<佐世神社 させじんじゃ>
「スサノオ・ライン」と呼ばれるその道筋は、
朝日たたらで有名な佐田町、
一つ目神の伝承が残る大東町、
そして鋼の町・安来市安来町付近を
一直線に貫く「メタルロード」でもあります。
そして、興味深いことにそれらのどの土地にも、
スサノオに縁する神社や言い伝えが存在するなど、
スサノオ信仰との強い結びつきが伺えるのですね。
先日、金屋子神に関する記事の中で、
「スサノオが本当に守りたかったのは、
無計画なタタラ操業によって切り倒された山々だろう」
といった内容の文章を書きましたが、
それを前提に考えるなら、このライン上の山々では、
砂鉄の利権だけでなく、森林資源を巡る攻防が
繰り広げられていたとも想像できます。
恐らく、最初に「タタラ」という
最新の製鉄技術を持ち込んだのは、
スサノオ信仰とともに来日した渡来人たちであり、
その多くは奥出雲の先住民に技術を伝授しながら、
採取した砂鉄を「平和利用」していたはずです。
その後、奥出雲の資源を荒らし始めた
「越の八口」の一団と、スサノオ信仰を持つ
人々との争いがスサノオ・ライン上で勃発し、
幾多の「ヤマタノオロチ」の話を
生み出した可能性もありそうですね。