<桜島>
「隼人」と呼ばれる人々は、
もともと鹿児島など南九州一帯に
居住していた日本の先住民族であり、
インドネシア系南方文化の影響を受けた、
海人族の一派だったとも言われています。
のちに「八幡神」と称する新羅系渡来人の襲来など、
幾多の争いの歴史に巻き込まれたことにより、
その多くが殺害されてしまったと聞きますが、
残った者たちは、大和族(天孫族)への
忠誠を誓うことで血統を保ち、
宮中に仕えて警護などの役職を担ったり、
舞や相撲などの芸事に従事したりして、
自らの家系を継続させたようです。
また当時は、先住民族と渡来人との間だけでなく、
百済系渡来人と新羅系渡来人との間にも、
深い因縁を残す出来事が繰り返されたため、
隼人をはじめとする先住民族の人々も、
それらのイザコザに翻弄され、
敵と味方に分かれることも多かったのでしょう。
恐らく、隼人の一大居住地である南九州の一帯に、
「百済王」の伝説が残っていることなどを考えれば、
隼人の一部は百済側と結びついていたのかもしれません。
だとすると、百済の文化に馴染んだ奥出雲の人々が、
新羅寄りの「播磨の金屋子神」が持ち込んだ祭祀を避け、
「みかん」を供物から排除した背景も見えてきますね。