「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

2回目の能登半島「観光」(その2)

2007-04-29 23:54:53 | Weblog
 4月28日(土)、朝方は雷雨だったが昼前には晴れ渡った。
 地震から再び立ち上がろうとしている、能登半島・輪島への訪問記、その
続きである。

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 朝市は、売り手と買い手がコミュニケーションを楽しむ場でもあるの
だろうが、「お兄ちゃん、買ってぇな」の声に、どうにも「単なる観光客」に
なりきれず、ただ漫然と歩くのみであった。
 何と返事をすればよかったのか……。

 朝市を後に、市内をぶらつく。総じて普通の生活が戻っているが、ところ
どころに更地があり、一部ではガレキを搬出中でもあった。「虫に食われた
ように」とは良く使われる表現だが、まさにぴったりである。地形的な要素も
あろうが、やはり建物の作りや築年次で運命が決まってしまったのだろうと
思う。正確には悉皆調査を待たなければならないだろうが。

 「復興記念 輪島塗総ざらえ市」
 「お見舞い感謝価格 3~6割引」

 こんな看板に誘われ、塚田海岸の稲忠漆芸会館まで歩く。やはり、「今日は
観光バスが何台来た」というのが最大の関心事の様子。本当なら、小皿の1枚
でも土産に、というところなのだろうが、同じお金を使うならば、もっと必要と
している人もいるだろう、ということで、ここはパスさせてもらう。

 朝市通りの東側に、「わいち界隈」と呼ばれる一角がある。工房長屋を
はじめ、曰く「新旧の輪風の家が並ぶ町並み」なのだそうな。その中にある
「輪島やぶ本店」で能登の蕎麦をいただく。しっかりとした、良い味を出して
いる「構え」の店。調度品の被害は相当あっただろうが、何はともあれ、この
「構え」は地震にも何とかなったようである。

 「蕎麦前」なる言葉があるそうな。お酒のことなのだそうな。日本海側では
いろいろな場所で見ることができる「ニシンの棒煮」のご当地版をいただき
ながら、「蕎麦前」を手酌。付け合せは昆布の佃煮だった。

 棒煮と佃煮の二つともが美味であったがゆえに、死んだ親父を思い出す。
 親父が生きていたなら、この季節には山椒の若芽で佃煮を作り、親戚一同に
配っていた。ニシンの棒煮は親父も好きだった。

 休日の昼下がりである。被災から復興しようというこの地においても、手酌
酒で思うのは被災者のことではなく、親父のことか……。

 2時前のバスで、道の駅輪島「ふらっと訪夢」から門前へ向かう。
 更地あり。更地に仮設店舗を建てて営業を再開した店あり。被災地でいつも
思うことであるが、本拠地である自宅や店舗を失ってしまった人々に、何と
言えばよいのか……。防災・危機管理の研究者といっても、無力なものである。
「予防に勝る防災ナシ」と言うのは簡単であり、120%正しい。しかし、
目の前にいる人を助けられずに、何が「旅の坊主」であろうか……。

 前回来た時に気になっていた総持寺祖院門前の「手仕事屋」。これまた
蕎麦の店である。格子戸に張り紙が2つ。

 「観光客のみなさま この時期の訪れを心から感謝いたします」
 「一期一会 応援・支援の皆様 ご苦労さんです 心より感謝いたします」

 一観光客として、蕎麦をいただくことくらいは出来る。というので、おぼろ
豆腐をつまみに再び「蕎麦前」をいただく。

                                      (この日の項、つづく)
                                      (5月4日アップ)