天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

無風地帯

2013-08-18 21:14:37 | 小説
私は診察室で医師と向かいあっていた。太り気味の体。あちこちに散らばったぱさついた白髪。銀縁の眼鏡からのぞく落ち着きのない目。私は手に持った血液検査の結果を見ていた。
「赤血球の値も正常範囲内ですし、栄養状態もよくなりました。」
「ということは、だいぶ体の調子は良くなったということですね。」
「そう言えると思います。」
「ありがとうございます。点滴のおかげですか。」
「そうですね。それによって改善されたということでしょう。」
私は一番気になることを尋ねる。
「あの、母の様子がおかしいんですけど。幻覚や幻聴を見たり聞いたり、つじつまのあわないことを口走ったりするんです。それって、アルコールのせいですか。」
医師は少し目を逸らす。
「それも考えられますけど、はっきりはわかりません。」
医師は先日検査したCTの写真を見せながら説明する。
「全体的に脳の萎縮が見られますね。」
「それはアルコールのせいですか。治るものなんですか。」
「はっきりは断言できません。ほんの少しの萎縮なので、戻るとも戻らないとも今の時点ではなんとも言えません。」
「じゃあ、どうしたらいいんですか。」
「今は様子を見るしかありません。」
「先の見通しは。」
医師はあからさまにいらいらとした調子で私を見る。
「まだ入院して一週間じゃありませんか。とりあえず今は様子をみるしかありません。」
私はうんざりしてきた。では、今はどうしようもできないということなのだろうか。それなら、ここで入院する意味はあるのだろうか。
「体は回復しているとおっしゃられましたよね。ということは、退院してもよろしいですか。」
医師はちょっと声のトーンを穏やかにする。
「もう少し点滴を続けられたらいかがですか。他のところも検査してみないとわかりませんし。」
これ以上どこを検査するというのだ。私は思った。尿、血液検査、胸部のエックス線撮影、脳のCT、心電図、胃カメラまでのんだというのに。もうこれ以上、わけもわからず、母を引っ張りまわすのは嫌だった。入院のための入院をさせる意味があるのだろうか。母だって家に帰りだかっている。私は言う。ため息をつかずに言葉を続けるには努力が必要だった。
「家族と相談してみます。」

私は診察室を後にする。どっと疲れがおしよせる。あまり意味がない面談だった。私はため息をつきながら、母の病室に向かった。


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