たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

山田原

2015-04-15 15:36:09 | 伊勢神宮

<外宮参道 げぐうさんどう>

 

外宮周辺について調べていますと、

「山田原(やまだのはら)」という言葉が目につきます。

山田原(現在の山田地区周辺)というのは、

外宮門前町を中心とする伊勢市内の地名で、

この地域では神宮のご祭神とは系統の異なる

「土着の神々」をあちらこちらで祀っています。

 

山田地区には、古代から人々が居住していたそうで、

外宮の神域に相当する高倉山の古墳を始め、

竪穴式住居跡なども発見されているとのこと。

神宮の由緒では、内宮創建から500年後に、

外宮が創建されたとしておりますが、

実は豊受大御神をお呼びするずっと前から、

山田の地では独自の信仰が根づいていました。


豊受大御神

2015-04-14 21:20:00 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

「外宮」の名で知られる豊受大神宮(とようけだいじんぐう)には、

豊受大御神 (とようけのおおみかみ)という神様が祀られています。

豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、

御饌、つまり神々への供え物を司る神様であり、

農業はもちろん、人々の生活を支えるすべての産業の守護神です。

 

内宮創建から500年後の雄略天皇22年、

天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、

「自分一人では食事が安らかにできないので、

丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を

近くに呼び寄せるように」とのご神託がありました。

それを受けて同年7月7日、内宮に近い山田の地に、

豊受大御神を迎えたのが外宮の始まりといわれています。


神様の息吹

2015-04-13 15:39:00 | 歴史・神話・旅・風景

<氏神 うじがみ>

 

日本人の大好きなお花見は、

もともと神の依り代である桜の木の下で、

「神様をお迎えするために行った神事」

が起源だという説があります。

山の神が里を訪れた知らせとして、

桜の花々が一斉に咲き始めるのだとか。

 

そう考えながら、桜の木を眺めてみると、

どんなに大きな出来事や、

どんなに激しい天候異変が起こっても、

毎年毎年必ず花を咲かせくれる

桜(神様)の偉大さを感じるはず。

桜の花びらの一枚一枚が神様の化身で、

舞い踊る花吹雪は、私たちを浄化する

「神様の息吹」のように思えてきます。


桜と神様

2015-04-12 14:42:44 | 歴史・神話・旅・風景

<氏神 うじがみ>

 

普段見慣れている景色のあちこちに、

桜の彩りが添えらえるこの時期になると、

「日本人は本当に桜が好きなのだな」と改めて気づきます。

すでに関東より西の地方では、

満開の時期は過ぎ、葉桜となってしまいましたが、

荒天の合間をぬって、神社と桜の風景を巡ってまいりました。

 

ちなみに桜という名前の語源には、

いくつか説がありまして、 代表的なのは、

古事記に登場する「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」

の「さくや」が転化したという説。

そして桜の「さ」が穀物の霊を、

「くら」が神霊が鎮座する場所を表すという説などなど…。

 

いずれにせよ、「神様」を呼び寄せる花として、

日本人の生活と密接に結びついているのが桜でして、

春になったから桜が咲くのではなく、

「桜が咲いたから春が来る」という話も、

あながち間違ってはいないのでしょう。


神風が吹く

2015-04-11 10:47:39 | 伊勢神宮

<風宮 かぜのみや>

 

「神風が吹く」という表現がありますが、

外宮の風宮、内宮の風日祈宮というお宮は、

鎌倉時代の元寇の際に神風を吹かせ、

日本の国難を救ったことから、

神宮の別宮として昇格しました。

普通に考えれば、

神様が風を吹かせ、敵陣を撤退させるなど、

根拠のないおとぎ話に聞こえるかもしれません。

 

ただ、これまで風宮を始めとする

神宮で遭遇した様々な自然現象は、

やはり単なる天候の変化などではなく、

神様の存在をはっきりと知らしめるもの。

「ただの風」「ただの雨」「ただの光」

としか受けとめられないのは、

現代人の感覚が鈍っているだけでなのでしょう。

 

今後も、日本が国難に襲われそうになると、

神様は精一杯、神風を吹かせようとするはず。

とはいえそこに、「日本を守ろう」という

私たちの気持ちの後押しがなければ、

神風の威力は半減します。

神様と人間とが一体となって、

日本の国土と日本人の命を守る場所が、

神宮であり各地の神社でもあるのですね。

 

<風日祈宮 かざひのみのみや>


神様の意思

2015-04-10 10:32:10 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<風宮 かぜのみや>

 

一昨年の内宮の遷御の儀の際に、

「神様の出御(しゅつぎょ)とともに風が吹いた」

という話をよく耳にします。

カケコー(鶏鳴三声)という掛け声を合図に、

古いお宮から御神体がお出ましになるとき、

まるで祭事の場を浄化し、

神域の杜を包み込むかのように、

御扉の向こうから、勢いよく風が吹き抜けたそうです。

 

神様というのは、雨・風・光など、

自然現象により意思を示すことが多く、

私自身も以前、風宮の祭典で、

神職の方が祝詞を挙げている最中、

周囲の森を揺らすほどの強い風が、

巻き起こったことを記憶しております。

 

その不思議な風に出合ってからは、

日常のふとした瞬間に風を感じると、

そこに「神様の意思」を

重ねずにはいられなくなるもの。

遷御の儀で神風を目の当たりにした方々も、

きっと神様の存在を確信したことでしょう。


浄闇

2015-04-09 20:27:47 | 神社について

<内宮 ないくう>

 

各地の神社で行われる重要なお祭りの多くは、

決まって夜の闇(浄闇)の中で進行されます。

式年遷宮のクライマックスである遷御の儀も、

神様が古いお宮から出御される直前、

神域内のすべての明かりが消され、

松明の炎のみが足元を照らす中、

渡御の御列が新宮へと進みました。

 

伊勢の内宮などは、

太陽の神である天照太御神がご祭神ですから、

日光が照らす昼間にご神事が行われても

決して不思議ではないのですが、

真夜中の儀式の様子を写真や映像等で拝見したり、

夜明け前の薄暗い神宮の境内を散策したりしますと、

暗闇の中で行われる理由が何となくわかるもの。

 

暗い神域の中に身を置くことで、

神様と自分との一対一の関係が作られ、

また周囲の景色がはっきりと見えない分、

他の感覚がいつも以上に敏感になります。

視覚から入ってくる雑念や思い込みを排除し、

精妙な神様の気配(神気)を感じるには、

やはり暗闇という条件が必要なのでしょう。


神様の正体

2015-04-08 13:16:44 | 神社について

<外宮 げぐう>

 

伊勢神宮の遷御の儀に参列したある方が、

「神様は見るものではなく、

感じるものだということがわかった」

とおっしゃっていました。

どんなに目をこらしても、

暗闇の中で神様の姿を確認することなどできず…。

その際にかろうじて触れられるのは、

神様が通り過ぎる微かな気配のようなものだけ。

最終的には、視力に頼らず心の目を見開いたとき、

畏怖を感じるほどの大きな存在に気づいたと聞きます。

 

私たちは「神様」という言葉を聞くと、

人間と同じような「像」をイメージしますが、

もともと神社の本殿の中が「空」であるように、

神様は視覚でとらえるものではありません。

遷宮の祭典を拝見していても、

「神様の正体」などどこにもなく、

神職の方が視線を向ける方向には、

自然の風景とわずかな祭器類があるのみ。

それでも見ている私たちは、

手を合わせる先に神様の存在を感じ、

畏れ多い気持ちを抱かずにはいられないのですね。


心を映す鏡

2015-04-07 13:13:13 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

先日の式年遷宮記念映画上映会のあとに、

式年遷宮に関するシンポジウムが行われました。

その中で多くの方がおっしゃっていたのは、

「とにかく神宮に来て欲しい」という内容です。

いくら本で勉強をしたり、他人の感想を聞いたりしても、

そこで触れられるのはほんの一部分のみ。

実際に神宮の中に身を置いて初めて、

「あー日本人とはこういうものなのか」

と納得できるのでしょう。

 

もともと神道の教えは、「自分の心を映す鏡」です。

神道の仕掛けが隅々まで施された神社を訪れることで、

そのときの自分の心境が如実に浮き出されます。

神社という場所は祈願をしたり、

パワーをもらったりするところではなく、

「自分を見つめるところ」でして、

その象徴である場所が、伊勢神宮であり、

内宮の御神体の八咫の鏡なのだと思います。


来て・見て・感じて

2015-04-06 14:08:46 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊勢宮忠制作 御正殿模型>

 

先日都内で開かれた、

第62回式年遷宮の記録映画上映会に

行ってまいりました。

さすがに、神宮の公式映像だけあって、

プロのカメラマンでも

撮影できないような内容がたくさんあり、

非常に興味深く拝見した次第。

遷御の儀の様子はもちろん、

限られた神職しか入れない神域や、

建築中の御正殿の内部の様子など、

私たちが一生お目にかかれないであろう部分が、

鮮明に記録されていることに、

神宮の熱意をひしひしと感じました。

 

ここ数年、式年遷宮の影響で、

伊勢神宮(特に外宮)への参拝者、

大幅に増えたと聞きますが、

実は遷宮が終わったこれからが、

次の20年に向けての正念場であり、

私たちが日本という掛け替えのない国を

維持していけるかどうかの分かれ目です。

神宮(および神社)の力というのは、

言葉や文章だけでは伝えきれず、

「来て見て感じて」初めて、

自分の全身で受け取るもの。

 

ぜひともまずは近所の氏神へ…。

そして機会があれば、

伊勢神宮を訪れることで、

日本人としての自分を、

さらに深く実感できるでしょう。

 

<伊勢のゆるキャラたち>


奉幣

2015-04-05 12:45:45 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<外宮 げぐう>

 

大御饌に続いて行われたのは、

天皇陛下から奉られる

幣帛 ( へいはく ) を奉納する 

奉幣(ほうへい)という儀式です。

古くは「 一社奉幣 ( いっしゃほうへい ) 」と称され、

遷御とともにひときわ重んじられてきた祭儀だとか。

遷御の儀の後、天皇陛下から派遣された勅使(ちょくし)を、

初めてお迎えする祭典でもあります。

 

この風宮の奉幣をもって、

8年にもおよぶ遷宮行事がすべて終わりました。

長く続く奉幣の参進の列が、

外宮の杜の中に消えていくのを見届けながら、

20年後の遷御の儀も、

相変わらずこの場にあることを、

心の中で強く祈念した次第です。


大御饌

2015-04-04 13:47:16 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

風宮の遷御の儀が済んだ翌朝、

神様に最初のお食事をお供えする、

大御饌(おおみけ)が執り行われました。

この日は、早朝から深い霧が立ち込め、

外宮の神域内はとても静謐な雰囲気。

白く靄がかかった杜の向こうから、

神職の方々が参進してくる様子は、

まるで神話の一場面のようでした。

 

そばで見ていた地元の方も、

「霧の中の参進には、滅多に出会えない」

とおっしゃっていましたが、

快晴の御戸祭から始まり、

曇り~雨~晴れ、曇り~雨~晴れ、

と目まぐるしく天候が変わった

遷御の儀までの4日間。

風宮の神様は、深い霧とともに新宮に鎮まり、

朝早くから訪れた参拝者を静かに迎えました。


天気の神様

2015-04-03 13:44:44 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<外宮 げぐう>

 

風宮の御飾が済んだ後、

閉門するギリギリの時間まで、

再度外宮の神域を散策しておりました。

暗くなるに従い、一層雨脚が強まった境内は、

しっとりとした湿気をまとい、

お社を彩る木々の緑も、

さらにその色の深みを増したようです。

 

これまで外宮で雨に降られたことは

一度もなかったのですが、

さすがに天気を司る風宮だけあって、

遷宮のお祭りの期間中は、

目まぐるしく天気が変わりました。

そのおかげで、様々なバリエーションの祭典を

拝見できたのは幸運だったと思います。

ちなみに、夜8時から行われた風宮の遷御の儀は、

雨の中行われたという話です。


御飾

2015-04-02 15:46:00 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<外宮 げぐう>

 

風宮の遷御の儀が行われる日の午前中、

遷御前の最後の祭典にあたる

御飾(おかざり)が行われました。

御飾は、新調された御装束を身につけ、

御殿の中を絹の布で飾りつける儀式で、

御神体をお納めする御樋代(みひしろ)は、

紫色や緋色の御衾(みふすま)で被われるそう。

 

御飾の祭儀が行われていたときは、

時折日が差していたのですが、

遷御の時間が近づくにつれ、

次第に雨模様になりました。

御飾の祭儀をもって、

遷御の儀の準備はすべて整い、

あとは新宮に神様をお迎えするだけになります。


三つ石

2015-04-01 13:24:00 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

外宮の御正殿に向かう途中に、

「三つ石」と呼ばれる場所があります。

三つ石の周りでは、 団体ツアーのガイドさんが、

「パワースポットです!」 「ぜひパワーをもらってください」

と叫んでいる光景をよく見かけるもの。

観光案内本にも記載されているので、

ご存じの方も多いはずです。

 

もともと三つ石というのは、

外宮内に流れていた川の名残でして、

正式には「川原祓所」(かわらのはらいしょ)といい、

遷宮諸祭の際、神宮祭主や奉仕員を祓い清める場所のこと。

最近は石の上にお賽銭を投げる人も増えているようで、

神宮側もその対応に苦慮していると聞きます。

 

ちなみに神職さんいわく、

神宮では三つ石を特別視しているわけではなく、

「パワー云々はその人の感じ方次第」だそう。

いずれにせよ、三ツ石は祓いの場ですから、

手をかざしたり、お賽銭を投げたりするのは、

避けたほうがよいでしょう。