「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

能登半島地震現地調査 3日目(最終日)

2007-04-01 23:31:52 | Weblog
現地調査最終日。8時過ぎにホテルを出発。国道292号を通り、途中、道路の
被害状況を写真に撮りつつ(数箇所対面通行部分があるものの実質的な障害とは
なっていない)、旧門前町の黒崎地区へ。

外壁は板張りだがその内側は土壁という(能登地域特有の?)民家が震度6強の
揺れでどう壊れたのか、K君と一緒に考える。建築や構造については2人とも素人
だが、何となくイメージが見えてくる。

引き続き道下(とうげ)地区を歩く。被害家屋の数・率の高さの両面で、今回の
地震の焦点の一つであろう。

多くの家は奥行きが深い。いわば、どの家にも広間が複数あるような作りになって
いる。その少なからぬ数がつぶれ、瓦礫と化してしまった。すでに取り壊しが
始まっている建物もある。応急意見度判定で「危険」とされた、いわゆる「赤紙」を
貼られはしたが、何とか建っている家も多い。取り壊すのか、修理が可能なのか、
いずれにしても鍵は「お財布事情」である……。

千葉県の地震防災想定手法研究会でお世話になっている千葉大工学部のN先生と
ばったり。やはり来るべき人は来ている、か……。

ボランティアセンターの置かれている門前東小学校へ。救援活動と大書された川崎
ナンバーの車があり、もしやと思ったら、案の定旧知のU氏。センターの運営は、
前日に比べ多少ともスムーズになった感あり。大分県社会福祉協議会のMさんらが
午後からここに詰めるという。全国社会福祉協議会の派遣として現地入りするスーパー
バイザー的存在。Mさんであればうまくやってくれるであろう。

総持寺祖院の門前通りにある陶器店(沢田陶器店)がずっと気になっていた。
K君に無理をいい、「買い物」に付き合ってもらう。普段持ち歩いている煎茶具に合わせ
万古焼の湯のみを五客、しゃれた急須を1つ、それから焼酎用に「黒ちょが」を一つ。
少しおまけしてもらって6600円也。

聞けば、前日に地震から初めて倉を開け、営業再開は今日からとのこと。小売業の方々に
とって、日々モノが売れて初めておまんまが食べられる。つまりは客が来てくれないこと
には始まらぬ。この、極めて当たり前ながら、なぜか意外なほど見過ごされている点を、
門前東小学校のボランティア・センターで出番を待っているボランティア諸氏は、どれくらい
意識していてくれているだろうか……。

結局、3日間の現地調査中、お昼は3回とも、国道沿いの「せせらぎ」という食堂?
レストラン?でいただくことに。こういう時だからこそ、被災地外から入った者は、
一番高いものを頼むのが「お約束」だろう、ということで、焼肉定食1350円が100円
おまけで1250円也。

どこかで聞いたような声がしたので振り返ってみると、地元TVの特番で、ついさっき
までいた沢田陶器店の若女将が取り上げられていた。メディアの人も、気にする
点は同じ、か……。

空港に戻る前、建設が始まったという道下地区の仮設住宅建設現場の写真を撮る
べく、少し道を戻る。健康推進広場の場所がわからず、単に聞けばよかったのだろうが
それもせず、ただ、諸岡公民館前でボランティアによってなされていた災害ゴミの分別
活動の状況を写真におさめる。

現地で活動を続ける仲間に電話で挨拶をした後、少し早めに能登空港へ。事故もなく
無事にレンタカーを返す。3日間で330kmほど。

チェックインの後、空港のレストランでK君とケーキセット。これまた旧知の社会安全
研究所のK所長もおいでになる。ちょっとご挨拶。ANA750便。機中では爆睡。予定
より5分ほど早い羽田空港着。

事務所に顔を出し荷物を整理した後東京駅へ。奈良・唐招提寺で父の菩提を弔っての
写経・納経を行ない、併せて大阪の弟夫婦宅に一泊し春の京都を楽しんできた母を
待つ。父が好きだったてんぷらを、ハゲ天東京駅店にて。いささか食べすぎる。

母と共に、そのまま稲毛の実家へ。