日曜なのでゆっくりブランチの支度でも、と思ってたら電話。
うちから車で5時間ほどの田舎町に住む、三十年来の日本人の知人である。
彼女は私がカナダに来て間もないころからの知り合いで、私より十歳以上も年上。だけど、やはり日本からカナダに来てカナダ人男性と結婚し、いろいろ苦労もしたので、共通する話題がある。当初は私たち夫婦も近くに住んでいたので、よく行ったり来たりした。TABIパパの転勤で離れてからは、私からはずっと年賀状を送っていた。向こうからも時々、電話で近況報告をしてくれた。
その彼女が、とうとう日本へ永住帰国をする日が決まったという。
一昨年、長年連れ添った旦那さんが短い入院の末に亡くなった。彼女よりずっと年上の旦那さんは、あと少しで百歳に手が届くところだったから、まあ大往生だろう。息子夫婦や孫も近くに住んでいるのだが、今ではほとんど行き来がなく、ずっと一人で孤独だと、よく電話でこぼしていた。私からは、少しは心の慰めになるかと日本のお菓子や食品(チキンラーメンとか)を箱詰めにして送ったりもした。
でも、やっぱりこのままでは老後が心配なので、日本へ帰る決心をしたのが昨年の末。
日本には、高齢だが兄弟姉妹がおり、姪や甥もいて、幸いにも「いつでも帰っておいで」と言ってくれたそうだ。そこでいろいろ書類手続きを始めて、なんとか帰国のめどがついたので日本ゆきの航空券を予約したばかりとのこと。
息子夫婦は、全く引き止めなかったそうだ。サッパリしていいじゃん。
皮肉なのは、彼女はカナダで結婚してしばらくしてから日本国籍を捨て、カナダ国籍をとった。そして、私に会うたびにこう説教したものだ。
「カナダにお嫁に来たんだから、もうここに骨をうずめる覚悟しないとダメよ。あなたも、日本人であることを捨てなさい!」
私は、頑として聞かなかった。私は、日本人として生まれ日本人として死にたい。たとえどこの国で息絶えるとしても。従って、私はカナダの永住資格はとったが、国籍は日本のままである。これなら、いつカナダを捨てて日本へ帰る日が来ても、すんなりと入国できるのだ。日本の親が亡くなったときも、娘である私が日本人だから手続きが複雑にならずに済んだ。
そんな彼女が、結局は最終的にカナダを去ることになった。人生とは、まことに不思議なものである。
彼女はもう日本人ではないので、入国は外国人観光客として入り、滞在中に日本国籍をとる手続きを始めることになる。銀行口座を開いたり、年金受け取りの手続きをするのはその後の話だ。
想像するだけで大変そうだが、ま、なんとかなるだろう。
私は東京出身だが、彼女は北国なので、もう二度と会う機会はないと思う。今日のように気軽に電話で話ができるのも、最後だ。
三十年もの長きにわたり、細々と続いた友好がこれで終わる。さみしいが、仕方がない。
彼女の行く末に幸いあらんことを。