突厥頡利・突利二可汗、合十餘萬騎入寇、進至渭水便橋之北。上自與房玄齢等六騎、徑詣渭水上、與頡利隔水語、責以負約。突厥大驚、皆下馬羅拜。俄而諸軍繼至、旗甲蔽野。頡利懼請盟而退。
置弘文、聚四部二十餘萬、選天下文學之士。虞世南等以本官兼學士。聽朝之隙、引入内殿、講論前言往行、商榷政事、或夜分乃罷。取三品以上子孫、充弘文學士。
突厥(とっけつ)の頡利(けつり)・突利の二可汗、十余万騎を合わせて入寇(にゅうこう)し、進んで渭水便橋の北に至る。上(しょう)、自ら房玄齢等六騎と、径(ただち)に渭水の上(ほとり)に詣(いた)り、頡利と水を隔てて語り、責むるに約に負(そむ)くを以ってす。突厥大いに驚き、皆馬より下って羅拝(らはい)す。俄かにして諸軍継いで至り、旗甲(きこう)野を蔽う。頡利懼れて盟を請うて退きぬ。
弘文館を置き、四部二十余万を聚(あつ)め、天下文学の士を選ぶ。虞世南(ぐせいなん)等本官を以って学士を兼ぬ。朝を聴くの隙(ひま)内殿に引き入れて、前言往行を講論し、政事を商榷(しょうかく)し、或いは夜分にして乃ち罷(や)む。三品(さんぽん)以上の子孫を取って、弘文館の学士(生)に充(あ)つ。
可汗 汗(ハン)、首長。 羅拝 並んで拝すこと。 四部 四庫に同じ、経書・歴史・諸子百家・詩文などその他の集。 本官 本来の官職。 前言往行 先哲諸賢の言行。 商榷 商ははかる榷はくらべる、比較商量。 三品 親王の第三位階。 弘文館の学士 学生の誤りか。
突厥の頡利と突利の二可汗が、十余万騎を糾合して辺境を侵し渭水便橋の北にまで入ってきた。太宗世民は自ら房玄齢ら六騎を従えて渭水の南岸まで行き、頡利と川を隔てて対峙し、すぐる年の盟約に叛いた罪をなじった。突厥は太宗の威厳に大いに驚き、皆馬を下りて並んで拝礼した。すると間もなく唐の諸軍が到着し、旗じるしや甲冑があたりを蔽い尽くした。頡利は恐れて和睦の盟約を自ら願い出て引き上げた。
翌九月、弘文館を開き、経・史・子・集の四部の書籍二十万余巻を集め、国中の学問の士を選び、虞世南らには本来の任務と兼ねさせて弘文館学士とした。太宗は政務の僅かな暇をみつけて、学士らを内殿に呼び、古人の言行について議論したり、古今の政治の長短を比較討論して、時には夜半に及ぶことがあった。また三品以上の身分の子弟の中から学生を選んで学問を学ばせた。