった。

軍人より軍人らしい男、・・・「参謀長」と呼ばれる民間人だった。

                      *

 

「眼前の敵」~ 恐怖と緊張感が増幅

 
うばすての伝説を持つシンジュ(死所)の森
 
 
 「その明け方、僕は家族連れで整備中隊壕に行き、自決さすことを頼んで本部壕に帰ろうとしたら、内藤中隊長や幹部らにさんざん怒られた。「軍は住民と国土を守るためにある。住民を殺すことはできぬ。早く安全な所に避難して、必ず誰かが生き残り、亡くなった人々の霊を祭るんだ。それがお前の役目だろう」と言いながら、米、梅干、金平糖、カツオブシ等軍の糧食を袋に入れてくれた。「節約すれば一ヶ月は大丈夫。何としても生きろ」
 僕らはシンジュ(昔、老人の死所)の森の避難壕に向かう途中、日本刀を持つ国民学校の教頭に呼び止められた。「なんでお前らはまだ自分で死ねんのか。自決できぬなら俺が斬ってやる」と日本刀を抜こうとした。「なんでお前に孫やうちらが殺されねばならんのか」と祖父母が必死の形相で反抗したため事なきを得た」と宮平さん。敵は眼前にも居たのだ。のちに、彼は住民二人を斬殺した事が判明し島に住めなくなったという。「彼は跳ね上がりで、硬直した軍国主義的言動で住民に威張っていた。僕は余り信用していなかった。戦後しばらくして訪ねて来たとき、どこかの社長になったが座間味へは帰れなくなったと話していたよ」(梅沢裕さん談)
 住民や兵たちの恐怖と緊張館をますます増幅するかのような艦砲射撃の猛威のなかで、座間味島は3月26日の朝を迎えていた。
                     写真~うばすての伝説を持つシンジュ(死所)の森
                  
                                                        
毎日新聞 2001.7.5

 

                     ◇

死者に鞭打つ気はない。

戦時中の異常な状況の出来事を、戦後に育ち、飽食・メタボが悩みの現代に住む人が批判することは出来ない。

山城氏は座間味島で起きた事件について何も語らず墓場まで持ち込んだ。

それを敢て取り上げた理由は次の二点にある。

①終戦直後、沖縄タイムスを訪問して、自らは経験もしていない渡嘉敷島での赤松隊長の暴状を訴えたのは何故か。

②タイムス訪問当時、山城氏は座間味村助役という公的立場にあり、その後も新聞編集、テレビ会社とマスコミ界を歩んでおり、体験者として沖縄戦史を遺す社会的責任があるのにも関わらず一切語らなかったのは何故か。

もし、山城氏が①の不可解な証言をしなかったら、山城安次郎氏の名前は一切ネット上に出なかった可能性もある。

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コロナ茶番!厚労省、アクリル板は効果があるという設定を無かった事にする。

2022-12-18 08:44:22 | 医学・健康

 

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読者の皆様へ

沖縄タイムス編著『鉄の暴風』による歪められた沖縄戦の歴史を是正すべく、「慶良間島集団自決」を中心に長年当ブログで書き綴ってきた記事をまとめて出版する予定です。

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 善良な国民

「アクリル板代返せ!

「マスク代返せ!」

 

 

2022年12月15日

 

厚労省、アクリル板は効果があるという設定を無かった事にする。

1 名前:プレアデス星団(SB-Android) [PE]2022/12/15(木) 11:55:58.75ID:kGMBlZ4u0
画像7記者会見で広がるアクリル板撤去 厚労相は距離保ちマスクなし
https://mainichi.jp/articles/20221215/k00/00m/040/031000c










5: グレートウォール(SB-iPhone) [ニダ] 2022/12/15(木) 11:57:23.93 ID:qqJeZuri0
ふざけんなや
アクリル板代返せ

7: 青色超巨星(神奈川県) [ヌコ] 2022/12/15(木) 11:58:13.45 ID:xHR6XCqc0
飛沫じゃないのは
途中で気がついた

14: セドナ(茸) [US] 2022/12/15(木) 11:59:29.41 ID:7JTLhiqQ0
こまめに清掃しなきゃウィルスついたままだしな

15: ヘール・ボップ彗星(ジパング) [GB] 2022/12/15(木) 11:59:42.84 ID:oRUJ83Nl0
厚労省から増税すれば良いんじゃないかな

19: ポルックス(埼玉県) [CN] 2022/12/15(木) 12:00:27.95 ID:WL2u8uNI0
アクリル買い取れよ

20: レア(ジパング) [US] 2022/12/15(木) 12:00:44.58 ID:LHjAFis70
アクリルってリサイクルできるのかね

28: ヒドラ(茸) [US] 2022/12/15(木) 12:02:25.36 ID:HdbKWvPi0
喫茶店で普段からいっしょにいる人とアクリル板ごしに話すのウケる

35: 赤色矮星(東京都) [ニダ] 2022/12/15(木) 12:03:45.66 ID:RUqYNVs/0
大声でしゃべって、唾飛ばしまくる人を店からつまみ出すだけでOK

43: クェーサー(ジパング) [BR] 2022/12/15(木) 12:05:54.75 ID:K87vdTnP0
アクリル版あるせいで声が大きくなって余計に悪化する件

77: テンペル・タットル彗星(山形県) [US] 2022/12/15(木) 12:12:01.27 ID:Sko3YX5F0
>>43
聞こえなくて下の隙間に耳を近付けたりさらにそれに口を近付けて喋るから逆効果だよな

44: ダイモス(茸) [CN] 2022/12/15(木) 12:05:55.64 ID:vaOyB04m0
鼻くそ付いてた時は席かえた

47: ウォルフ・ライエ星(新潟県) [ニダ] 2022/12/15(木) 12:06:24.11 ID:O+3MG8i70
コロナ前からデスクの前にいるヤツの咳とかくしゃみ気になってたから丁度良かった

88: クェーサー(大阪府) [VN] 2022/12/15(木) 12:14:02.42 ID:j3F1RZwI0
未だにビニール貼ってるスーパーとかアホかと思う

100: アルゴル(茸) [AU] 2022/12/15(木) 12:15:34.65 ID:BiBRcNvq0
隣の汚い奴との仕切りは残したい

105: ディオネ(神奈川県) [US] 2022/12/15(木) 12:16:19.67 ID:hjBprqGj0
勝手にどかしてたから問題無い

120: 海王星(茸) [DE] 2022/12/15(木) 12:19:09.61 ID:kuIUhgOn0
透明だとウィルスがすり抜けるんだよ

136: カロン(埼玉県) [ニダ] 2022/12/15(木) 12:21:46.81 ID:ffJDnVxn0
ワクチン屋と医者とアクリル板屋が儲かるように尾身とかの詐欺師連中に騙されただけ

137: フォボス(茸) [US] 2022/12/15(木) 12:21:58.16 ID:iKVI3iIx0
これは国民の責任
アクリル税を取るしかない

140: エンケラドゥス(千葉県) [FR] 2022/12/15(木) 12:22:12.96 ID:+Y1GoQ1V0
いや、職場でも大量に購入したんだが

142: 亜鈴状星雲(鹿児島県) [AU] 2022/12/15(木) 12:22:57.78 ID:DvDrlV7u0
科学的にと言ってる奴らが出鱈目ばかりなのは毎度のことだな

309: ヘール・ボップ彗星(千葉県) [JP] 2022/12/15(木) 12:52:31.37 ID:WBqO/38z0
カウンターの飲食店は効果関係なくあったほうがいい

382: トラペジウム(愛媛県) [IR] 2022/12/15(木) 13:17:51.15 ID:bNdB55qX0
コロナ茶番にまんまと踊らされたばかども

385: ミマス(山口県) [RU] 2022/12/15(木) 13:19:02.62 ID:MVxdsZAI0
マスクやワクチンと同じ

効果ではなくやった感が大事なんだよ

384: リゲル(福井県) [GB] 2022/12/15(木) 13:18:57.99 ID:r2YsK/dS0
いまとなっては初期の頃の対応のアホさが笑えるよね

56: 太陽(東京都) [US] 2022/12/15(木) 12:08:03.88 ID:RAngioqt0
アクリル隔離板利権業者が怒って厚労省を襲撃したりして

349: デネブ・カイトス(東京都) [US] 2022/12/15(木) 13:02:31.77 ID:bFPsukfY0
あの板作ってる会社すげー忙しいって言ってたからこれで楽になるかなw

372: テチス(日本のどこかに) [US] 2022/12/15(木) 13:13:49.12 ID:rnwft2S50
アクリル板メーカーが儲かったやん
新たな雇用を創出したかも


元スレ:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1671072958/
 
コメント (2)

自決命令は「軍命」ではなく、島の長老の判断だった!「もうやめなさい!」 パニックに瀕した長老たちの悲劇

2022-12-17 16:54:54 | ★原稿
 

 

沖縄戦の再検証のため過去ブログ「もうやめなさい!」 パニックに瀕した長老たちの悲劇2008-07-14 

を一部編集して再掲します。

               ★

集団自決を決めたのは、長老たちの咄嗟の判断だった。

集団自決を決めたのは「軍命」ではなく、長老たちの判断だった。

昭和61年沖縄で開催された「海邦国体」は、全国1巡目の最後の国体であった。

その翌年の昭和62年、2巡目のトップとして「京都国体」開催された。

前年の沖縄国体の熱がまだ覚めやらぬ沖縄の老人会グループが郷土の選手団の応援に京都国体を訪れた。

その中の一人に座間味島の戦争体験者の長老がいた。

長老は、戦時中座間味島に駐屯していた旧軍人を訪ね、懐かしい昔話に花を咲かせた。

そのときの長老の談話が聞き取りされている。

「昭和19年の11月3日か12月8日のこと、(日付がどちらかは不明確)那覇市の護国神社で決起大会があり、そこで在郷軍人(沖縄出身の武勲者)たちが主となって、県民鼓舞の大演説をぶち上げた。 中でも印象に残ったのが直前まで那覇市長を勤めていた當間重剛氏は演壇で日本刀を振りかざし、『米軍が来たら、戦国時代の落城と同じ、女子供は自決させるべし』と演説をし、『決議』となり、それを参加していた座間味村三役がそれを帰島後、村民に伝えた」

座間味島に駐屯していた軍人たちはこの民間主導の決起大会には参加しておらず、この事実も戦後40数年を経ってから京都国体に応援に来ていた島の長老から初めて聞かされた事実だったのだ。

 ちなみに抜刀して大演説した當間重剛氏とは戦後、米軍民政府により琉球政府の主席に任命された人物だ。

確認のため昭和19年の11月3日前後と、12月8日前後の「沖縄新報」を調べてみたら、11月3日前後の新聞自体が県立図書館などには保存されていなかたが、12月8日付けの新聞は保存されていた。

米軍が座間味、渡嘉敷両島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(当時の新聞)(昭和19年12月8日)に次のような記事がある。

けふ大詔奉戴日

軍民一如  叡慮に応え奉らん

一人十殺の闘魂

布かう滅敵待機の陣

戦時の新聞なので見出しと記事がやたらと勇ましいのは何処の新聞も同じだが、沖縄新報の見出しによると、特に昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、県庁、県食料営団、県農業会などの各団体が主催して沖縄各地で関連行事が行われた様子が報じられている。

ちなみに大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことをいう。

真珠湾攻撃の翌月の1942年1月8日から、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされた。

そして、同記事では「鬼畜米英」についても各界の体験者の談話を交えて、次のような大見出しを使っている。

米獣を衝く  暴戻と物量の敵を撃て

お題目で獣性偽装

野望達成で手段選ばぬ

昔も今も新聞が国民を扇動するのは同じこと。新聞が舞い上がって県民を鼓舞しているのが分かる記事だが、慶良間島からも県庁で行われた「大詔奉戴日」式典には島のリーダーたちが参加している。

村長を始め村のリーダーたちはこの雰囲気に煽られて、島に帰った後数ヶ月で目前に迫った米軍上陸にパニックを起こし判断を誤ったのではないのか。

島のリーダーたちにとって、「鬼畜米英」の話は単なる新聞記事の見出しだけではない。その数ヶ月まえの7月ににサイパン陥落の際、鬼畜米兵から逃れた多くの日本人が、崖から身を投げた「集団自決」があり、その大部分は慶良間出身の沖縄県人であったという。

                  ◇

「集団自決は軍の居た所にのみ発生した」という「軍命あり派」の主張は軍人がいなかった読谷村チビチリガマの集団自決やその他の例で否定されている。

集団自決実行の分岐点は避難時のグループリーダーの判断の如何だった。

自決実行の間一髪、子供の泣き声で我に返ったリーダーの一瞬の判断で集団自決を免れたグループ。

その目撃談を紹介しよう。

座間味国民学校上級生(今の中学2年生)の宮里米子氏の体験談である

忠魂碑の前に集まった宮里米子氏の家族は敵の砲弾を受けて逃げ惑う。

<『潮だまりの魚たち』クリエイティブ21刊より引用

轟く艦砲の恐怖と寒さに震えながら、米子の家族は避難所を探して近くの山を目指して歩いていきました。 丘の斜面を登っている途中、砲弾のうなり声の合間から、ひそひそと人の声がもれてくるのに気がつきました。話がよく聞き取れないので、敵か見方かはっきり分かりません。おそるおそる声の方に近づいていきました。そして気づかれないように、雑木の間からのぞいてみました。すると、月明かりの下でひとつの家族が寄り添っているのが目に止まりました。年寄りと子供たちのようでした。うつむいた人たちの髪に雲間からもれてくる月が淡くさしています。 そしてすぐ側に銃を持った一人の兵隊が立っていました。米子は「どうするんだろう」と、息を殺して見ていました。長い沈黙をやぶったのは、群れの中の男性の悲壮な声でした。

「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

するとその日本兵はおもむろに家族の方に銃を構えました。腰には弾丸を詰めたベルトが重そうに巻かれています。銃身が月影に鈍く光ります。引き金に指をかけた時、一人の子が緊張に耐えられなくなったのか、突然わめき出しました。その瞬間、兵隊の指が引き金から離れました。泣き出した子どもは抱きしめている母親の両腕から抜け出ようと、もがきます。 母親も泣き声でさとしながら必死になって止めています。突然、この親子の姿を見ていたおばぁさんらしい人が、銃を向けていた兵を止めました。

「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

兵隊は間をおいて、銃を降ろしました。そして、その家族から目を背けるように、こちらを向きました。兵隊の姿をしていたのは、何と村役場の職員一人でした。>(『潮だまりの魚たち』クリエイティブ21刊、P149、150)

生きるか死ぬかの緊迫の瞬間。この家族の生死を分けた分岐点は「軍命令の有無」ではなく、その家族のリーダーの判断だった。

そのリーダーの判断に従った村役場職員は、銃の引き金から指を離した。

ところがこの哀れな村役場職員、別の壕で自決して果ててしまう。

<息も絶え絶えに着いたところは産業組合の壕でした。 そこは村の三役などの避難所で、書類や食料なども保管されています。村で一番大きな防空壕でした。そこにはちょうど誰もいません。ほっとした疲れがどっと押し寄せてきて、米子の家族はいつの間にか深い眠りに落ちていきました。「新神里の家族は出てください。新神里の家族は出てください。ここは役場の家族が入ります。出てください」  何度もそう繰り返されて目が覚めました。 その声の主を見ると、先程、銃を構えていたあの役場の男の人でした。 当時の役場の職員といったら、とても怖い存在だったので、米子たちは何も言わずに、素直に従うしかありませんでした。(略)米子たちが出た後、役場職員の家族を中心に大勢の人たちが、その壕の「集団自決」をしたのです。生き残った者は一人もいませんでした。>(p151、152)

村役場の職員は軍人より怖い人が多かったという証言があるが、助役が腰には弾薬帯を巻いて三八銃を持ち歩いていたという証言と役場には常に2~3丁の三八銃があったという証言から、座間味島の助役が、渡嘉敷島の金城兄弟のような役割りで銃で自決の「手助け」をして回ったことも推測できる。

「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

いずれの発言もグループリーダーのとっさの判断である。

「軍命の有無」なんて彼らにとってはどうでもよかったのだ。

繰り返し述べよう。

野生の動物でも人間でも、グループのリーダーはパニックに瀕すると往々にして判断を過つ。

 

ここにもパニックで判断を誤った長老(リーダー)の悲しい話がある。

子供を殺し自分は生き残った長老と伯父。

金城重明氏は特殊な例ではなかったのだ。

慶良間島の集団自決には他にも数多くの「金城重明」がいたのだ。

ただ、彼らは「軍の命令」と責任転嫁することなく自分で贖罪の十字架を背負って生きた。

ここが、金城重明氏と他の「金城氏」との大きな違いである。

 整備中隊の壕 -3- (沖縄タイムス8月23日朝刊総合3面)
「父さんも来るんでしょ」
(40)子どものために伯父「自決」

 四月一日朝、座間味村阿護の浦に米軍の船団が近づいて来るのが見えた。「大変だ。速く逃げよう」。壕入り口に出ていた宮村文子(81)は、奥でひざを抱え一塊に座っている人々に呼び掛けた。
 伯父は「私は逃げない。やーん、死にぃー?(あんたも死ぬね)」。「いーいん、わんねぇ死なん(嫌だ、私は死なないよ)」。親にも家族にも会えずに、死ぬわけにはいかない。文子は即座に断った。

 一方の伯父は家族を失っていた。自らが手にかけた妻や二人の子の遺体は壕入り口に毛布を掛けて横たえられていた。伯父はポケットを探り、黒砂糖を取り出した。「これを食べて、お母さんに会いなさい。会ってから死ぬんだよ」と、文子に渡した。

 伯父は文子に「子どものためにも、自分はどうしても死ななければいけない」と話した。幼い息子に手をかけようとした時、「お父さんも来るんでしょ」と問い掛けられたのだという。伯父は「絶対に行くから」と安心させていた。伯父は子どもたちの遺体の場所を示し「僕が死んだら、そばに寝かせて」と言った。

 伯父はいつの間にか、壕の天井の丸太に掛けたひもを、自分の首に巻きつけていたようだった。文子を挟んで隣に座っていた老人にひもの先を押し付け、「おじー、へーくな、ひっぱてぃ、ひっぱてぃ(おじいさん、早くこの綱を引っ張ってください)」と懇願した。

 伯父が本当に死のうとしていることに文子は驚いた。「やるな、やるな」。老人を押し留めようと強くつねった。しかし返事をしなかった。

 暗闇の中、急に隣にいた伯父の体がパーッと上がっていく気配がした。「うっ、うっ、うっけけけけけ…」。うめき声が壕内に響いた。二、三分して声が途切れると、ひもが緩められたようで、伯父はドサリと地面にたたきつけられた。「なんで、そんなことするか」。文子が怒ると、ひもを引いた老人は「わんにん、なーふりむんなってぃよ、わきんわからんどぅやんどー(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

 文子らは壕を出て、ユヒナの浜へ急いだ。老人を急かすと、「わんねぇーふりむんなとぉくとぅ、あっちんしーうさんろー(頭がおかしくなって歩くこともできない)」。老人は苦しげにうめいた。=敬称略(編集委員・謝花直美)

                      ◇

(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

パニックで判断を誤り妻子や親族に手をかけ、なお且つ死に切れなかった人たち(別の「金城氏」)の心中は平和な時代に生きる我々の思慮の到底及ばない世界である。

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つき崩された「命令説」、仲程昌徳琉球大学教授

2022-12-17 08:15:52 | 資料保管庫

 

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つき崩された「命令説」仲程昌徳琉球大学教授

 

曽野綾子著『ある神話の背景』が出版され、仲程昌徳琉球大学教授が、沖縄タイムスの軍命論を真っ向から批判し『鉄の暴風』の書き直しが必要とのべた。

仲程教授は、曽野氏の著書について「この著書は公平な視点でルポルタージュされた「本土の作家の沖縄戦記」である。曽野の調査が進んでいくにしたがって集団自決は疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「軍命説」はよりどころを失ってしまう。これまで集団自決のあらゆる著書で引用された『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、は重大な改定を迫られた」と評価した。

 

そして仲程教授の軍命批判に追従する「識者」が続出した。

作家で沖縄戦の研究家の「軍命派」の大城将保氏は意見が二転三転し、結局元の「軍命派」に立ち戻った。それだけ『ある神話の背景』の衝撃が大きかった証拠である。
 

大城将保氏の「転向」強弁の本■

大城氏は原告弁護団が氏の著書『沖縄戦を考える』を原告側証拠品として提出したことに対して、その後証言を翻した。

更にそれをネタに『沖縄集団自決の真実と歪曲』を出版した。 

沖縄戦記なら何でも出版のネタにするところは、流石は作家と恐れ入るが、その研究者らしからぬ強弁ぶりは、作家の大先輩大江健三郎氏を見習ったのか。

原告側徳永弁護士は雑誌「正論」の論文で、大城氏の『沖縄戦を考える』から次の部分を引用して、大城氏は「軍命を否定した」と主張している。

<曽野綾子氏は、それまで流布してきた赤松事件の神話に対して初めて怜悧な資料批判を加えて従来の説をくつがえした。『鉄の暴風』や『戦闘概要』などの誤記や矛盾点などを丹念に指摘し、赤松元隊長以下元隊員たちの証言をつきあわせて、自決命令はなかったこと、集団自決の実態がかなり誇張されている点などを立証した。 この事実関係について今のところ曽野説をくつがえすだけの反証は出来ていない。>(『沖縄戦を考える』)

大城氏がこれに反論している章に「木を見て森を見ず」という見出しをつけているが、

ある著書を引用する場合、本全体(森)は引用するのは不可能なので、重要な結論部分(木の幹)を引用するのは議論の常套手段である。

よくあるパターンの「○○著の『○○』を読め」では、反論はおろか議論にもならない。

核心を突かれて「木を見て森を見ず」と逃げるのは、林教授の「抗弁」に負けない詭弁である。

何しろ自分の「転向」の強弁を出版して金儲けするくらいだから、流石は作家と感心してしまう。

大城氏は、上記引用の自己の文章に続いて、次のような「強弁」を続ける。

<いま読み返すと『ある神話の背景』に随分甘い点数をつけたものだと我ながら恥ずかしくなるのが、しかし右(上記引用文:引用者注)に引用された文章を評価する場合は、当時の沖縄戦研究をめぐる状況を考慮に入れていただく必要がある。 『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。同書の巻末の参考文献一覧に示してあるように、『青い海』(775月号)に掲載された「慶良間島の惨劇」それである。 この文章を書いた1977年は復帰後5年、『ある神話の背景』が発行されて4年後、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』が刊行されてから3年という時期である。沖縄戦に関する記録・調査・研究に立って、「慶良間島の惨劇」の文中で私はこう書いている。
「慶良間島の戦争体験の全体像をゆかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか」
じっさい私自身、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』の編集を終えて3年経っていたが、調べれば調べるほどいまだ道遠しという感は深まるばかりで、県史の沖縄戦関係3巻で終わらせることに不満が残っていたのである。>(『沖縄集団自決の真実と歪曲』高文研)

大城氏は「『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。」と強弁しているが、本の出版はその本に記載されている文章から読者が受け取るものこそ著者の主張であり、その他の巻末掲載の参考文献などは著者の主張を証拠立てる参考資料に過ぎない。

それを、後になって「実はもとになる論文がある」なんて言われても読者にとっては知ったことではない。

これは『沖縄ノート』の読者に対して「『罪の巨塊』とは、実はもとになるラテン語の単語があり、辞書の二番目の訳語の他殺体という意味云々」と、恥もなく言い訳するノーベル賞作家と同じ論法である。

それで、その論文にはどのように書いてあるかというと、ますます自身の「転向」を証明する記述になっているので呆れてしまう。

本人が言う論文「慶良間島の惨劇」には、引用をあえて繰り返すと、こうある。

慶良間島の戦争体験の全体像をつかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか

これはどう読んでみても、従来の(『ある神話の背景』発刊以前の)沖縄戦記録のズサンさに対する大城氏を含む沖縄の研究者の反省と懺悔の言葉である

このように『ある神話の背景』に対して全面降伏ともいえる文章を書いておきながら、「集団自決訴訟」が始まるや瞬時に「転向」して被告側応援に加わる変わり身の早さには脱帽するしかない。

しかも、自著が原告側の証拠者類として提出されるや、それに対する反論の本を出版し、その反論と称する内容が反論どころか転向の証明だとしたら呆れて言葉を失ってしまう。

これを更に批判したら更に、再反論の出版を続けるのだろうか。

金儲けのネタは何処にも転がっているものである。

大城氏は自分の「転向」の弁明を活字にすると、更なる墓穴に繋がるとでも思ったのか200710月に東京で行った講演会で、次のような愚にもつかない弁明をしたらしい。

裁判の原告は、大城氏が、自ら執筆した「沖縄県史」において隊長命令のことを覆したと主張している。そんなことはありえない。単に主張だけなら自由だから、「研究紀要」に掲載されただけだった。(沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3

「単に主張だけなら自由」だとか、「掲載されただけ」とか、このお方本当に研究者なのだろうか。

被告側応援団である大城氏の弁明の出版は、法廷の証言の一か月前に「転向」し、その転向の弁明本を出版した宮城晴美氏とも相通ずるものがある。

 

 

 

曽野綾子著『ある神話の背景』が出版され、仲程昌徳琉球大学教授が、沖縄タイムスの軍命論を真っ向から批判し『鉄の暴風』の書き直しが必要とのべた。

そして仲程教授の軍命批判に追従する「識者」が続出した。

作家で沖縄戦の研究家である「軍命派」の大城将保氏は意見が二転三転し、結局元の「軍命派」に立ち戻った。それだけ『ある神話の背景』の衝撃が大きかった証拠である。
 

■大城将保氏の「転向」強弁の本■

大城氏は原告弁護団が氏の著書『沖縄戦を考える』を原告側証拠品として提出したことに対して、その後証言を翻した。

更にそれをネタに『沖縄集団自決の真実と歪曲』を出版した。 

沖縄戦記なら何でも出版のネタにするところは、流石は作家と恐れ入るが、その研究者らしからぬ強弁ぶりは、作家の大先輩大江健三郎氏を見習ったのか。

原告側徳永弁護士は雑誌「正論」の論文で、大城氏の『沖縄戦を考える』から次の部分を引用して、大城氏は「軍命を否定した」と主張している。

<曽野綾子氏は、それまで流布してきた赤松事件の神話に対して初めて怜悧な資料批判を加えて従来の説をくつがえした。『鉄の暴風』や『戦闘概要』などの誤記や矛盾点などを丹念に指摘し、赤松元隊長以下元隊員たちの証言をつきあわせて、自決命令はなかったこと、集団自決の実態がかなり誇張されている点などを立証した。 この事実関係について今のところ曽野説をくつがえすだけの反証は出来ていない。>(『沖縄戦を考える』)

大城氏がこれに反論している章に「木を見て森を見ず」という見出しをつけているが、

ある著書を引用する場合、本全体(森)は引用するのは不可能なので、重要な結論部分(木の幹)を引用するのは議論の常套手段である。

よくあるパターンの「○○著の『○○』を読め」では、反論はおろか議論にもならない。

核心を突かれて「木を見て森を見ず」と逃げるのは、林教授の「抗弁」に負けない詭弁である。

何しろ自分の「転向」の強弁を出版して金儲けするくらいだから、流石は作家と感心してしまう。

大城氏は、上記引用の自己の文章に続いて、次のような「強弁」を続ける。

<いま読み返すと『ある神話の背景』に随分甘い点数をつけたものだと我ながら恥ずかしくなるのが、しかし右(上記引用文:引用者注)に引用された文章を評価する場合は、当時の沖縄戦研究をめぐる状況を考慮に入れていただく必要がある。 『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。同書の巻末の参考文献一覧に示してあるように、『青い海』(77年5月号)に掲載された「慶良間島の惨劇」それである。 この文章を書いた1977年は復帰後5年、『ある神話の背景』が発行されて4年後、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』が刊行されてから3年という時期である。沖縄戦に関する記録・調査・研究に立って、「慶良間島の惨劇」の文中で私はこう書いている。
「慶良間島の戦争体験の全体像をゆかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか」
じっさい私自身、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』の編集を終えて3年経っていたが、調べれば調べるほどいまだ道遠しという感は深まるばかりで、県史の沖縄戦関係3巻で終わらせることに不満が残っていたのである。>(『沖縄集団自決の真実と歪曲』高文研)

>『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。

本の出版はその本に記載されている文章から読者が受け取るものこそ著者の主張であり、その他の巻末掲載の参考文献などは著者の主張を証拠立てる参考資料に過ぎない。

それを、後になって「実はもとになる論文がある」なんて言われても読者にとっては知ったことではない。

これは『沖縄ノート』の読者に対して「『罪の巨塊』とは、実はもとになるラテン語の単語があり、辞書の二番目の訳語の他殺体という意味云々」と、恥もなく言い訳するノーベル賞作家と同じ論法である。

それで、その論文にはどのように書いてあるかというと、ますます自身の「転向」を証明する記述になっているので呆れてしまう。

本人が言う論文「慶良間島の惨劇」には、引用をあえて繰り返すと、こうある。

慶良間島の戦争体験の全体像をつかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか

これはどう読んでみても、従来の(『ある神話の背景』発刊以前の)沖縄戦記録のズサンさに対する大城氏を含む沖縄の研究者の反省と懺悔の言葉ではないか。

このように『ある神話の背景』に対して全面降伏ともいえる文章を書いておきながら、「集団自決訴訟」が始まるや瞬時に「転向」して被告側応援に加わる変わり身の早さには脱帽するしかない。

しかも、自著が原告側の証拠者類として提出されるや、それに対する反論の本を出版し、その反論と称する内容が反論どころか転向の証明だとしたら呆れて言葉を失ってしまう。

これを更に批判したら更に、再反論の出版を続けるのだろうか。

金儲けのネタは何処にも転がっているものである。

大城氏は自分の「転向」の弁明を活字にすると、更なる墓穴に繋がるとでも思ったのか2007年10月に東京で行った講演会で、次のような愚にもつかない弁明をしたらしい。

≪●裁判の原告は、大城氏が、自ら執筆した「沖縄県史」において隊長命令のことを覆したと主張している。そんなことはありえない。単に主張だけなら自由だから、「研究紀要」に掲載されただけだった。(沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回)≫

「単に主張だけなら自由」だとか、「掲載されただけ」とか、このお方本当に研究者なのだろうか。

被告側応援団である大城氏の弁明の出版は、法廷の証言の一か月前に「転向」し、その転向の弁明本を出版した宮城晴美氏とも相通ずるものがある。

■もう一人の「最強転向者」■

既に亡くなった方なので失念していたが、

もう一人強力な「転向者」がいた!

元座間味村遺族会会長宮村幸延氏は、座間味島の自分が経営するペンションに訪ねてきた梅澤元戦隊長に「軍命を出した」と濡れ衣を着せたことを謝罪し、次のような自筆の「詫び状」を梅澤氏に書いていながら、突然「転向」し、「梅沢氏に無理やり泥酔させられて書いた)として前言を翻した。

< 証言  座間味村遺族会長

昭和20年3月26日の集団自決は梅澤隊長の命令ではなく当時兵事主任(兼)村役場助役の宮里盛秀の命令で行われた。之は弟の宮村幸延が遺族補償のためやむを得ず隊長命令として申請した、ためのものであります

右 当時援護係 宮村幸延 捺印

 

梅澤裕 殿

昭和62年3月28日 >
『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編著 PHP研究所)より

 

「集団自決」問題では「転向」する人物が多いと縷々書いてきたが、自筆捺印の「詫び状」まで書いていながら、「泥酔していたから」という子どもでも使わない言い訳で「転向」した当時座間味村援護係の宮村幸延氏も「最強の転向者」の一人に加えてよいだろう。

それにしても、裁判長がこんなミエミエの言い訳を信じたことも、「集団自決訴訟」七不思議の一つである。

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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うらそえ文藝 第14号 

 

 

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コメント (6)

「軍事目標に隣接」と危険視 八重山病院跡地の病院開設に 内原市議八重山病院跡地の病院開設に 内原市議

2022-12-17 04:43:10 | 政治

 

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こういう極左運動家って軍事目標として病院に隣接する自衛隊宿舎を攻撃してくる方=侵略者は絶対に非難しないんだよね。なんで攻撃される方が遠慮しないといけないんだか。

共産主義者によって外乱誘致は二段階革命論の中核だから、侵略者=中共には絶対に文句を言えないもんね。

日本全国の病院施設を禁止しなければならない。

「軍事目標に隣接」と危険視 八重山病院跡地の病院開設に 内原市議



bqu*****
bqu*****35分前
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最前線になりうる場所でも住民の医療や生活よりイデオロギーを押し通そうとする市議がいるのですね。



naka*****27分前
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媚中派のこの議員さんのところは、攻撃されないから、
この議員さんの自宅の隣が、安全地帯じゃないのか??


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15

うーん

aux*****
aux*****27分前
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自分が住んでいる地域の立場というのを理解できていない島根性丸出しの市議さんですね。自衛官も国民なのですが…


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うーん

kn_*****
kn_*****1分前
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軍事目標になると言う指摘は間違ってない


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うーん

has*****
has*****30分前
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日本に軍は無いのに愚かな野党議員は架空の並行世界でも見てんのか?


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15

うーん

gok*****
gok*****16分前
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流石は 超媚中派議員 ですね(大笑)
何も無い丸裸の所には攻めてこないという考えには頭が下がります。
中国が今まで隣接軍隊の無い、又は軍事施設無い様な所を侵略したことが無い、しないと本気で考えておられるのですね。
この様な方ばかりなら全世界は平和ですよね。
この方の家、敷地には塀どころか鍵も掛っていなくてオープンで誰でも自由に出入り出来るのですね。

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星雅彦氏の出版記念パーティに第三の奇人登場「沖縄戦の真実」を公表したばかりに

2022-12-16 17:30:19 | ★原稿

 

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加齢とともに考え方が固くなるのは人間の常。 典型的頑固おやじにありがちだ。

だがこの頑固おやじ、後で自分の間違いに気が付いても引っ込みがつかなくなり、老害と言われ始める。 そして上げた拳の下ろしどころを見失い、結局白でも黒と押し通してしまう。 

老害の典型だ。

これは老いていく人間の哀しい性でもある。

だが、老害は老人たちの専売ではない。

老若男女、老害はだれにでも起きる。

特に沖縄では、偏向新聞の記者に老害の症状が顕著だ。

イデオロギーで硬直した沖縄2紙の記者はまだ若いだろう。

肉体的老化と思考の老化は必ずしも一致しない。

肉体的に若くても思考は急速に硬直し、老化する。 常日頃自分の意見は常に正しいと信じている新聞記者、特に沖縄の新聞記者に顕著な例がみられる。

彼らは一旦自分が白と主張したら、後で黒と分かっても白だと押し通してきた。

辺野古の反基地活動家による座り込みに関するひろゆき氏の意見は真っ当であり、「座り込み」の実情を報道しなかった沖縄メディアにも責任の一端はある。

従って「誤解されないように表示を訂正すべき」と主張するひろゆき氏の提言を素直に受け止めておけばこれほど問題は炎上しなかった。

沖縄メディアが頑なに反基地活動家の言動は正しい、と老害をまき散らし、結局沖縄の米軍基地問題の虚構を全国に知らしめた。

次に沖縄の新聞が報道する硬直した意見の典型は、『鉄の暴風』の内容が正しいという報道だ。

沖縄タイムス編著の『鉄の暴風』は著者太田良博記者が、一度も現地取材することなく、見てきたような「講談」の類であることは、良識ある読者なら誰でも分かることだ。
 
その根拠を示そう。
 
➀著者の太田は集団自決の現場に取材することなく僅か3カ月で書き上げた。
②証言提供者は「身元不明」(➀の「伝聞取材」という批判に、「沖縄タイムスが集めた証言者から取材した」と太田は反論)
③取材メモはない
④直接取材した山城安次郎は座間味島集団自決の体験者であり、渡嘉敷島集団自決の体験者ではない。
⑤山城の取材を基に「梅澤不明死」の記事を書くが、これは伝聞と太田自身が自白。
⑥渡嘉敷島集団自決を体験していない山城の証言を基に、「赤松の暴状」を「見てきた」ように書いた。
 
              ★
先日沖縄の2奇人について紹介したが、その奇人の一人星雅彦氏の最近の著書『沖縄独立と憲法改正』(アートヴィレッジ出版)の出版記念パーティが行われ、仲程昌徳琉球大学が挨拶をした。
 
沖縄の奇人の筆頭であるドキュメンタリー作家上原正稔氏が指摘するように沖縄で捏造新聞沖縄タイムス、琉球新報に反旗を翻すと職を失う恐れさえある。
 
上原正稔、星雅彦の両奇人は「沖縄戦の真実」を公表したばかりに沖縄メディアに連載中の特集記事を全て廃止され、目下失業中である。
 
そんな閉ざされた言論空間の中に在る沖縄で、仲程教授は曽野綾子著『ある神話の背景』が出版された際、次のように沖縄メディアが捏造した「軍命の嘘」を真っ向から否定した。
 
筆者が仲程教授を第三の奇人にカウントする所以である。
 

仲程昌徳琉大教授はつぎのように述べている。

〈ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつき崩していくことであった。そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚(かんぷ)なきまでにつき崩されて、「命令」説はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改訂をせまられたのである〉としている。さらにまた、仲程氏はつぎのように書いている。

◇定説化をおそれる

〈曽野は、そのことに関して「いずれにせよ、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で固定されたのであった」と記載に対する重要な指摘をする〉

このように、『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録が、直接の体験者でない者からの伝聞証拠によって書かれたというのが『ある神話の背景』の論理展開の上でのもっとも重要な土台になっており、それが、そのまま信じこまれているのである。

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コメント (2)

正体現した琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て」→ ネット『正体現したね』『オイオイ本物かよ』

2022-12-15 06:48:15 | マスコミ批判
琉球新報「沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て」→ ネット『正体現したね』『オイオイ本物かよ』

治界隈迷言集さんのツイート

正体現したね

 

\関連ツイート

 

 

琉球新報


琉球新報は、沖縄県を中心に発行されている日刊新聞である。株式会社琉球新報社が発行している。
出典:Wikipedia

ネット上のコメント

わ〜お

公安「へぇ…」

どこも味方につけれなそう つけてもそのうち侵略されるきが、、

どれも絶対味方にならないであろう面々

読んで、クスッとしてしまった。

新報ってこんなこと言ってるんか ほんとに同じ県民が書いてるのか…? 信じられん

思想強すぎやろ

 
 
 
 国際

【島人の目】苦難覚悟で沖縄独立も

辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を造る」と沖縄を愚弄(ぐろう)する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を覚悟で独立を志向したほうがいいのかもしれない。その場合、沖縄が味方に付けるべき相手は中国、ロシア、北朝鮮のうちの1国。または3国全て。

 民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り、彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。懸念は沖縄がそれらの「大国」にのみ込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。沖縄が中国に於(お)ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と肝っ玉が必要だ。

 幸い沖縄には、大国の間隙(かんげき)を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを生かせば道が開けるだろう。だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とは何か? それは過去の世界の国々と同様の、未開で野蛮な独裁国家にすぎない。琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」という枕詞(まくらことば)が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの独裁国家が琉球王国である。

 沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。独立沖縄は民主主義体制の、貧しくても「明るい沖縄共和国」であるべきだ。個人的には僕は沖縄の独立には反対する立場である。だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

 (仲宗根雅則、在イタリア、TVディレクター

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玉城沖縄県知事、言い分が無知過ぎ、最高裁判決に不満、

2022-12-14 00:35:17 | 外交・安全保障

 

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玉城沖縄県知事が最高裁判決に不満、言い分が無知過ぎ

玉城知事の無知に付け込んで無能な弁護団が知事を唆して、県民の血税を浪費させている‥‥これが辺野古訴訟連戦連敗の実態だ。

ひろゆき氏を知事公室長のに任命すれば一件落着である。

 

米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、県が国交相裁決の取り消しを求めた訴訟で、「埋め立てに関する承認などは本来、国が行うべき事務を都道府県が代わりに行なう法定受託事務であり、法定受託事務に関する国の裁決について、違法かどうか都道府県が裁判で争うことは法律上、認められていない」と述べ、県には訴えを起こす資格がないと上告を退けた。 引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/7c7... https://youtu.be/M0HCKf_ckyA  https://youtu.be/Jb1kcDcAyk4 https://youtu.be/T18nYcGHYxw

 

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