続き
乃ち遂に西のかた濮陽(ぼくよう)に至り、嚴仲子に見えて曰く「前日、仲子に許さざりし所以の者は、徒だ親の在すを以てなり。今、不幸にして母天年を以て終る。仲子の仇を報いんと欲する所の者は、誰と為す。請う、事に従うを得ん」と。嚴仲子、具(つぶ)さに告げて曰く、「臣の仇は、韓の相、俠累なり。俠累は又た韓の君の季父(きほ)なり。宗族、盛んにして多く、居処、兵衛、甚だ設(もう)く。臣、人をしてこれを刺さしめんと欲ししこと衆(おお)きも、終に能く就(な)す莫し。今、足下は幸いにして棄てず。請う、其の車騎・壮士にして足下の為に輔翼する者を益(ま)さん」と。
聶政曰く「韓の衛と相去ること、中間甚だしくは遠からず。今、人の相を殺さんとし、相は又た国君の親(しん)なり。此れ其の勢い、以て人を多くすべからず。人を多くせば、得失を生ずるなき能わず。得失を生ずれば、則ち語泄(も)れん。語泄れなば、是れ韓は国を挙げて仲子と讎(あだ)を為さん。豈殆(あや)うからずや」と。遂に車騎・人徒を謝す。
濮陽 衛の都 季父 すえの叔父 輔翼 たすけ 謝す 断る
乃ち遂に西のかた濮陽(ぼくよう)に至り、嚴仲子に見えて曰く「前日、仲子に許さざりし所以の者は、徒だ親の在すを以てなり。今、不幸にして母天年を以て終る。仲子の仇を報いんと欲する所の者は、誰と為す。請う、事に従うを得ん」と。嚴仲子、具(つぶ)さに告げて曰く、「臣の仇は、韓の相、俠累なり。俠累は又た韓の君の季父(きほ)なり。宗族、盛んにして多く、居処、兵衛、甚だ設(もう)く。臣、人をしてこれを刺さしめんと欲ししこと衆(おお)きも、終に能く就(な)す莫し。今、足下は幸いにして棄てず。請う、其の車騎・壮士にして足下の為に輔翼する者を益(ま)さん」と。
聶政曰く「韓の衛と相去ること、中間甚だしくは遠からず。今、人の相を殺さんとし、相は又た国君の親(しん)なり。此れ其の勢い、以て人を多くすべからず。人を多くせば、得失を生ずるなき能わず。得失を生ずれば、則ち語泄(も)れん。語泄れなば、是れ韓は国を挙げて仲子と讎(あだ)を為さん。豈殆(あや)うからずや」と。遂に車騎・人徒を謝す。
濮陽 衛の都 季父 すえの叔父 輔翼 たすけ 謝す 断る
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