<外宮 げぐう>
伊勢神宮の遷御の儀に参列したある方が、
「神様は見るものではなく、
感じるものだということがわかった」
とおっしゃっていました。
どんなに目をこらしても、
暗闇の中で神様の姿を確認することなどできず…。
その際にかろうじて触れられるのは、
神様が通り過ぎる微かな気配のようなものだけ。
最終的には、視力に頼らず心の目を見開いたとき、
畏怖を感じるほどの大きな存在に気づいたと聞きます。
私たちは「神様」という言葉を聞くと、
人間と同じような「像」をイメージしますが、
もともと神社の本殿の中が「空」であるように、
神様は視覚でとらえるものではありません。
遷宮の祭典を拝見していても、
「神様の正体」などどこにもなく、
神職の方が視線を向ける方向には、
自然の風景とわずかな祭器類があるのみ。
それでも見ている私たちは、
手を合わせる先に神様の存在を感じ、
畏れ多い気持ちを抱かずにはいられないのですね。