虎っ娘ランナーのランニング日誌

マラニックバッグにタイガースメガホンをさして国道2号線を西へひた走るランナーを見かけたら・・・、それは私です。

100キロの旅路

2008年10月22日 | ランニング

ウルトラはフルマラソンよりずっと楽。
六甲全従よりウルトラの方が楽チン。
それだけ走りこんでいるtacocoさんなら100キロは楽勝。
四万十はエイドに寄って居るだけで楽しく完走できるよ~。
ゆっくり走れば100キロなんて口笛吹いてゴールできるから。
etc。
数々の心優しきアドバイスを頂いたウルトラ経験者の皆様。

全員バケツ持って廊下に立ってなさいっ!!
この大嘘つき共めっ!

溺死体の如く腫れ上がった右足首。
    
整形外科にて大げさに巻かれた包帯が物語る悪夢の参戦記。


        
午前5時。スタート直前の記念撮影。この頃はまだ元気一杯さ~。
そして午前5時半、四万十川ウルトラマラソン100キロの部がスタート!

絶対に突っ込まない事!最初からキロ7分で走れ!etc
先輩諸氏からの数々のアドバイスを遵守して、スタートから自重して慎重に走る。
最初の難関。標高600mの山越えも、歩きを交えて決っして突っ走らない。下りも飛ばさずに忍耐の走り。
それでも、下りきった地点で右足首に最初の違和感が・・・・。
シューズの縛りがキツイのかなと紐を緩めて走り続けたものの、これが後の修羅場の予兆だとは、その時点では知る由もなかった。
ほどなくの30キロ地点で、母なる清流四万十川と合流する。
        
そこには昨年応援ランで参加した時と全く同じ風景があった。
うたかたのように変わりゆく世にあって、そこだけ悠久の時を刻む故郷の山河。四万十川は来る者を優しく包み込むように滔々と流れる。
お母さ~ん。約束どおり今年はランナーとして帰ってきましたよ~!
と心の中で叫んだりしてみる。この時はまだまだ余裕の走り。
まもなく、50キロ折り返し。
ここからいよいよ未知の距離ゾーンに突入するんだ。
チャララ、チャララ~、チャララ~♪。
映画「未知との遭遇」のサウンドトラックをハミングするなどして、少し重くなりはじめた足を鼓舞してやる。まだまだちょっぴりの余裕あり。
さぁ、目指すは中継地点のカヌー館!
待ち受ける応援メールと焼きプリンを楽しみに頑張るぞっ、と。
          【カヌー館にて】
携帯電話と焼きプリンを手に笑顔のショット。
やっぱりみんなにおねだりしてみるもんだ。
機器からあふれ出んばかりの多数のメールに驚喜し、時折吹き出しながらありがたく、楽しく読ませていただいた。

残りの38キロの道のりもこれを励みに頑張れそうだ。
この時不遜にも、残りはもう半分以下、100キロってこんなもんか~と考えていた。
ああ、何と傲慢で幸せだったのだろう、この頃は。

激励メールの中にラン友A氏からのこんな言葉があった。
「ここまでは楽だったと思うけど70キロからの10キロが一番苦しい筈」
さすがはベテランランナーの慧眼。
まさに70キロ地点。これが現実のものとなるのだから。
それまで痛みを発していた右足首が突如発火。
激痛の為、とある橋の真ん中で悶絶の立ち往生。
その橋とは名勝沈下橋、昨年の応援ランでにこやかに記念撮影をした風光明媚で有名な橋だ。
          
全く同じ場所でこの笑顔が翌年苦痛に歪むとは何という皮肉。
通りすがりのランナーさんが「大丈夫か?」と、見かねて湿布薬をくださった。
すぐに塗ろうとすると、「川に落ちるから渡ってから塗りなさい。」と。
そんな注意をされるほど、ひどい状態だったのか。あの時の私は。
ゼッケンも確認しませず名前も存じ上げませんが本当に助かった。
患部に塗りたおして先を急ごうとするも、もはや走れない状態。
初めて「リタイヤ」の文字が脳裏を掠めた恐ろしい瞬間だった。
痛みをこらえてとぼとぼと歩く事数分。
突如沿道から「tacocoさ~ん」の声が。私を呼ぶあなたは誰?
謎の私設エイドのお方。
(後で判明したのだがNET繋がりのランナー、スダチさんだった。)
このブースで「ビ」の付くアルコール麻酔を処方していただく。
実に旨かった~。
これが効いたのか湿布薬が効いたのか、その後しばらくは痛みが緩和してくれた。
地獄に仏とはまさにこの事を言うのだろう。
お二人の生仏様、本当にありがとうございました~。

お陰で何とか第一目標地点の私設エイドまで辿り着けたのだ。
知る人ぞ知る、四万十名物の81キロ私設エイド。
昨年の応援ランで束の間交流したK氏一家とすっかり意気投合。
来年はランナーとしてやってきます!
今思えばこの軽い一言が地獄への入り口だったのだ。
約束通り這うようにやって来たこの地!
 【昨年のご家族との仲良しショット】
感動の再会に憩うこと数十分。
ここでも「ビ」の付く鎮痛剤を処方いただき、ゴールまで残り19キロ。
しかし、このたったの19キロが本当の修羅場だった。
走れども走れども距離の進まぬ19キロ。
わずか1キロが無限のように永く感じる。
体中そこいら中が痛い。
脇の下やスポーツブラの境目は摩擦で激しい擦過傷。
太もも、脚の付け根も悲鳴を挙げている。
それよりも何よりも大患部の右足首は一歩踏み出す毎に激痛。
給水エイドのスポンジを靴下に押し込みアイシング替わりに痛みを緩和させて走っていた。
ウルトラマラソンとはただ単に痛みとの闘いなのだ。
見渡せば周りは半数以上が潰れて歩いている。
でも歩くと次ぎ走り出す時に激しい苦痛がある事、歩いても距離は決して減らない事を悟ってからは給水以外で立ち止まる事を封印して、ただ黙々と走り続けた。立ち止まりさえしなければゴールに近づく、一歩踏み出しさえすれば距離は減る。その一念で。

実は、歩きたい誘惑に抗ったのは頑張れば12時間台でゴールできるという微かな希望があったから。
それと、頂いた多数の応援メールやとららちゃんの応援FAXが背中を押してくれたから。
だからこそ頑張れた果てしなく永い最後の10キロ。
ドックドックと休まず走り続けていると数十人のランナーを追い抜いていく。
あんたって中々根性あるやんっ!と自分をちょっぴり褒めてやりつつ、またひたすら走る。
あと5キロ、あと4キロ、あと3キロと心の中でのカウントダウン。
それでもラスト1キロ地点で眼前に現れた激坂を前にした時は、さすがに「もうダメ。もう走れない!」と、泣きながら歩いてしまった。
でも歩き登りきった時に聞こえてきたゴールのアナウンスの声。
苦しみの涙が歓喜の涙に変った瞬間だ。
泣きじゃくりながらゴールしたくせに何故かゴール時のアナウンスの声をはっきりと覚えている。
「次に女性ランナーが入ってきました~。ゼッケン223大阪から参加
の○○○子さんです。おめでとうございます!」
        
感動のゴール!!

二度とこんな苦しみなんかするもんかっ!
と、レース後半何度つぶやいたことか。
ただ同時に「そんな事言っても、あんたはどうせまた出るんでしょ。」
と、言い返すもう一人の自分。
これ程の苦しみを体験すると人間少しは大人になれるのかな。
やっとtacocoと言う人が理解できてきた100キロの旅路であった。