狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

★新・沖縄タイムスを恐喝した男!究極の転向者:富村順一、

2022-08-25 08:34:36 | ●●沖縄の黒歴史

 

 

プロフィール画像

 ⇒最初にクリックお願いしま

NO!残紙キャンペーンサイト

読者の皆様へ

昨年来、沖縄タイムス編著『鉄の暴風』による歪められた沖縄戦の歴史を是正すべく、「慶良間島集団自決」を中心に長年当ブログで書き綴ってきた記事をまとめて出版する予定でした。 ところが思わぬ難問が続出して出版の足枷となりました。 まず昨年末から今年の初めにかけて、激しい腰痛を患い寝たきり状態を余儀なくされました。 そのため、ブログを休載したり、今まで経験のないコロナ禍、ウクライナ戦争で思考が乱れ、加えて安倍元首相の暗殺というショッキングな事件でカオス(混沌)に陥り、脱稿が遅れてしまいました。

最後のそして最大の難関が出版費用の問題です。

出版不況の折、すでに忘れ去られた感のある「沖縄集団自決」という地味な問題の出版に興味を示す出版社が無いという現実です。

 

■出版費用の献金のご協力願い

しかしながら、沖縄タイムスが、梅澤、赤松両隊長の名誉を傷つけ、同時に旧日本軍を「残虐非道」と決めつけ、日本を貶める反日史観に対し、已むに已まれぬ思いで、歴史の歪曲に立ち向かう決意です。

出版の目的の詳細は下記引用の「前書き」(※)に、説明してあります。

※★前書き★

つきましては、コロナ不況で経済情勢もきびっし折柄、誠に勝手ではございますが、皆様の献金ご協力を伏してお願い申し上げます。

献金額の多寡は問いませんが、一口1000円以上にして頂けると幸いです。

まことに勝手なお願いですが、宜しくお願いいたします。

狼魔人日記

江崎 孝

お振込先

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 名義:江崎 孝
  • 記号:17050
  • 番号:05557981

 

ゆうちょ銀行以外からお振り込む場合の振込先

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 金融機関コード:9900
  • 預金種目:普通預金
  • 名義:江崎 孝
  • 店名:708(読み ナナゼロハチ)
  • 店番:708
  • 口座番号:0555798

※「前書き」に続き、週一回の割りで本文の一部を抜粋、紹介して、皆様のご理解に供したいと思います。
 

 

究極の転向者:富村順一、新・沖縄タイムスを恐喝した男!

2021-11-18

新・沖縄タイムスを恐喝した男!究極の「転向者」富村順一2009-08-11

■究極の逆転向者ー富村順一■

日頃言論の自由を標榜する沖縄タイムスが、その歴史に致命的汚点を残した事件がある。

沖縄タイムスの御用作家だった富村順一氏から50万円を口止め料として脅し取られた事件だ。

沖縄タイムスが、極左作家富村順一氏の恐喝に屈した理由は、大阪で警備会社に勤務する梅澤元裕元大佐を『鉄の暴風』の記事で「不明死した」と間違って報道した件だ。何しろご存命の方を、「不明死」などとデタラメを書いたのだ。

富村順一氏の恐喝に屈した沖縄タイムスは人目を避けるように「不明死」の記述を削除し口止め料として50万円を脅し取られた。

ところが富村氏は、タイムスの願いを踏みにじって自著で「削除記事」を暴露し大儲けをした。

現在大阪西成区に在住の元極左活動家富村順一氏は、係争中の「大江岩波集団自決裁判」には不自由な車椅子の体を忍て大阪地裁まで来て、梅澤・赤松両元隊長の無実を訴え、大江に謝罪を求める文書を配布した。

左翼に襲われ車椅子生活に!

 

それまでの極左的発言から、ドラマチックな「転向」をし、原告側応援団の仲間入りした富村氏は、それまでの作家として、あるいは沖縄の「文化人」としての安逸な生活を失ってしまった。 

富村氏が「転向」の代償として受けたのは社会的経済的マイナスの他に、「裏切り者」として左翼集団による肉体的暴力だった。その結果現在車椅子生活を強いられている。

富村氏は、左翼集団の暴力により、手にも損傷を受け、原稿を書くことさえママならない状態であるという。

■富村氏が極左作家になった経緯■

富村順一氏は1930年5月3日、沖縄県国頭郡本部に生をうけるが、生来の反抗心から学校でトラブルを起こし小学校二年で放校となる。

【追記】富村氏は2012.04.19に大阪で死亡したとされている。(享年82歳?【追記】2参照)

15歳で終戦を迎えるが、戦後は窃盗、暴力行為と刑務所の出入獄を繰り返し、1955年保釈中にクリ舟で米軍統治下の沖縄を脱出し、奄美徳之島経由で島伝いに鹿児島に上陸する。

以後全国を放浪するがその間も犯罪を繰り返し、各地の刑務所の出入獄をくり返す。

1970年7月8日、「70年安保騒動」に刺激をうけ、「東京タワー占拠事件」を引き起こす。 

その日、富村氏は牛刀二丁を手に、たまたま東京タワー見学中の米人宣教師を人質にとり、タワー特別展望台を占拠して、次のように叫んだ。

「日本人よ、君たちは沖縄のことは口をだすな」

「天皇は第二次世界大戦で300万人を犠牲にした責任をとれ」

「沖縄の女性みたいに、正田美智子も売春婦になり、沖縄人民のためにつくせ」

結局、逮捕、起訴され、懲役3年の実刑を受けるが、公判中その過激な言動に共鳴した左翼弁護士の支援団体が結成され、獄中で弁護団と交した手紙が『わんがうまりあ沖縄」(富村順一著 拓植書房 1972年)として出版されることになる。

出版日が沖縄返還の日の直前という話題性と、特異な犯罪を起こした沖縄出身者という好奇の目もあったが、そのたどたどしい日本語の文体をそのまま校正なしに出版したことが読者の興味をそそり、この手の本には珍しく重版を続けベストセラーの仲間入りをする。

ちなみに同書の前書きには「富村公判対策委員会 富村順一手記編集委員会」の名で次のような解説が付いている。

<○原文中、ら行とだ行の置き換えが、たとえば「やられる」が「やだでる」のように用いられています。これを17頁~35頁までの間のみ、ルビをつけ例としました。 それ以降は原文のままにしておきました。

○原文の漢字の誤用はカタカナに書きかえました。しかし、これはすべてではなく、誤解をまねくものを主にし、本人の原文中、カタカナで記されているものとの区別はつけません。

○送りガナはあえて統一しませんでした。

○原文中、促音がないものが大部ありますが、それも原文のままです。

○原文中、「   」の部分を傍点をつけ、「    」をはずしました。>

支援弁護団と出版社の描いた「小学校もろくに出てない虐げられた沖縄人が書いた日本に対する抗議の書」、といったイメージは見事成功した。

同書の成功以後極左集団の支持を受け、次々とサヨクが狂喜するような過激なテーマの出版を続け、沖縄に戻っても沖縄タイムスを始めとする左翼メディアや左翼文化人にちやほやされ、講演会や執筆活動に追われるようになり、すっかり沖縄左翼のヒーロー的存在になる。

富村氏の著作を拾ってみても沖縄の左翼文化人が喜ぶような過激なそのタイトルが並んでいる。

『沖縄にとって天皇制とは何か』沖縄タイムス社 編。 沖縄タイムス社。 1976。 タイムス選書 

『沖縄戦語り歩き 愚童の破天荒旅日記』 富村 順一 編著。 柘植書房。 1995。 

沖縄戦に散った愛 天皇の押し花になった子供たち』 富村 順一 著。 JCA出版。 1982。 

『隠された沖縄戦記』 富村 順一 著。 JCA出版。 1979。 

『韓国の被爆者』 富村順一 著。 JCA出版。 1980。 

皇軍とアイヌ兵 沖縄戦に消えたアイヌ兵の生涯』 富村 順一 著。 JCA出版。 1981。 

最敬礼拒否の足跡 戦犯天皇を裁く』 富村 順一 著。 破防法研究会。 1974。 

『十字架と天皇。 富村 順一 著』 たいまつ社。 1977。 (たいまつ新書18)。

富村順一氏意見陳述集 「東京タワー事件」』 富村 順一 著。 富村公判対策委員会。 1971。 

もう一つのひめゆり部隊 -戦後沖縄の売春婦-』 富村 順一 著。 JCA出版。 1982。  

 『琉球慰安婦 天皇制下の闇の性』 富村 順一 著。 JCA。 1977。  

 『わんがうまりあ沖縄 富村順一獄中手記』 富村 順一 著。 柘植書房。 1972。 

                    ◇

富村順一氏の人となり知るための参考に、本人を良く知ると思われる人物のネット記事を次に紹介する。

ニホンの夏を駆け抜けた三人との出会い(転載)

毎年この時期になるとなぜか三人の人間のことをおもいだす。ひとりは沖縄人であり、ひとりは日本人であり、そしてもうひとりは韓国人だ。ふたりはすでに故人となられ、もうひとりは消息が掴めない。▼最初に出会ったのは沖縄生まれの富村順一というヤクザものだった。二十代初めのころのことだ。どのような経緯から知り合うことになったか判然としないのだが、当時さかんにおこなわれていた新左翼系の集会の場ではなかったか。ごつい身体に野獣のような精気をみなぎらせ真っ黒に日焼けした四角い顔で手刷りのパンフをひとり頒布していた。パンフには『死後も差別される朝鮮人』というおだやかならざる表題が付いていた。好奇心から手にとってみた、そこには沖縄の離島のひとつで第二次大戦末期に日本軍によって島の住民多数が虐殺された事件のことが記されていた。そのなかには乳児までが日本軍によって斬り殺された在日朝鮮人一家・具仲会さんの名前があり、彼が訴えていたのは、そのことだった。「オレは沖縄人だが、在日朝鮮人は日本人に差別され沖縄人にも差別されている、住民虐殺のあったその島でも朝鮮人故に同じ虐殺遺族の人たちからも避けられてしまって居るんだ、二重三重の差別の実態をオレは告発したい」と富村はわたしに熱っぽく語りかけた。そうしたことからわたしも彼の運動に協力することになったのだった。▼沖縄出身のフリーライターの友人が居て彼もまた富村の主張に共鳴し参加した。やがて運動はひろがって、虐殺の地に無念の想いのままに死んでいった被害者たちの石碑を建てることになった。それはけして「慰霊の碑」ではない、むしろ死んでいった人びとの恨みを刻んだものであるべきだということになり、『痛恨之碑』と名付けることになった。

                   *

 
嘗て「東京タワ-事件」というのがあった。1970年7月8日の『朝日新聞』に「8日午前11時半ごろ、東京芝公園の東京タワ-特別展望台(地上250メト-ル)のエレベ-タ-前で、男が刃物を持ち『韓国人と20歳以下の者はおろしてやるが、日本人と、アメリカ人はおろさない』とわめいていると愛宕署に連絡があった。20人ほどいた客をエレベ-タ-で降ろしはじめたとき、男は新潟市の日本ル-テル教会宣教師ヒンズ・ダビテさん(39)のところへ男がかけより、ダビテさんの首に刃渡り20センチの包丁をつきつけた。愛宕署員が『刃物を捨てろ』と説得する一方で、さらに応援がかけつけ、約15分後にすきをみてとびかかり、警棒で包丁をたたき落とし、脅迫、銃刀法違反で逮捕した。調べに対し男は沖縄・本部東区富村順一(40)」と報じられていた。
1972年発行の富村順一公判資料『怨念は永遠に』によれば、事件当日の富村はシャツに「日本人よ君たちは沖縄のことに口を出すな」「天皇は第二次大戦で200万人を犠牲にした責任をとれ」と書いていたという。また、意見陳述では『天皇の娘である島津貴子や皇太子の妻美智子も皇后も、天皇や皇太子の前で米軍に強姦させてみたい」と述べたという。
 
私はこの資料を『青い海』大阪編集室で見た。編集長の津野さんから色々来と話を聞かされたが私には関心がなかった。あんなことで世の中が変わるのか、というのが正直な感想であった。大阪でも沖縄でも敬愛する先輩たちが富村裁判の応援に名前を連ねていた。
1974年発行の沖縄婦人連絡会議なるビラには「富村の女性解放への敵対を糾弾する、
また、白老出身のアイヌ・ウタリは「どうか我らウタリよ、この富村順一なるシャモ(蛆虫)にだまされないでください」などと富村への批判が続出した。
私は、1989年ごろ、大阪ナンバ高島屋前で富村順一を見かけるようになった。このとき貰った名刺には『新日本文学会/富村愚童」とあった。駅のタバコ自動販売機でピ-スを買ってあげると色々と話(「新川明の弱みをにぎっている」など)をしてくれたが、詳細は省く。数日後、富村は自分の本の宣伝をしながら、自分が載っているいる新聞記事(新聞名不詳)コピ-をくれた。新聞記事の題は「さがし続けた夏」で「富村順一、沖縄出身。62歳。かつて、新左翼から「反権力」の象徴にまつり上げられたことがある若いころは、ならず者だった。胸に骸骨、背中に竜の入れ墨がある。『骸骨の順』と呼ばれた。(略)
 
【おまけ】
沖縄タイムス・コラムに掲載された富村順一氏に関する記事。
1973年は沖縄返還の翌年である。
 

1973年6月22日http://www4.ocn.ne.jp/~toguchi/tomimura.html

  沖縄タイムス  唐獅子

  意識した熱狂を

 

わたしでないわたしが走り出し、ブレーキがきかなくなり、意味のわからないことを口走り、行動をとり始める。いま思うと、子どものころからその傾向があったが、政治運動に参加するようになってから、とみに顕著になった。

60年安保闘争のころ、学生大会や政治集会においてもそうであったし、市議会議員に立候補したのも、その後の諸々の闘争においても<いけない、いけない>とブレーキをかけても、暴走するのが常であった。 そんな自分に気付き、壁に<衆人みな酔い、われひとり醒めたり>と<闘いの中にあり、闘いの外に立つ>を貼ったが、結果はやはり狂気じみたものであった。

マックス・ヴェーバーが「職業としての政治」で述べている<政治状況への冷徹な厳しい認識><いかなるものにも挫折しない堅い意志>を持つ職業政治家(革命家)というものに、わたしは、羨望しつつも冷徹で透徹した頭脳による醒めた判断と行為、<白鳥の声など聞こえない(庄司薫)><狼なんかこわくない>といいきれるそのさまに、どうにもやりきれない嫌悪感と劣等感を抱く。

ところで、沖縄の政治(革命)家は、どうであろうか。憤死した謝花昇、「ズル顕」こと宮本顕治にまんまとやられた徳田球一、東京タワー占拠事件の富村順一、二宮尊徳像破壊の大城俊雄、皇居突入の沖青委、国会正門激突死の上原安隆、国会への爆竹投下の沖青同。彼らに共通した沖縄的なものがありはしないか。政治外の日常生活においても、衝動・唐突、大胆・狂気としか思えぬ行動をある日突然行う傾向を沖縄の民は多く持っているのではないだろうか。ロシア革命での作家ゴリキーの悲鳴に似た心やさしいひよわさ、私小説風にいえば、破滅型としかいいようのない傾向を沖縄の民は宿命的に持っているのではないだろうか。お人好し丸出しで痛々しい屋良朝苗知事、背伸びしながらシドロモドロな演説をする国場幸昌議員、両氏の演説の中に自分自身の類型を発見しない沖縄の民は少なくないだろう。

先日、石川県金沢市で富村順一氏から渡された小論文の題名が『浮んだ舟は走る』。わたしは中野重治の『歌のわかれ』を思い浮かべながら、「こんな歌をうたってはいけませんよ」といったが、富村氏の言動に自分自身の多くを見た嫌悪感がいわせたものだった。

さて、沖縄の民は、冷徹な立ち振る舞いなど出来ないのだから、貧乏くじ引き引き意識しながら、熱狂であろうではないか。

 

【追記】2

ブログ「富村順一死す | 無恥無情/『大阪府警の隠し事』の2012.04.19 に富村の死亡が載っている。

いつまで経っても、彼の死亡情報がネット上に現れないので、本ブログで述べておく。平成13年秋の生活保護法による保護決定から十有余年に及ぶ生活・住宅・医療扶助を受けつつ、何不自由のない生活を大阪市西成区にて送っていた富村順一は、同区梅南2にある借家を終の棲家として、この冬に死亡した。晩年には車椅子生活となり、昨秋までは電動式のそれを駆って、早朝に自宅を出て勝間街道を北上、鶴見橋商店街を東進して国道26号線を越え、あいりん地区(通称・釜ケ崎)にある労働センター付近を徘徊して露店で買い求めた弁当類を付近の公園や南海電鉄の高架下あたりで食して朝食をすませるという生活を続けていた。

【追記】3

 

【おまけ】

沖縄集団自決の真実

「沖縄人の見た沖縄戦」①

――座間味戦の裏側にあるもの――

 

ルポライター(沖縄県国頭郡出身)   冨村順一(大阪市西成区77歳)

 

平成20年1月10日  昭和史研究所会報 第129号

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

残されたわずかな時間の中で歴史の証言を収集記録し、後世に伝えます。

これは本来国家のなすべき事業なのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〔解説〕

平成19年11月9日、大阪地裁。大江・岩波裁判の日。

傍聴券を求める人々の中に車椅子の人物がいた。

この人が配布したA4判3頁の文書は、梅沢・赤松両元隊長の無実を訴え、

大江健三郎に謝罪を求める切々率直な内容のものであった。

 

この人こそ誰あろう。

かつては左翼反戦平和運動に携わりながら、梅沢裕隊長の「自決命令」の

なかったことを知るや、翻然梅沢氏弁護の運動を開始し、それが宮崎初枝

女史の告白を決意させ、また神戸新聞に「梅沢隊長の命令なし」の記事

を掲載させるきっかけをつくった冨村順一氏(『隠された沖縄戦記』などの著者)だ。

 

いわば梅沢隊長の冤が晴れる大きな一歩を刻んだ富村氏の正直で義に

強い人柄に、かねて中村は敬服していたが、大江裁判の折に氏の配布した

文書を読んで感銘を新たにし、氏に二、三の質問を含んだ書簡を送った。

 

それに対して11月30日、氏からテープレコーダーに録音した

委曲を尽した返事を頂戴した。貴重な体験と証言を含む内容なので、

一部を割愛して掲載させて頂くことにした。(中村)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〔註〕「中村」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E7%B2%B2

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★以下、富村順一氏のテープおこしの本文です。★

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 中村先生、今晩は。

先生からの御手紙を拝読し、直ぐに手紙を出そうと思いましたが、

何分にも手足が不自由で遅れたこと申し訳ありません。

 

話は違いますが、近所に梅南座という芝居小屋があります。

そこの主は沖縄出身の渡口さんというお婆ちゃんです。

このお婆さんは、娘さんやお孫さんも毎日のように私の家に来て

よく私の面倒を見てくれます。

そのような方ですから、私は先生から来た御手紙を劇場のママに見せました。

ママが「返事を書いたのか」と聞くので、ヘルパーに代筆を頼んで、

毎日四、五枚づつ書いていると話したところ、「このように大切なことは

ヘルパーの代筆では駄目だ。

貴方は手足は不自由でも口は利ける。

録音を取って生の声を包み隠さず、テープで差し上げなさい」と仰有った

ので、「テープレコーダーがありません」と話したところ、ママが

「じゃ、買えばいいんじゃないか」と仰有ったので、「そのようなお金は

ありません」と云ったところ、「じゃ、金は私が出すから録音テープで

自分の気持を先生に伝えた方がいい」と仰有って金を置いて行って下さった

ので早速テープレコーダーを買い、録音で先生に座間味戦記のことを

お伝えしようと思っています。

 

大城明さんの自殺

 

 私はここ十四、五年間、大衆の前へ出たことがありません。

故に梅沢さんはじめ私の知ってる方には、

私が死んだという噂が飛んでいる現在です。

何故、そのような私が今頃、大江裁判傍聴に行こうと思ったのか、

訳があります。

 

 一昨年(平成17年――中村)の10月1日、大阪西成区の津守公園で

大城明さんという沖縄出身の方が自殺いたしました。

彼は若い頃、ベトナム戦争反対、基地反対、部落開放運動なんかに

首を突っ込んでました。また非常に読書家でもありました。

 

 彼が自殺一週間前、突然私の家に来たのです。私の家に来るなり跪いて

「富村さん、本当に申し訳ありませんでした。

富村さんが練馬区の元町公園で二匹の犬と野宿しているときに、

夜六人の仲間と一緒に襲い、二匹の犬を殺し、富村さんに怪我をさせ、

富村さんが車椅子の生活をするようになったのは私達です。

私がそのリーダーでした。

その理由は、富村さんが書いた「座間味戦記 / 梅沢隊長は生きている

――自決命令はなかった」という『隠された沖縄戦記』を読みました。

沖縄には沖縄の偉い大学の先生や文化人が書いた『鉄の暴風』、

沖縄県教職員組合が書いた『沖縄戦の真相』、『沖縄県史』がある。

それらは何れも自決命令で、梅沢隊長は従軍慰安婦と爆死したことになっている。

 

だが富村さんは「隊長は生きている」と云う。

富村さんは右翼から金を貰って嘘の本を書いたに違いない。

このような沖縄人はいない方がいい。

二度と本を書けないようにしてやろうと、富村さんを襲い、袋叩きにしたのは

私達で、そのリーダーが私でした。本当に申し訳ありませんでした」

と云いながら鞄から一冊の本を取り出しました。

 

宮城晴美さんが書いた『母の遺したもの』という本でした。

十年以上も本と縁がなく、新聞も余り読みませんでしたので、

この本が出ていることも全く知りませんでした。

 

その本をテーブルの上に置き、「梅沢さんは自決命令を出していない、

ましてや、死んだといわれた梅沢さんが健在であることを知りました

。自分たちは取り返しのつかないことをしてしまった。

富村さん、本当に申し訳ありませんでした」と跪いて詫びたのです。

 

余りに突然のことで、私も宮城晴美さんが本を出したことも知らず、

どのように大城君に返事をしていいやら、言葉を失い、黙っていると、

大城君が

「富村さん、近い中に私は本を読めない所へ行くんだ。

富村さん、この眼鏡はフランス製です。いい眼鏡です。

もしレンズが合わなければ、レンズだけ替えてお使い下さい」

と眼鏡をテーブルの上に置きました。

彼は読書家でもあったので、私は「じゃあ、お前は好きな本を読まないのか」

と云ったところ、「本を読めない所へ行くんだ」と――。

 

 私はその意味をすぐには理解できませんでした。

それから一週間ほど経って、彼の友人が私の家に訪ねてきました。

 

 「実は大城明さんが自殺しました。

彼の部屋に富村さん宛の手紙がありました」と云いました。

彼はその手紙で何度も何度も「申し訳ありませんでした」と詫びていました。

またお母さん達にも、富村さんに迷惑をかけたから、お詫びするようにと

遺言があったようです。

その後、大城君のお母さんやお姉さんからも電話がありました。

「申し訳ない。何か困ったことがあったら連絡下さい。

可能なことはして上げます」ということでしたが、

私は「何も困っていません」と申し上げてお断りいたしました。

 

私は大城さんの自殺を考へ(ママ)た場合、まだ沖縄戦は終わって

ないんだと思うと同時に『鐵の暴風』や沖教組が捏造した

座間味戦記を書かなければ、このような自殺は出なかった訳です。

故に私は仮(たと)え手足が不自由でも、車椅子で外へ出かけることが出来る、

今度の大江裁判でも傍聴して、加納であれば事実を訴えようと思い、

裁判所へ行きましたが、残念ながら、傍聴出来ず帰ってきました。

 

 その後、大阪の関係者から二回ほど話を聞きに来ましたが、初対面であり、

どのような方かよく分からないので一部始終は話していません。

だが、先生のお手紙を読み、劇場のママからも、知ってること思ってる

ことを全部包み隠さず先生にお伝えするようにと云われておりますので、

私も知ってることを包み隠さず先生にお話しようと思います。

⇒最初にクリックお願いしま

コメント (1)

【沖縄県知事選挙2022】玉城氏・佐喜真氏・下地氏の政策発表

2022-08-25 06:36:14 | 政治

 

 

プロフィール画像

 ⇒最初にクリックお願いしま

NO!残紙キャンペーンサイト

読者の皆様へ

昨年来、沖縄タイムス編著『鉄の暴風』による歪められた沖縄戦の歴史を是正すべく、「慶良間島集団自決」を中心に長年当ブログで書き綴ってきた記事をまとめて出版する予定でした。 ところが思わぬ難問が続出して出版の足枷となりました。 まず昨年末から今年の初めにかけて、激しい腰痛を患い寝たきり状態を余儀なくされました。 そのため、ブログを休載したり、今まで経験のないコロナ禍、ウクライナ戦争で思考が乱れ、加えて安倍元首相の暗殺というショッキングな事件でカオス(混沌)に陥り、脱稿が遅れてしまいました。

最後のそして最大の難関が出版費用の問題です。

出版不況の折、すでに忘れ去られた感のある「沖縄集団自決」という地味な問題の出版に興味を示す出版社が無いという現実です。

 

■出版費用の献金のご協力願い

しかしながら、沖縄タイムスが、梅澤、赤松両隊長の名誉を傷つけ、同時に旧日本軍を「残虐非道」と決めつけ、日本を貶める反日史観に対し、已むに已まれぬ思いで、歴史の歪曲に立ち向かう決意です。

出版の目的の詳細は下記引用の「前書き」(※)に、説明してあります。

※★前書き★

つきましては、コロナ不況で経済情勢もきびっし折柄、誠に勝手ではございますが、皆様の献金ご協力を伏してお願い申し上げます。

献金額の多寡は問いませんが、一口1000円以上にして頂けると幸いです。

まことに勝手なお願いですが、宜しくお願いいたします。

狼魔人日記

江崎 孝

お振込先

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 名義:江崎 孝
  • 記号:17050
  • 番号:05557981

 

ゆうちょ銀行以外からお振り込む場合の振込先

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 金融機関コード:9900
  • 預金種目:普通預金
  • 名義:江崎 孝
  • 店名:708(読み ナナゼロハチ)
  • 店番:708
  • 口座番号:0555798

※「前書き」に続き、週一回の割りで本文の一部を抜粋、紹介して、皆様のご理解に供したいと思います。
 
沖縄タイムス紙面掲載記事

[知事選 9・11]3氏、決戦へ討論白熱 公約実現率98% 玉城氏  経済の危機突破 佐喜真氏 国に頼らず成長 下地氏  きょう告示

2022年8月25日 05:00有料

 任期満了に伴う9月11日投開票の第14回県知事選挙が25日告示される。沖縄タイムス社は24日、琉球放送(RBC)、琉球朝日放送(QAB)と共催で、立候補を表明している現職の玉城デニー氏(62)、前宜野湾市長の佐喜真淳氏(58)、前衆院議員の下地幹郎氏(61)による公開討論会を開催した。玉城氏は「公約実現率は98・6%で県政発展の政策を進めた」と実績を強調、佐喜真氏は「経済危機の突破と子ども特区の導入」を掲げ、下地氏は「政治を変え国に頼らず沖縄を成長させる」と訴えた。討論会は沖縄タイムスのユーチューブチャンネルで視聴できる。

(知事選取材班)=4・28面に関連、27日付で詳報

 3氏同士が質問する「クロス討論」では、「辺野古反対を訴えながら埋め立てられた責任は」と問う下地氏に対し、玉城氏は「法律に従い不承認にした工事を進める政府は非常に横暴だ。その政府に従うことは県民も私も絶対に納得しない」と指摘した。

 「2030年までの普天間返還の具体策」を問う玉城氏に佐喜真氏は「普天間問題を一番知り、解決できるのが私だ。那覇空港第2滑走路も工期を短縮したように政府と信頼関係を構築し協議を重ねれば返還は実現する」と訴えた。

 「大浦湾を埋め立てなければ普天間は固定化するのでは」との佐喜真氏の問いに下地氏は「馬毛島に訓練を移すことで訓練は全てなくなる。既に埋め立てられた地にオスプレイを移駐すれば4年以内に全てが解決する」と強調した。

 また、本紙企画「私は聞きたい」で読者から寄せられた質問も取り上げた。公文書管理条例の制定に3氏は意義を認めた上で玉城、佐喜真両氏は「検討」、下地氏は「賛成」とした。

 有権者への訴えでは、佐喜真氏は「平和を守り、経済危機を突破し、県民を分断してきた基地問題を終わらせる」と強調。下地氏は「教育費を完全無償化し、米軍訓練は馬毛島へ移転して辺野古問題を解決する」、玉城氏は「沖縄の魅力を発揮し県民一人一人に光を当て施策を推進する」と訴えた。

(写図説明)政策を訴える(右から)玉城デニー氏、佐喜真淳氏、下地幹郎氏=24日、那覇市久茂地・タイムスビル

         ★

 

 

【沖縄県知事選挙2022】玉城氏・佐喜真氏・下地氏の政策発表

2022年8月18日 13:28

沖縄県知事選挙が9月11日に投開票される(8月25日告示)。立候補を予定している3氏の政策発表の記事をまとめました。

玉城デニー氏の政策

■どんな政策を主張?

玉城氏は、新型コロナウイルス対策と県経済の再生で「県民の命と暮らしを守る政策」を最重視。主要争点となる名護市辺野古の新基地建設については「反対を貫く」とした上で「あらゆる手だてを講じて建設を止めることは可能だ」と強調した。>>続きを読む

■【解説】新基地反対と両立を図る

9月11日投開票の知事選に向け、「オール沖縄」勢力の支援を受けて再選を目指す玉城デニー氏は17日、政策を発表した。真っ先に訴えたのは、新型コロナウイルスで打撃を受けた県経済の再生と子どもや若年層を意識した政策だった。旗印である名護市辺野古の新基地建設反対よりも先に打ち出したのは、コロナ禍で落ち込んだ経済や暮らしの対策を重視したからだ。>>続きを読む

佐喜真淳氏の政策

■どんな政策を主張?

佐喜真氏は、重点政策に新型コロナウイルス感染拡大で打撃を受けた県経済の回復や子育て施策などを掲げた。主要争点となる米軍普天間飛行場問題では、名護市辺野古への移設を明確に容認。埋め立て工期短縮などにより「普天間飛行場の返還を2030年までに実現する」との公約を打ち出した。>>続きを読む

【解説】普天間返還の前倒し主張

沖縄県知事選に向けた政策発表で、佐喜真淳氏は米軍普天間飛行場の返還を2030年までに実現すると打ち出した。現行計画が「最速」で進んでも名護市辺野古の新基地建設の完成は34年。普天間周辺の危険性除去の前倒しを打ち出すことで保守層の支持を固めるとともに、いまだ反発が根強い「辺野古容認」への理解を得る狙いがある。>>続きを読む

下地幹郎氏の政策

■どんな政策を主張?

下地氏は「新しい沖縄をつくる」をテーマに「政府と決別し、みんなで考える政治をする」と強調。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に対し「軟弱地盤は埋め立てさせない」と訴え、新基地建設に事実上、反対した。>>続きを読む

【解説】事実上の新基地反対

9月11日投開票の知事選に立候補を表明している下地幹郎氏が26日、オンラインで政策を発表した。特徴は、普天間飛行場の名護市辺野古移設について「軟弱地盤は埋め立てない」とし、事実上、移設計画に反対したことだ。>>続きを読む

 

                                             ★

下地候補が漁夫の利を狙っているが、実際はデニーvs佐喜眞の一騎打ち。

デニー知事は「あらゆる手段で辺野古阻止」と前回からの公約を繰り返しているが、埋め立ては着々と進んでおり、「辺野古阻止」は誰の眼にも実行不可能。

デニー知事の頼みの綱は019年に実施された移設の是非を問う県民投票で7割超の反対票を得たことを「民意民意」とさけんでいるが。県民投票のまやかしについては【おまけ】参照。

 

沖縄の分断! 県民投票がもたらすもの2018-12-22

欠陥だらけの県民投票。

  1. それを強行すれば何をもたらすか。

沖縄県民の分断である。

 

【視点】県民投票に異論の声相次ぐ2018/12/14

 来年2月24日の「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票」に対し、宮古島市議会が12日、反対する意見書を可決した。県内では石垣市議会、宜野湾市議会に次いで3件目となる。13日には与那国町議会が、県民投票の予算を県内で初めて否決した。県議会で議決された県民投票に対し、市町村が続々と異論の声を上げている状況はどう見ても正常ではなく、この県民投票に大きな欠陥があることを示している。県は県民投票を拒否する市町村の意向を尊重すべきだ。
 宮古島市議会の意見書では、県民投票について「米軍基地建設のための埋め立ての賛否のみを問うものであり、米軍普天間飛行場の移設による危険性の除去について県民の意思は問われていない」と疑問視している。
 この点は解説が必要かも知れない。県民投票の設問は、普天間飛行場の早期返還や危険性除去といった背景には一切触れていない。問題になっているのは米軍基地建設のための埋め立ての賛否のみである。この点について県民投票条例の制定を県に直接請求した団体の代表は「辺野古沿岸埋め立ての権限は知事にある。埋め立てをどうするかは、県民が決めることができる」と説明した。
 県や基地反対派は「米軍基地の県内移設では負担軽減にならない」と主張し続けている。県民投票の設問もこうした考えに沿い、宜野湾市民の負担を軽減する国策である辺野古移設を問うのではなく、辺野古への米軍基地建設を問うという全く別次元のすり替えを行っている。県民投票はいわば政争の具にされてしまっているのであり、そこに多くの県民が違和感を抱いている

 

今回の県民投票は、多数決で民意問うという意味では一見民主主義の体裁をしている。

だが、民主主義の根幹である多数決には一定の条件が不可欠である。

多数決で決める「争点」を有権者に伝える新聞等のメディアが公正な情報を伝えているという条件だ。

今、沖縄二紙を中心に沖縄で展開している報道は、果たして公正といえるか。
 
公正どころか偏向そのものと断言できる。
 
県議会や県、メディア含め、とにかく反対の声で埋め尽くすという手段にみえる。

それも県民投票にはそぐわない県外の活動家や外国の活動家の声を誇大報道しているのが沖縄2紙だ。

過熱化する辺野古移設問題で沖縄そのものの分断化が進んでいると言っても過言ではない。

特に県外の活動家が現地に乗り込み過激な活動をする様子は、だれが何のために運動しているのか不可解であり、到底県民の声を代弁しているとは思えない。

メディアから聞こえてくる「市民の声」は反対一辺倒で心の中で賛成と小さく叫んでいる声はなかなか聞こえてこない。

これが公正な報道体制なのか疑問は尽きない。

このような歪な状況で「2択」の県民投票を強行するならば県民の分断に繋がること必至である。

 

 

自公、沖縄知事奪還へ全力 「辺野古阻止」の玉城氏正念場

配信

時事通信

「辺野古反対が民意」はトリックだ 我々はまた悪夢を見なければいけないのか

平井文夫
平井文夫
地域
  • 辺野古反対は民意だというウソはやめろ  
  • 反対は7割でなくホントは4割
  • また日本の安保を弄ぶ気ですか 

投票結果報道はフェイクニュース

すでに埋め立て工事が進んでいる辺野古の海
この記事の画像(5枚)

初めに言っておくが、 僕は沖縄の人たちが米軍は出ていけと言っていることについて、 住民エゴだとは思っていない。

沖縄に住んでいれば、 なぜ沖縄だけが負担しなければいけないのか、 と怒りを覚えるのは当然だ。ただ、だからと言って、 今回の投票で辺野古反対に入れるかどうかは別の話だ。

一部野党や一部メディアは、 住民投票で、辺野古反対が7割を超えたので、 それが沖縄の民意であり、日本政府は辺野古移転をやめろ、 という趣旨の主張をしている。  しかしそれはフェイクニュースだ。  

トリックに騙されるな

今回の県民投票の有権者は115万3591人。
投票に行った人は60万5385人。 
行かなかった人は54万8206人。

辺野古移設に反対の人は43万4273人
賛成の人は11万4933人
どちらでもない人は5万2682人。

投票に行った人の中で反対の人は確かに7割を超えるが、 全有権者の中の割合を見ると38%、4割弱に過ぎない。 つまり投票に行かなかった54万人を巧妙に無視している、 よくあるトリックだ。

日本の安全保障を弄んだのは誰だ!

ちなみに投票に行かない事は多数意見への白紙委任だと主張する人がいるが、 それは国政選挙など法的拘束力のある投票の場合だ。 今回の投票には拘束力はなく、あくまで 世論の傾向を知事や議会が把握するためのものなのだ。

だから投票に行かなかった人を含め62%が積極的に反対していないのに、 沖縄の民意は辺野古反対だ、と決めつける理由がわからない。

「とうてい許されない状況になった」と発言する立憲民主党・枝野代表

ちなみに旧民主党政権の人たち(連立を組んでいた社民、自由も含む)が、 この間違った前提をもとに だから辺野古はやめろと言っているが いい加減にしてもらいたい。  あなた方が県外だ、国外だ、腹案がある、ごめんやっぱり辺野古だ、などと無責任に日本の安全保障を弄んだことを国民が忘れたとでも思っているのか。

 我々はあの「悪夢」をまた見たくないのだ。 

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】

               ★

ポコちゃま | 3時間前
非表示・報告

自公が「沖縄県知事奪還へ全力」以前に実施するべきことがあります。

米軍基地の辺野古移転を始め自衛隊基地などにも否定的、言い方を変えれば、中国を利して日本の国益を損ねる沖縄県知事はリコールに値すると思います。

返信16

818
49
pas***** | 3時間前
非表示・報告

>>選挙は有権者の判断だ

その通りだと思います。
ですのでマスコミ各社はオール沖縄サイドに偏った報道姿勢を正し、有権者が自分の意思で判断できるような当たり前の環境を実現してください。

返信6

670
29
tho***** | 3時間前
非表示・報告

沖縄タイムスや琉球新報、朝日、毎日、共同通信
予想通り今回の選挙結果をダンマリしすぎで分かりやすいですよね。こんなの見てると、何故左翼の人達や売国メディア組織が外国人参政権を作りたがるか、改めて多くの日本人は分かったことでしょう…
更に言うならば、外国人参政権や多文化共生などと言ってる立憲民主党や共産党、社民、れいわ、それと一緒に活動するメディア組織、各地方自治体に入り込んでる左翼の活動家、中には教職員も居ますよね、これら戦後の負の遺産に対してどうやって対処していくかなんです。

返信1

439
18
sansan | 3時間前
非表示・報告

敗因について、玉城氏支持の県議は「市民も工事が続く状況に慣れてしまった」とうなだれた>>

敗因なそんなことではないと、思います。
現状を認識できていないので、正しい方向に転換することもできないでしょう。支持回復も難しいでしょう。

返信2

309
17
kop***** | 3時間前
非表示・報告

玉城デニー氏は291件の公約を掲げて知事に当選したが、昨年10月の段階で公約達成したのはたったの5件、公約達成率は1.7%という悲劇的な状況だ。

常識的に考えれば失政レベルと言える。

選挙戦でこの点を突き、現実的な政策を主張していけば、知事選で辺野古云々言う前にデニー氏を落選させることが出来ると思われる。

返信0

267
7
ss2***** | 3時間前
非表示・報告

年齢別の投票率が出ているが、左傾しているのは70歳以上の高齢者。
若い人達ほど、現実的な思考をしている。ネットによる、多くの情報を得ているからでしょう。
あと数年、時が過ぎれば沖縄も大きく変わるでしょうね。

返信2

242
5
dai***** | 3時間前
非表示・報告

さてさて活動家の皆さんは忙しくなりますね。選挙人名簿に登録されるため急いで住民票を沖縄県に移して投票権をえないといけませんね。でもそれは本当の沖縄県民の民意ではないのですよ。

返信0

288
15
death_***** | 3時間前
非表示・報告

問題は玉城知事に対抗できる玉があるかどうかだけど、今の段階で見つかってないなら厳しいかも。知名度があって、実務経験のある候補者が見つかるかどうかが問題だな。

返信3

232
24
zir***** | 2時間前
非表示・報告

中国軍の侵攻による台湾有事の可能性が指摘され、尖閣諸島海域への領海侵犯も常態化している今、日米間の国際公約でもある普天間基地移設は、待った無しだ。
玉城デニー知事が地元マスコミと結託して、沖縄と日本の経済安全保障を阻害した責任は大きい。

返信0

182
8
tes***** | 3時間前
非表示・報告

現知事が青息吐息なのは事実として
じゃあ自公が誰を立てるかというと人材がいない…。
いっそ他所から連れて来れればって感じなんだけど
それじゃ沖縄では当選は厳しい…。
県連を何とかテコ入れしないと手放しに「いい感じ」とか楽観できる状況ではない

 ⇒最初にクリックお願いしま

コメント (1)