TABI天使日記

天使になったカナダのアジリティ犬と、ママ・パパの日常

塩...生と死の分かれ目

2013-11-10 15:19:39 | その他
昨夜は、青空文庫で永井隆の「長崎の鐘」を読んだ。

「こよなく晴れた 青空を~」の歌のモデルで、長崎医科大学で放射線専攻の医学博士。原爆に被爆し妻を失いながらも、負傷した人々を手当てし続けた日々。自身も被爆の後遺症により数年後に亡くなっている。科学者としての冷静な目で、原爆投下後の地獄絵を記録しているところが非常に興味深かった。

そこで思い出したのが、秋月辰一郎である。

私は二十代の前半、日本でOLのかたわら玄米菜食の勉強にどっぷり浸かっていた。料理教室で師範の免許取得ののち、医学講座へと進んだ。そこで聞かされ衝撃を受けたのが、秋月辰一郎の実話だった。

秋月も医師で、永井と同様に長崎の病院で勤務中に被爆。負傷した人々の手当てに追われた。爆心地から2キロと離れていない距離での被爆だ。が、彼が違うのは、生き残った病院職員や患者に「水を飲むな!塩をとれ!」と注意したことだ。

秋月は生まれつきの心臓奇形のため、子供のころに長生きはできないと言われた。が、桜沢式食養により心臓が治り体が丈夫になった。その食養理論からいうと、核分裂は、陽極まって陰転するのであるから、放射線は極陰である。だから、細胞が崩壊する。崩壊を阻止するのは、陽を用いるしかない。それが塩である。(陰陽理論を知らない人にはなんのこっちゃわからないと思う)

秋月の手当てを受け、彼の指示通りにしたものは、原爆症の症状が出ずに生き延びた。秋月自身、その後九十歳近くまで長生きしている。

この話は実は、日本では知る人ぞ知る話なのに、欧米で有名なのだ。私は実際に、アメリカで会ったオランダ人とか、飛行機の席が隣り合わせになったスイス人元パイロット夫妻とかから、この話を聞いたことがある。また、アメリカでは二十数年前にホリスティック医学のカンファレンスで秋月の名前と、原爆投下後の彼の逸話を聞いた。

ところがアメリカでは、「塩をとれ」の部分が「味噌汁を飲め」と変更されて伝わっていた。そしてみな、「味噌汁は放射能の害をキャンセルする。だから、マクロバイオティックはガンを治す」というように信じていた。ま、当時は各会社が日本食と食材を売り込むことに力を入れてたので、マーケティングの一環だったのだろう。モノを売るためには、これくらいの作り話は常識だ。

もちろんこの場合の塩とは、昔ながらの自然塩である。

とにかく、塩という単純なモノが生と死の分かれ目になったというところが、非常に興味深い。


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