たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

渡来の習俗

2019-03-06 09:05:19 | 出雲の神社

<諏訪大社本宮 すわたいしゃほんみや>

 

金屋子神が出雲国で指示したとされる

「良質の鉄を採るための方法」のほとんどが、

いわゆる「死」や「死体」に関連する内容です。

これらの話を前提に、「金屋子神は死を好む」

「金屋子神は生贄を必要とする」

などと論じられるわけですが、考えてみますと、

そのとき出雲のタタラ民が行ったのは、

「棺桶」「葬式」「死んだ人」に関する神事のみであり、

「生きている人間」を葬ったわけではありません。

つまり、その当時の出雲のタタラ民は、

極力「生贄」という習俗を避けようとした、

という風にも受け取れるのですね。

 

だとすれば、金屋子神が持ち込んだ風習は、

いったいどこから来たものなのでしょうか……。

現時点で、可能性のひとつとして考えられるのは、

「殺牛祭祀」という「生きた動物」を

神に捧げる文化を持つ新羅という国です。

金屋子神が縋った「諏訪の神」とも縁する

「新羅系の一部の渡来人」が、

人柱という神事を伝えたと仮定すると、

出雲国と播磨国との間で起きた「鉄の争い」が、

また違ったニュアンスに感じられるでしょう。