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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 濟世安民

2012-10-18 08:58:50 | 十八史略

太宗文武皇帝名世民。幼日有書生見之曰、龍鳳之姿、天日之表。其年幾冠、必能濟世安民。書生去。高祖使人追之。不見。乃採其語爲名。年十八擧義兵。李密降唐初見高祖、色尚傲。及見秦王、不敢仰視。退而歎曰、眞英主也。高祖、以秦王功高、特置天策上將。位在王公上。以秦王爲之。開府置屬。開館以延文學之士。杜如晦・房玄齢・虞世南・褚亮・姚志廉・李玄道・蔡允恭・薛元敬・願相時・蘇勗・于志寧・蘇世長・薛収・李守素・陸明・孔頴達・蓋文達・許敬宗爲文學學士、分爲三番、更日直宿。

太宗文武皇帝、名は世民。幼(よう)なりし日、書生有り、之を見て曰く、「龍鳳の姿、天日(てんじつ)の表あり。其の年、冠するに幾(ちか)くして、必ず能く世を済(すく)い民を安(やす)んぜん」と。書生去る。高祖、人をして之を追わしむ。見えず。乃ち其の語を採って名となす。年十八にして義兵を挙ぐ。李密、唐に降(くだ)り、初めて高祖に見(まみ)えて、色、尚傲(おご)れり。秦王に見ゆるに及んで、敢えて仰ぎ視ず。退いて歎じて曰く、「真の英主なり」と。高祖、秦王の功高きを以って、特に天策上将を置く。位、王公の上に在り。秦王を以って之と為す。府を開いて属を置く。館を開いて以って文学の士を延(ひ)く。杜如晦(とじょかい)・房玄齢(ぼうげんれい)・虞世南(ぐせいなん)・褚亮(ちょりょう)・姚志廉(ようしれん)・李玄道・蔡允恭(さいいんきょう)・薛元敬(せつげんけい)・願相時(がんしょうじ)・蘇勗(そきょく)・于志寧(うしねい)・蘇世長・薛収(せっしゅう)・李守素・陸明・孔頴達(くえいたつ)・蓋文達(こうぶんたつ)・許敬宗(きょけいそう)を文学館の学士と為し、分(わか)って三番と為し、日を更(か)えて直宿(ちょくしゅく)せしむ。

天日の表 太陽のような容貌。 冠 元服加冠。 天策上将 高祖が世民のために特に天策府という官署をつくった、その長。 府 天策府。 属 部下。 延く 結集する。 三番 三班。 直宿 宿直。

太宗文武皇帝の名は世民。まだ小さい頃、ある書生が幼子を見て、「まるで龍や鳳凰の気高さ、太陽のような相をしている。加冠する年齢に近くなれば、必ずよく世を済い民を安らかにすることであろう」と言って去った。高祖は急いで人をやって追わせたが、見失ってしまった。その書生の言葉を採って世民と名づけた。年十八で義兵を挙げ、遂に天下を平定した。李密が敗れて唐に降り、初めて高祖に謁見したとき、その顔にはなお倣岸不遜の色をたたえていたが、秦王世民に会った時には、まともに顔を見ることができず、退いて歎息して言うには、「彼こそ真の英主というものだ」と。
高祖は秦王の功績が他に抜きんでていたので、特に天策府を設けて王公の上位とした。世民を上将に就かせ、属官を置いた。
また学問所を設け、十八人の学者、杜如晦・房玄齢・虞世南・褚亮・姚志廉・李玄道・蔡允恭・薛元敬・願相時・蘇勗・于志寧・蘇世長・薛収・李守素・陸明・孔頴達・蓋文達・許敬宗を三班に分け、交替でつめさせた。