1泊4日の強行スケジュールの東京~仙台旅を無事終えて帰ってまいりました。
関東のラン仲間達の心遣いが嬉しかった高尾、陣馬山トレイル。
プロ野球の新しい形に開眼したKスタ宮城での野球観戦etc、思い出のシーンが満載の旅でした。
いつもならここから爆笑漫遊記が綴られるのですが、楽しい記憶ばかりの旅日記を今はまだ書ける気になれません。
落ち着いたらこの二つに関する記事はアップいたします。
と言うのも、三日目に敢行した仙台→松島へのラン旅の記憶が痛烈に心に焼き付いているからです。
仙台でのラン日誌。
東京から夜行バスに揺られて仙台に着いたのが早朝5時半。
まだお店などどこも開店しているはずもなく。
これは走るしかないだろうと、宿泊先に荷物を預けて市内の観光名所を巡る事に。
仙台城址、瑞鳳殿(伊達家の霊屋)、土井晩翠宅、仙台博物館と地図を片手にあちこち迷走。
当然、仙台の代表的美味も完全制覇した。
ずんだ餅、これは私好みのお味です。知らなかったが冷やし中華は仙台が発生の地だとか。
あまり好みではない牛タンは牛タンまんじゅうとして食す。これならOK。
この日の仙台市は33度。大阪の暑さよりはマシだろうとの思惑は大外れ。
翌日の松島までのランが思いやられるな~、と。
その危惧は大当たり。当日朝7時。
既に北の杜とは思えない灼熱の太陽が頭上を照らしていた。
松島までは約24キロ。
あまりの暑さに途中3駅程JR仙石線のお世話になり道のりをショートカット。
塩釜駅で降りて再び松島を目指す事に。
松島海岸へ続く絶景の道
日本三景のひとつ、松島湾。
松尾芭蕉があまりの美しさに句を詠めなかったと伝えられる景観が変わらずにそこにあった。
松島エリアはこの美しき島々に守られて奇跡的に津波の被害から免れたという。
ついさっきこの目で見た隣町の震災のつめあとを思い再び絶句した。
隣の港町、塩釜。
そこには仙台市では見られなかった凄まじい光景があった。
陸に打ち捨てられた船、寸断された歩道、壁だけが残った家々、根元を晒した倒木、
墓石が倒壊した霊園、段ボールの壁で営業しているセブンイレブン。
自然の脅威に畏れると共に、ここで落とされた多くの魂を悼み、とぼとぼ歩いた。
涙が溢れて止まらなかった。
海に向かって長く合掌した。祈るしか出来る事がないと思った。
惨状の中で、それでも懸命に生活している人々に出会った。
東北の方々は饒舌ではないが訥々と今の状況を話してくださった。
これでも塩釜はまだマシだと、隣町はもっと悲惨やと。
頑張るしかないしな、と。
絶景が残った松島だが、人気のない海岸に行くと・・・・・・。
ひっくり返った船はそのまま。波が持ってきたという、ごみやガレキなどが延々と続いていた。
メインの観光ポイント以外には手が回らないらしい。
そこで黙々とごみを拾っていた男性に出会った。
「人出が全然足りなくてね。あの船だってわしらではどうする事も出来ませんしね。
しょうがありませんわ。」
お土産店の女性は、
「観光客は例年の3分の一。でも大分戻ってきました。関西の皆さんももっと訪れてくださいね。」
被災地はまだまだ震災渦中にある。
それをこの目で確かめた旅となったが、それが一体どうだと言うのか。
無力な自分が腹立たしく、忸怩たる思いの旅明けの朝である。