「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

能登半島地震現地調査 補足

2007-04-02 23:27:27 | Weblog
実家発、事務所で資料整理・打ち合わせ等の後、久しぶりに大学へ。

現地調査レポートで書き足りなかった部分があった。3月31日分の追加として
お読みいただければ嬉しい。

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輪島には洒落た喫茶店も多いようだ。見るからに雰囲気のある、朝市通りの
「茶房三丁目」に入る。この勘は外れなかった。BGMはジャズ。部材が良い味を
出している。コーヒーのほか、能登名産の塩も置いてあった。土産用に500円の
パックを2つ買う。

そうこうしているうちに同僚S先生から電話。道の駅輪島のお向かい、翁という
コーヒーハウスで一休み中とのこと。行ってみて分かったが、この「道の」駅は
本当に「鉄道の」駅そっくり。それもそのはず。のと鉄道の穴水~輪島間が廃止
されるまでは正真正銘の輪島駅だったのだから。「駅舎」は建て直されたとのこと
であったが。

S先生のチームは、中越地震の後、「被災した自治体に対して、過去に被災したが
ゆえに災害対応の現場経験を持つ自治体職員を派遣するネットワーク」を作り、その
事務局も務めている。今回の地震でも、その「小千谷ねっと」のメンバーである
小千谷市の職員と共に現地入り。

当面のテーマは、被災者の復旧・復興に向けての「銭金」の額に直結する罹災証明
発行の支援。全壊か半壊か一部損壊かを公的に証明する文書の発行に関すること
なのだが、人により自治体により判定が異なるようでは、当然のことながら不公平感が
募る。もちろん列記とした基準はあるのだが、現場での課題は、被害を受けた建物数に
比して圧倒的に少ない担当者数をどうカバーするか、なのである。

公的証明ゆえ自治体職員が携わるべきことは言うまでもないが、小規模自治体の
場合、建築の専門知識を持つ職員が何人もいる訳がない。S先生らが持ち込んだ
システムは、関連部署の職員らに対する講習会から証明書の発行、さらには住民
からの異議申し立てへの対応方法に至るまでをパッケージ化したもの。

今回、日本の災害対策史上初めて、(現場レベルの話として)自治体を超えて罹災
証明発行手続きが(まずは輪島と穴水で)共通化された。システムを考案したHさん、
S先生や同い年のT先生らの努力に敬意を表したい。

T先生に頼まれ、北陸中日新聞の記者さんに、このことをきちんと報道してもらうよう、
繫ぎ役を果した後、S先生T先生に挨拶して市役所を出る。1階玄関にて東大生産研の
目黒研究室OBのUさんとばったり。

門前で活動を続けている災害看護支援機構のYさんに電話。「宿舎まで送るから、
七尾まで風呂に入りに来ませんか?」と。何度かお誘いするも、結局、東京に戻る
まではリフレッシュもせずに一気に活動を続けるとのこと。まぁ、それもありかという
ことで、無理強いも出来ず。

21時近くにホテルに戻る。山歩きを趣味とし、国際防災協力の現場へも行く身
ゆえ、シャワーも風呂もLANも、なくても文句を言わないことをモットーとは
しているものの、1時間ほどの「通勤」で普段の生活がある場所から通えるならば、
申し訳ないが楽で便利なほうを選ばせてもらう。Yさん達に比べて……とは思う
ものの、被災者と同じ生活をしなくてはならないという訳でもなかろう、と。

 K君と二人、近くの焼肉屋でたらふくいただく。これでまた被災地太り、か?

                                     (4月3日アップ)