TABI天使日記

天使になったカナダのアジリティ犬と、ママ・パパの日常

心の救いということ

2006-07-27 07:29:02 | インポート
仏教関連でもう一つ。

今の人はどうか知らないが、私の祖母あたりの世代はよく「因縁」という言葉
を使った。何か悪いことが起きたとき、「これも前世の因縁かもしれない」
というように。

たいていの人は、みな幸せになろうと願い一生懸命に生きている。なのに、
人知の及ばない出来事が起こり、一転して不幸のどん底へ突き落とされること
がある。「なぜ、こんなことが。なぜ、私だけが」と、恨めしく思うのは自然
なことだ。人は、納得のいかないことに直面したとき、その理由を、確かな
説明を求めるものである。

そんなとき、昔の年寄りはよく「それは前世の因縁なのだよ」と諭したものだ。
前世でしでかした過ちを、この世でつぐなうために、今、お前の苦しみがある。
これは、避けては通れない。従容として運命に従うのだ。そうすれば、きっと
次の世では極楽が待っている。

生まれ変わっても過去のペナルティーがついてくるなんて、とクサるのは勝手
だが、本当に精神的にまいっているときにこうした考えは心の救いとなる。
前世の因縁を受容したときに、我々の運命というものは何か我々の手の届かない
どこかで定まり、展開しているものであることを悟る。

心理カウンセリングも精神安定剤もなかった昔は、このような年寄りの知恵が
悩める人々を救ったのだ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不自由なクリスチャン | トップ | 悩める勝手気ままな人々 »
最新の画像もっと見る

インポート」カテゴリの最新記事