狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

競馬、天皇賞レースで騎士道精神を見た、優勝者ミルコ騎手が、下馬で最敬礼

2020-11-21 12:20:24 | 未分類

 

我那覇真子の現地報告、米大統領選

 

 

 

最近アクセスが急上昇した過去ブログ天覧試合で騎士道精神を見た! 殊勲ミルコ、両陛下に最敬礼=天皇賞・秋2012-10-29

の紹介です。

 

 競馬の主役は騎手ではなく馬である。

ところが、そうでない場合もある。

天覧試合となった昨日の天皇賞競馬の主役は、騎手だった。

いや騎手というより、イタリアからやってきた「騎士」だった。

優勝馬に跨った「騎士」はいまだ勝利の余韻が冷めやらず興奮気味の馬をなだめつつ、馬上のウイニング・ランで勝利の喜びをあらわした。

起立して優勝馬を拍手で称える天皇皇后両陛下の前に来たとき、・・・・「事件」は起きた。

国営放送はこの「事件」をどのように伝えたか。

国民の知る権利を奪ったNHKの報道はこれ。

両陛下 天皇賞や伝統芸能をご覧に

NHKニュース 10月28日 19時9分
 
天皇皇后両陛下は、東京の東京競馬場で、「天皇賞」のレースや、震災からの復活を果たした福島県の「相馬野馬追」などの伝統芸能をご覧になりました。

これは、近代競馬の150周年を記念して行われたもので、両陛下は28日午後、東京・府中市の東京競馬場に到着し、武豊騎手らの出迎えを受けられました。
続いてメインスタンドの貴賓席に移り、まず、東日本大震災からの復活を果たし復興のシンボルの1つとなっている福島県の「相馬野馬追」と、岩手県に伝わる「チャグチャグ馬コ」と呼ばれる伝統芸能をご覧になりました。
このあと両陛下は、明治天皇からレースの優勝者に賞品が贈られたのをきっかけに始まった「天皇賞」のレースを観戦されました。
天皇陛下が「天皇賞」を観戦されるのは平成17年以来で、皇太子時代も含めると3回目です。
レースは、18頭が出走して芝の2000メートルのコースで争われ、1着の馬がゴールを駆け抜けると、両陛下は拍手を送られていました。
レースのあと両陛下は、伝統芸能を披露した東北地方の人たちの見送りを受け、「震災で苦労されたでしょう」とか、「どうぞお元気で」などとことばをかけられていました。

           ☆

さすがは国営放送、外国人が両陛下の前で起こした事件にはひと言も触れていない。

では同じニュースを産経新聞はどのように報じたか。

両陛下、天皇賞をご観戦

産経新聞 2012.10.28 19:26

東京競馬場で秋の天皇賞を観戦された天皇、皇后両陛下=28日、東京都府中市(代表撮影

東京競馬場で秋の天皇賞を観戦された天皇、皇后両陛下=28日、東京都府中市(代表撮影

 東京競馬場(東京都府中市)で28日、「秋の天皇賞」が行われ、天皇、皇后両陛下が観戦された。宮内庁によると、陛下の即位後、両陛下で競馬に足を運ばれたのは平成17年秋の天皇賞以来、7年ぶり2回目。

 レースは5番人気のエイシンフラッシュが制し、騎乗したデムーロ騎手が馬から下り、片ひざをついて両陛下に向かって一礼。貴賓室で双眼鏡をのぞきながら熱心に観戦していた両陛下は、立ち上がって拍手を送られた。宮内庁によると、馬券は購入されなかった。

 今年は文久2(1862)年に横浜で洋式の競馬が開催されてから150年の節目を迎えるため、天皇賞を両陛下で観戦されることになったという。両陛下は福島県相馬地方に伝わる「相馬野馬追」や、岩手県の「チャグチャグ馬コ」など、馬を使った伝統芸能の行進もご覧になった。

           ☆

一応事件に触れてはいるが、必ずしも現場の感動は伝えていない。

そこで、別のメディアを探して見た。


閃光復活エイシンフラッシュ! 殊勲ミルコ、両陛下に最敬礼=天皇賞・秋

sportsnavi.yahoo.co.jp

天皇賞・秋はエイシンフラッシュが復活V! 騎乗したデムーロが天皇皇后両陛下にひざまずいて最敬礼【撮影:中原義史】
 JRA秋の中距離王決定戦、第146回GI天皇賞・秋が28日、天皇皇后両陛下がご臨席になる中、東京競馬場2000メートル芝で行われ、ミルコ・デムーロ騎乗の5番人気エイシンフラッシュ(牡5=栗東・藤原英厩舎、父King’s Best)が優勝。中団のイン追走からそのままポッカリと空いた最内を一気に突き抜け、3歳時に頂点を極めた2010年5月の日本ダービー以来、約2年5カ月ぶりの復活勝利を挙げた。良馬場の勝ちタイムは1分57秒3。

 エイシンフラッシュは今回の勝利で通算20戦5勝(海外1戦0勝含む)、JRA重賞は2010年GI日本ダービー、同年GIII京成杯に続く3勝目。騎乗したデムーロ、同馬を管理する藤原英昭調教師ともに天皇賞・秋は初制覇となる。

 一方、半馬身差の2着には蛯名正義騎乗の1番人気フェノーメノ(牡3=美浦・戸田厩舎)、さらに1馬身1/4差の3着にはイオリッツ・メンディザバル騎乗の2番人気ルーラーシップ(牡5=栗東・角居厩舎)。また、無敗の天皇賞制覇が期待された秋山真一郎騎乗の3番人気カレンブラックヒル(牡3=栗東・平田厩舎)は5着に敗れた。

×     ×     ×     ×     ×

 喜びをかみしめたウイニングランの後、デムーロはターフ上でサッと下馬。ヘルメットを脱ぐと、7年ぶりに東京競馬場で天皇賞をご覧になられた天皇皇后両陛下に対し、ひざまずいて最敬礼を行った。その前にはスタンドのファンに向けて、両手でハートマークも作ってみせた。
「I LOVE JAPAN。日本のみなさんを愛しています。特別な日に勝つことができて、本当にうれしい。僕の日本に対する感謝の気持ちを表しました」
 1999年の初来日から13年。2003年にネオユニヴァースで皐月賞・日本ダービーの二冠を制し、2011年の震災直後にはネオユニヴァースの仔・ヴィクトワールピサでドバイワールドカップ制覇、涙とともに日本に希望のニュースを届けた。もはや日本人ジョッキーと言っても大げさではないくらい、日本の競馬ファンから愛されるイタリア人ジョッキーが、この最敬礼の瞬間は荘厳なナイトに映ったファンも多いだろう。それほどまでに感動的なシーンだった。

 レースは予想通りシルポートが10馬身以上離す大逃げのハイペースの中、エイシンフラッシュは12番ゲートからスッとインに入り、中団よりやや後ろからの追走。このポジション取りについて、手放しで絶賛したのが藤原英調教師だ。
「この枠順をどう使えばエイシンフラッシュが最大限に力を発揮できるか、この点に関してはミルコと長い時間かけて話し合いました。まさにその通りの位置からの競馬になり、あれは凄かったですね。シビれました」
 最内の経済コースをスルスルと進出し、直線に入ると一方では前方のシルポートが脚をなくして脱落。普通ならこの失速してくる先行馬が壁になる危険性もある最内コースなのだが、「運も味方した。ビクトリーロードでした」とデムーロ。ポッカリと空いた内ラチ沿いスレスレ1頭分のスペースへ迷わず突っ込み、2年前のダービーを思い出させる閃光のような末脚を爆発させた。上がり3F33秒1はメンバー最速タイ。一気に突き抜け、勢いある3歳馬、同期のライバルをまとめてねじ伏せた。
「馬の力を信じていました。レース中はとにかくリラックスして走らせようと思っていたんですが、思い通りのレースができましたね。直線もすごくいい反応を見せてくれました」

 初騎乗とは思えない息の合ったコンビぶりで、秋競馬最高峰の栄誉を手にしたデムーロとエイシンフラッシュ。レースでもスムーズに人馬のコンタクトが取れるよう、ここ2週の稽古でデムーロを乗せ続けた藤原英調教師の手腕も見逃せない。
「幸いミルコは日本語が通じますから(笑)、エイシンフラッシュの感触を確かめてもらいながら、セールスポイントを伝えてきました。馬自身の出来に関しても、これまではどこがピークが分からない部分もあったんですが、きょうだけはピークであると確信できる出来でしたからね」
 馬体重マイナス8キロも予定通りの絞り方で、“完ぺき”だったとトレーナー。最強世代のダービー馬の底力を、ついに思い出の舞台・府中で復活させたのだ。

 今後のローテーションについて、藤原英調教師はオーナーと相談してからと、と前置きしつつも、「王道のジャパンカップ、有馬記念へ」と明言。ただし、ジャパンカップに関しては短期免許の関係で「その週だけ免許をもらっていないんです。JRAに特別に騎乗できないか、お願いしたいです」とデムーロが明かしたように、調整が必要になりそうだ。
 いずれにせよ、劇的に復活した最強世代のダービー馬。1つ年下の三冠馬、2つ年下の三冠牝馬に主役を奪われたままでは当然すませない。来たるジャパンカップ(11月25日、東京2400メートル芝)、有馬記念(12月23日、中山競馬場2500メートル芝)、真の最強の称号をかけ、いざ勝負だ。

                             ☆

特別の競馬ファンでもない筆者だが、日曜日のテレビの競馬中継は時々見る。

昨日も偶々見ていたが、イタリアから来た騎士の予期せぬ出来事には、感動した。 

子どもの頃読んだ「三銃士」や「剣豪ダルタニヤン」など子ども向けの世界名作のヨーロッパにも日本の武士道に匹敵する騎士道なるものがあることはおぼろげながら知ってはいたが、騎士道のかっこよさを目の当たりで見せ付けられたのは始めての経験だった。

上記記事が大方の現場の雰囲気を伝えてはいるが、テレビ中継とはいえオンラインで騎士道のかっこよさを目撃した筆者が多少補足する。

優勝騎手のデムーロは、興奮気味の優勝馬エイシンフラッシュをなだめながらウィニングランで勝利の喜びを表したが、起立して拍手で栄誉を称える天皇皇后両陛下の前に来たとき、先ずヘルメットを取った。 

そのときまでうかつにも筆者はデムーロの行動の意味が理解できず、顔面をさらしてファンに応えるつもりぐらいに想像していた。

ヘルメットを外した次の瞬間騎手は馬を下りた。 それを見た女性の馬係りが飛んできて手綱を引き取ろうとした。

が、デムーロはそれを制し。右手で興奮気味の馬の手綱を持ったまま片膝をついて両陛下に最敬礼を行った。 

その光景を見た瞬間、ファンの拍手は一段と大きく鳴り響き、満場のファンの感動がテレビの画面を通じて筆者の胸にも伝わった。

デムーロが興奮気味の馬の手綱を係りの手に委ねなかったのは、あくまで主役は優勝馬エイシンフラッシュであるという騎士道精神に則る行為だと判断した。 

興奮気味の馬の手綱を右手に持ちながらの片膝着きの最敬礼の姿勢はやりにくそうに見えたが、逆に馬の手綱を持ったまま両陛下の拍手に応えたイタリアから来た騎士の晴れ姿は一段と輝いて見えた。

デムーロは手綱を持ったまま両陛下に最敬礼することにより、優勝の栄誉は主役のエイシンフラッシュと共に受けるべきと満場の観客に知らしめた。

「競馬の主役はあくまでも馬である」と。

昨日の天皇賞レースでムーロファンは増えたと思うが、筆者もイタリアから来た騎士のファンになってしまった。

 


【動画】ミルコ・デムーロ騎手インタビュー【天皇賞】

 女性馬係りの手を制して、愛馬共々両陛下に最敬礼するミルコ・デムーロ

 

 

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競馬、天皇賞レースで騎士道精神を見た、優勝者ミルコ、両陛下に最敬礼

2020-11-21 11:46:12 | 未分類

 

 

我那覇真子の現地報告、米大統領選

 

 

 

最近アクセスが急上昇した過去ブログ天覧試合で騎士道精神を見た! 殊勲ミルコ、両陛下に最敬礼=天皇賞・秋2012-10-29

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 競馬の主役は騎手ではなく馬である。

ところが、そうでない場合もある。

天覧試合となった昨日の天皇賞競馬の主役は、騎手だった。

いや騎手というより、イタリアからやってきた「騎士」だった。

優勝馬に跨った「騎士」はいまだ勝利の余韻が冷めやらず興奮気味の馬をなだめつつ、馬上のウイニング・ランで勝利の喜びをあらわした。

起立して優勝馬を拍手で称える天皇皇后両陛下の前に来たとき、・・・・「事件」は起きた。

国営放送はこの「事件」をどのように伝えたか。

国民の知る権利を奪ったNHKの報道はこれ。

両陛下 天皇賞や伝統芸能をご覧に

NHKニュース 10月28日 19時9分
 
天皇皇后両陛下は、東京の東京競馬場で、「天皇賞」のレースや、震災からの復活を果たした福島県の「相馬野馬追」などの伝統芸能をご覧になりました。

これは、近代競馬の150周年を記念して行われたもので、両陛下は28日午後、東京・府中市の東京競馬場に到着し、武豊騎手らの出迎えを受けられました。
続いてメインスタンドの貴賓席に移り、まず、東日本大震災からの復活を果たし復興のシンボルの1つとなっている福島県の「相馬野馬追」と、岩手県に伝わる「チャグチャグ馬コ」と呼ばれる伝統芸能をご覧になりました。
このあと両陛下は、明治天皇からレースの優勝者に賞品が贈られたのをきっかけに始まった「天皇賞」のレースを観戦されました。
天皇陛下が「天皇賞」を観戦されるのは平成17年以来で、皇太子時代も含めると3回目です。
レースは、18頭が出走して芝の2000メートルのコースで争われ、1着の馬がゴールを駆け抜けると、両陛下は拍手を送られていました。
レースのあと両陛下は、伝統芸能を披露した東北地方の人たちの見送りを受け、「震災で苦労されたでしょう」とか、「どうぞお元気で」などとことばをかけられていました。

           ☆

さすがは国営放送、外国人が両陛下の前で起こした事件にはひと言も触れていない。

では同じニュースを産経新聞はどのように報じたか。

両陛下、天皇賞をご観戦

産経新聞 2012.10.28 19:26

東京競馬場で秋の天皇賞を観戦された天皇、皇后両陛下=28日、東京都府中市(代表撮影

東京競馬場で秋の天皇賞を観戦された天皇、皇后両陛下=28日、東京都府中市(代表撮影

 東京競馬場(東京都府中市)で28日、「秋の天皇賞」が行われ、天皇、皇后両陛下が観戦された。宮内庁によると、陛下の即位後、両陛下で競馬に足を運ばれたのは平成17年秋の天皇賞以来、7年ぶり2回目。

 レースは5番人気のエイシンフラッシュが制し、騎乗したデムーロ騎手が馬から下り、片ひざをついて両陛下に向かって一礼。貴賓室で双眼鏡をのぞきながら熱心に観戦していた両陛下は、立ち上がって拍手を送られた。宮内庁によると、馬券は購入されなかった。

 今年は文久2(1862)年に横浜で洋式の競馬が開催されてから150年の節目を迎えるため、天皇賞を両陛下で観戦されることになったという。両陛下は福島県相馬地方に伝わる「相馬野馬追」や、岩手県の「チャグチャグ馬コ」など、馬を使った伝統芸能の行進もご覧になった。

           ☆

一応事件に触れてはいるが、必ずしも現場の感動は伝えていない。

そこで、別のメディアを探して見た。


閃光復活エイシンフラッシュ! 殊勲ミルコ、両陛下に最敬礼=天皇賞・秋

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天皇賞・秋はエイシンフラッシュが復活V! 騎乗したデムーロが天皇皇后両陛下にひざまずいて最敬礼【撮影:中原義史】
 JRA秋の中距離王決定戦、第146回GI天皇賞・秋が28日、天皇皇后両陛下がご臨席になる中、東京競馬場2000メートル芝で行われ、ミルコ・デムーロ騎乗の5番人気エイシンフラッシュ(牡5=栗東・藤原英厩舎、父King’s Best)が優勝。中団のイン追走からそのままポッカリと空いた最内を一気に突き抜け、3歳時に頂点を極めた2010年5月の日本ダービー以来、約2年5カ月ぶりの復活勝利を挙げた。良馬場の勝ちタイムは1分57秒3。

 エイシンフラッシュは今回の勝利で通算20戦5勝(海外1戦0勝含む)、JRA重賞は2010年GI日本ダービー、同年GIII京成杯に続く3勝目。騎乗したデムーロ、同馬を管理する藤原英昭調教師ともに天皇賞・秋は初制覇となる。

 一方、半馬身差の2着には蛯名正義騎乗の1番人気フェノーメノ(牡3=美浦・戸田厩舎)、さらに1馬身1/4差の3着にはイオリッツ・メンディザバル騎乗の2番人気ルーラーシップ(牡5=栗東・角居厩舎)。また、無敗の天皇賞制覇が期待された秋山真一郎騎乗の3番人気カレンブラックヒル(牡3=栗東・平田厩舎)は5着に敗れた。

×     ×     ×     ×     ×

 喜びをかみしめたウイニングランの後、デムーロはターフ上でサッと下馬。ヘルメットを脱ぐと、7年ぶりに東京競馬場で天皇賞をご覧になられた天皇皇后両陛下に対し、ひざまずいて最敬礼を行った。その前にはスタンドのファンに向けて、両手でハートマークも作ってみせた。
「I LOVE JAPAN。日本のみなさんを愛しています。特別な日に勝つことができて、本当にうれしい。僕の日本に対する感謝の気持ちを表しました」
 1999年の初来日から13年。2003年にネオユニヴァースで皐月賞・日本ダービーの二冠を制し、2011年の震災直後にはネオユニヴァースの仔・ヴィクトワールピサでドバイワールドカップ制覇、涙とともに日本に希望のニュースを届けた。もはや日本人ジョッキーと言っても大げさではないくらい、日本の競馬ファンから愛されるイタリア人ジョッキーが、この最敬礼の瞬間は荘厳なナイトに映ったファンも多いだろう。それほどまでに感動的なシーンだった。

 レースは予想通りシルポートが10馬身以上離す大逃げのハイペースの中、エイシンフラッシュは12番ゲートからスッとインに入り、中団よりやや後ろからの追走。このポジション取りについて、手放しで絶賛したのが藤原英調教師だ。
「この枠順をどう使えばエイシンフラッシュが最大限に力を発揮できるか、この点に関してはミルコと長い時間かけて話し合いました。まさにその通りの位置からの競馬になり、あれは凄かったですね。シビれました」
 最内の経済コースをスルスルと進出し、直線に入ると一方では前方のシルポートが脚をなくして脱落。普通ならこの失速してくる先行馬が壁になる危険性もある最内コースなのだが、「運も味方した。ビクトリーロードでした」とデムーロ。ポッカリと空いた内ラチ沿いスレスレ1頭分のスペースへ迷わず突っ込み、2年前のダービーを思い出させる閃光のような末脚を爆発させた。上がり3F33秒1はメンバー最速タイ。一気に突き抜け、勢いある3歳馬、同期のライバルをまとめてねじ伏せた。
「馬の力を信じていました。レース中はとにかくリラックスして走らせようと思っていたんですが、思い通りのレースができましたね。直線もすごくいい反応を見せてくれました」

 初騎乗とは思えない息の合ったコンビぶりで、秋競馬最高峰の栄誉を手にしたデムーロとエイシンフラッシュ。レースでもスムーズに人馬のコンタクトが取れるよう、ここ2週の稽古でデムーロを乗せ続けた藤原英調教師の手腕も見逃せない。
「幸いミルコは日本語が通じますから(笑)、エイシンフラッシュの感触を確かめてもらいながら、セールスポイントを伝えてきました。馬自身の出来に関しても、これまではどこがピークが分からない部分もあったんですが、きょうだけはピークであると確信できる出来でしたからね」
 馬体重マイナス8キロも予定通りの絞り方で、“完ぺき”だったとトレーナー。最強世代のダービー馬の底力を、ついに思い出の舞台・府中で復活させたのだ。

 今後のローテーションについて、藤原英調教師はオーナーと相談してからと、と前置きしつつも、「王道のジャパンカップ、有馬記念へ」と明言。ただし、ジャパンカップに関しては短期免許の関係で「その週だけ免許をもらっていないんです。JRAに特別に騎乗できないか、お願いしたいです」とデムーロが明かしたように、調整が必要になりそうだ。
 いずれにせよ、劇的に復活した最強世代のダービー馬。1つ年下の三冠馬、2つ年下の三冠牝馬に主役を奪われたままでは当然すませない。来たるジャパンカップ(11月25日、東京2400メートル芝)、有馬記念(12月23日、中山競馬場2500メートル芝)、真の最強の称号をかけ、いざ勝負だ。

                             ☆

特別の競馬ファンでもない筆者だが、日曜日のテレビの競馬中継は時々見る。

昨日も偶々見ていたが、イタリアから来た騎士の予期せぬ出来事には、感動した。 

子どもの頃読んだ「三銃士」や「剣豪ダルタニヤン」など子ども向けの世界名作のヨーロッパにも日本の武士道に匹敵する騎士道なるものがあることはおぼろげながら知ってはいたが、騎士道のかっこよさを目の当たりで見せ付けられたのは始めての経験だった。

上記記事が大方の現場の雰囲気を伝えてはいるが、テレビ中継とはいえオンラインで騎士道のかっこよさを目撃した筆者が多少補足する。

優勝騎手のデムーロは、興奮気味の優勝馬エイシンフラッシュをなだめながらウィニングランで勝利の喜びを表したが、起立して拍手で栄誉を称える天皇皇后両陛下の前に来たとき、先ずヘルメットを取った。 

そのときまでうかつにも筆者はデムーロの行動の意味が理解できず、顔面をさらしてファンに応えるつもりぐらいに想像していた。

ヘルメットを外した次の瞬間騎手は馬を下りた。 それを見た女性の馬係りが飛んできて手綱を引き取ろうとした。

が、デムーロはそれを制し。右手で興奮気味の馬の手綱を持ったまま片膝をついて両陛下に最敬礼を行った。 

その光景を見た瞬間、ファンの拍手は一段と大きく鳴り響き、満場のファンの感動がテレビの画面を通じて筆者の胸にも伝わった。

デムーロが興奮気味の馬の手綱を係りの手に委ねなかったのは、あくまで主役は優勝馬エイシンフラッシュであるという騎士道精神に則る行為だと判断した。 

興奮気味の馬の手綱を右手に持ちながらの片膝着きの最敬礼の姿勢はやりにくそうに見えたが、逆に馬の手綱を持ったまま両陛下の拍手に応えたイタリアから来た騎士の晴れ姿は一段と輝いて見えた。

デムーロは手綱を持ったまま両陛下に最敬礼することにより、優勝の栄誉は主役のエイシンフラッシュと共に受けるべきと満場の観客に知らしめた。

「競馬の主役はあくまでも馬である」と。

昨日の天皇賞レースでムーロファンは増えたと思うが、筆者もイタリアから来た騎士のファンになってしまった。

 


【動画】ミルコ・デムーロ騎手インタビュー【天皇賞】

 女性馬係りの手を制して、愛馬共々両陛下に最敬礼するミルコ・デムーロ

 

 

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従軍慰安婦、朝日植村記者の逆切れ訴訟で敗訴確定 

2020-11-21 06:38:46 | 従軍慰安婦

 

我那覇真子の現地報告、米大統領選

 

20日付沖縄タイムス第二社会面の最下部に「要虫メガネ」の記事が掲載された。
 
見出しはこうだ。
 
◆元朝日新聞記者の敗訴確定
 
通常の文字よりも二回りも小さな記事のため、最初は見逃したがカミさんの指摘で、改めて発見したくらいだ。
 
元朝日新聞記者の敗訴確定
 
読者が見落すほど極小の見出しだけでは意味不明だが、精読すると元朝日新聞記者植村隆氏が、従軍慰安婦に関する記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリスト桜井よしこ氏らに損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁は19日までに植村隆氏の上告を退ける決定をした。植村氏の敗訴が確定した、・・・ということ。
 
植村記者は記事を掲載した朝日新聞が捏造を認め社長が謝罪したにも拘らず、桜井よし子の批判記事に対して損害賠償の逆切れ訴訟をしたが、敗訴した。
 
問題は沖縄タイムスの報道姿勢だ。
 
日本国民の名誉を著しく傷つけ、現在でも世界の世論は日本を「強制連行」を事実として批判を受けている「捏造報道」を社会面トップで報じても可笑しくないはず。
 
だが、捏造報道では朝日に勝るとも劣らない沖タイは、成るべくなら読者の目に触れてほしくない。
 
そに結果、市面最下部の「要虫メガネ」の極小アリバイ記事と言うわけだ。
 
沖タイの苦肉の策に朝からコーヒーを吹いてしまった。
 
出は当事者の朝日新聞は、どのように報じているか。
 
>元朝日記者の敗訴確定
 
植村記者が捏造記事を書いた時点では朝日記者で在り、少なくとも現在でも「元本紙記者」と書くべきではなかったのか。
 

慰安婦報道訴訟、元朝日記者の敗訴が確定 最高裁

阿部峻介

 

慰安婦報道訴訟、元朝日記者の敗訴が確定 最高裁
阿部峻介

 元朝日新聞記者の植村隆氏

朝日新聞

2020年11月19日 21時00分

 元慰安婦の証言を伝える記事を「捏造(ねつぞう)」と記述されて名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏がジャーナリストの櫻井よしこ氏と出版3社に計1650万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第二小法廷(菅野(かんの)博之裁判長)は植村氏の上告を退けた。請求を棄却した一、二審判決が確定した。18日付の決定。

 植村氏は1991年、韓国人元慰安婦の証言を朝日新聞で2回記事にした。これに対して櫻井氏は2014年、月刊誌「WiLL」「週刊新潮」「週刊ダイヤモンド」で「捏造記事」などと指摘した。18年11月の札幌地裁判決は、韓国紙や論文などから、植村氏の記事が事実と異なると櫻井氏が信じる「相当の理由があった」と請求を退けた。今年2月の札幌高裁判決も一審を追認した。(阿部峻介)

               ★

■嘘の上塗りの逆切れ訴訟

新聞で実無根を事実として報道すれば、それを人は嘘、あるいは捏造記事と言う。

だが、植村氏は、嘘を嘘で切り抜けようと嘘の上を嘘で塗り固めた。

その結果多くの日本国民を貶め、捏造記事が世界に広まったのだ。

植村氏は「事実に基づかない中傷でバッシングを受け、危険にさらされた」と2015年に提訴したが、日本国民は、朝日の事実に基づかない報道でバッシングを受け、国際社会でいまだ信用失墜に晒されている。

最高裁で捏造と確定したのだから、今度は桜井よし子氏が、日本国民を代表して植村氏に対して名誉棄損で天文学的学の賠償賠償請の提訴をしてほしい。

 ■植村記者の捏造記事

1991年8月11日付朝日新聞に植村隆が【「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存している】とスクープ記事を書いた。

朝日新聞・植村隆の捏造記事
1991年8月11日【朝日新聞】
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、…
女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。…
女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。

 

【おまけ】

■朝日新聞の「捏造を認める」謝罪記事。

朝日新聞は平成26年(2014年)8月5日と6日両日付記事で吉田清治の「慰安婦強制連行」証言に係る報道が「大誤報」【虚偽、捏造】だったことを認め、吉田清治の「慰安婦強制連行」証言に関する記事を全て取り消した。
20190817表現の不自由展と朝日新聞、英語で反日虚偽説明!朝日新聞はずっと英語サイトで吉田虚偽報道を隠蔽

平成26年(2014年)8月5日、【朝日新聞】「済州島で連行」吉田氏の証言 裏付け得られず虚偽と判断
平成26年(2014年)8月5日、【朝日新聞】「済州島で連行」吉田氏の証言 裏付け得られず虚偽と判断
平成26年(2014年)8月5日、【朝日新聞】「済州島で連行」吉田氏の証言 裏付け得られず虚偽と判断


平成26年(2014年)9月11日夜、朝日新聞社長の木村伊量(ただかず)が記者会見!
平成26年(2014年)9月11日夜、朝日新聞社長の木村伊量(ただかず)が記者会見!
「吉田調書」記事を取り消し!
ついでに、慰安婦誤報(捏造)についても【読者に】謝罪!

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