狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

民主主義否定の沖縄紙

2011-08-26 06:43:02 | 八重山教科書採択問題

  

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 沖教組と組合員の教師により独断的に採択されていた従来の違法な教科書採択を、民主的で適法な手法に改革しようとしたのが今回八重山地区の教育改革である。

各地域の教育行政の責任者たる教育長は、仮に自分の意見が通らなくともそれが民主的ルールに則って決定したものであれば尊重する。

それが民主主義の基本であるということを、知らないはずはない。  子供たちの教育を云々する前に先ず自分が率先範を示すのが教育責任者の務めではないか。

一方、仮に民主主義のルールを無視し独裁に走るものがおれば、報道という一種の武器でこれを批判し、諌めるのが社会の木鐸を自認する新聞の役目のはずである。

ところが、「全体主義の島沖縄」では、民主主義を真っ向から否定し独裁を宣言する竹富島の慶田盛教育長を、地元2紙は批判どころか、英雄に祭り上げ、熱烈歓迎の有様である。

そして今朝の沖縄タイムスの「狂態」は依然として、全国に「全体主義の島沖縄」という恥をさらし、その連続記録を更新中である。

★一面トップ

八重山P連、育鵬社反対

「改憲誘導、子に悪影響」

石垣・与那国きょう採択

★社会面トップ

時間ない父母動く

八P連「子のため採択を」

教科書ネット不採択求める

家庭科も「無推薦本」 八重山協主導で推薦

撤回声明 続々

元教職員・マスコミ労・大学教員ら

「歴史」警戒の隙突く

愛国心教育へ「是正成功」

よくもまぁ、発狂状態をこんな長い期間維持できるものとある意味感心させられるが、狂人は自分が狂っていることに気がつかないから始末に終えない。

4年前の「11万人集会」の再現を夢見て、当時の共催団体を引っ張り出して「採択撤回」を扇動しているようだが、こんな理不尽な要求で「県民大会」の名称を使われたら、沖縄県民が恥さらしになることに気がつかないのだろうか。

沖縄発のブログ「ヒジャイ」さんが、民主主義のルールを知らない沖縄紙の見出しのデタラメさを論理的に批判しているので紹介する。

沖縄タイムスの記者の思考がイデオロギーで硬化し劣化し続ける一方で、読者の知的レベルが新聞のソレをはるかに凌駕していることを示す好例である。

なお太字などの強調は引用者が施した。

とんでもない見出し,「調査員推薦のない育鵬社」社




 

「同協議会会長を務める石垣市の玉津博克教育長が採択権限のない教員ら教科書調査員の意向で選定される従来の不適切な採択方法の改善を打ち出したところ、『保守系教科書を採択させるためではないか』との臆測が広がり、市民団体や教職員組合などが不採択を求める集会や会見を繰り返した」という記事が産経新聞に掲載されていた。
 
 
沖縄の新聞には、「調査推薦のない育鵬社」とでっかい見出しの記事が掲載されている。そして、「調査推薦のない育鵬社」の教科書が選ばれたことは、調査員の「形骸化」であると主張している。
 
 
調査員推薦とは、調査員に選ばれた数人の教員による推薦された教科書のことである。協議会は教育長、教育委員、保護者代表、学識経験者で構成されている。一方調査員は数名の現場教員で構成されている。今までは、調査員に選ばれた数人の教員が教科書に順位付けをやり、一番に順位付けされた教科書が協議会に推薦され、協議会は協議をするまでもなく、調査員が推薦した教科書を選択してきた。
 沖縄では数人の現場教員が教科書を選択してきたのである。

 新聞はごらんの通り「、調査員の推薦ない育鵬社」と大きな見出しの記事を掲載している。新聞は調査員が推薦していない育鵬社を選んだことを非難している。調査員が推薦しない育鵬社の教科書を選択することはいけないことなのか。
 
沖教祖の委員長は、調査員が育鵬社の教科書を推薦することは絶対にないと断言している。どうして調査員は育鵬社の教科書を推薦することは絶対にないのだろか。
 調査員は現場の教員である。教育の専門家といっても、彼は沖縄の一介の教員であり、教科書を推薦するときには沖教祖の圧力によって自分の経験や専門知識を自由に発揮することはできない。
調査員の教員が育鵬社の教科書を推薦すれば、彼は学校で他の教師からいじめられるだろう。沖教祖の一員である調査員が沖教祖が反対している育鵬社の教科書を推薦することはあり得ない。
 調査員の推薦する教科書を選択するということは沖教祖が望む教科書だけを選択されるということだ。

 新聞の、「調査推薦のない育鵬社」という見出しは、教科書は現場の教員によって選択されるべきと主張しているのに等しい。自衛隊に例えると現場の兵士の意見が優先されるべきと主張するのと同じである。新聞社、沖教祖、知識人などの教科書選択の現場主義は、軍隊に置き換えると軍国主義になるのだ。

 
協議会は委員8人による無記名投票で教科書を選択したが、調査員の順位付けによる教科書選択よりは民主的である。

 玉津会長が従来の調査員の順位付けを廃止して、協議会の無記名投票で教科書を選択することにしたのは、自由社、育鵬社の教科書を選択する目的があったのは明らかだ。しかし、だから駄目であるというのは間違いだ。
選挙で選ばれた市長が協議会の会長を任命するのは民主的な手続きであり、協議会で教科書を選択するのは民主主義のルールにのっとっている。次の選挙で革新系の市長が当選すれば自由社、育鵬社以外の教科書が選択されるだろう。

 
調査員の順位付けによる教科書選定は、実質的に沖教祖に選択権があるということになる。沖教祖は市民に選ばれた組織ではないし、政治的に中立の組織でもない。沖教祖が教科書を選択するというのは非民主的である。

 現場教員で組織された調査員に教科書の選択権はない。調査員による順位付けは越権行為だ。やってはいけないことだ。調査員は全ての教科書の特徴を調査して協議会に報告するだけでいい。協議会は調査員の報告を参考にして教科書を選択すればなんの問題もない。

 調査委員の推薦から外れた教科書を選択したことを、教育関係者から「調査委員の形骸化」だと批判がされているが、
調査委員は全ての教科書の特徴を調査するのが本来の役目であり、特定の教科書を推薦するだけで、推薦しない他の教科書については調査報告さえもしないというのは調査委員のあるべき姿ではない。

  
調査委員の推薦から外れた教科書を選択したことを、教育関係者は「調査員の形骸化」だと批判しているが、調査委員の順位付けによる推薦で教科書を選択するのは逆に協議会を形骸化しているし、民主主義を形骸化している。

 「調査推薦のない育鵬社」は民主主義を知らない見出しである。
                             ☆

 

【おまけ】

八重山地区の三人の教育長の談話が地元紙の紙面を飾っているが、比較的取り上げられる頻度の少ない崎原用能・与那国町教育長の勇気ある「正論」が今筆者の近辺では話題になっている。

非公開とされた23日の採択協議会での激論を、琉球新報が掲載している。

 (琉球新報 2011年8月24日)
「憲法改正を誘導」 密室3時間半 激論

≪歴史教科書の選定では、集団自決や沖縄戦の扱いについて議論が白熱した。
 「摩文仁の丘では自分で飛び降りた人もいるのに、なぜ『集団自決』の軍命にこだわるのか」と崎原用能与那国町教育長はまくしたてた。それに対し竹富町の大田綾子教育委員らは「歴史の事実をしっかり教えないで子供が正しい歴史認識を持てるのか」などと反論。≫

≪「沖縄の実態をきちんと教えるべきだ」と詰め寄る慶田盛教育長らに対し、与那国町の崎原教育長は「2社を選ばないでほしいという要望はあるが、私はこの教科書が正しいという認識だ。自衛隊はいいことだと思う」と発言。他の委員も「自衛隊、憲法、天皇…。中身を読めば、その通りだと思う」と同調した。≫

         ☆


独裁者・慶田盛・竹富町教育長を熱烈支援する琉球新報は、当然のごとく表現は左翼の視点。 崎原教育長の発言を「まくしたてる」などと否定的に書いている、発言内容はいずれも真っ当な発言である。

真っ当な発言が読む人に新鮮な感動を与えるというのも「全体主義の島」ならではの摩訶不思議である。

 

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