誠以是得大利、又不爲妄。執其道不廢、卒以富、求者衆、其應廣。或斥棄沉廢、親與交視之落者、不以怠遇其人。必與善藥如故。一旦復柄用、厚報。其遠取利皆類此。吾觀今之交乎人者、炎而附、寒而棄。鮮有能之爲者。世之言、徒曰市道交。嗚呼、市人也。今之交有能望報如之遠者乎。幸而庶幾、則天下之窮困廢辱、得不死亡者衆矣。市道交、豈可少那。或曰、非市道人也。柳先生曰、居市不爲市之道。然而居朝廷、居官府、居庠塾郷黨、以士大夫自名者、反爭爲之不已。非夫。然則非獨異於市人也。
清誠に是を以って大利を得れば、また妄(もう)と為さず。その道を執(と)りて廃せず、卒(つい)に以って富み、求むる者益々衆(おお)く、その応(おう)益々広し。或いは斥棄沈廃(せききちんはい)して、親と交とこれを視ること落然たる者も、清は怠を以ってその人を遇せず。必ず善薬を与うること故(もと)の如し。一旦復た柄用(へいよう)せらるれば、益々厚く清に報ゆ。その遠く利を取ること皆此に類す。
吾今の人に交わるものを観るに、炎にして附き、寒にして棄つ。能く清の為(しわざ)に類する者有ること鮮(すくな)し。世の言うもの、徒(いたずら)に市道の交と曰う。嗚呼、清は市人なり。今の交に能く報いを望むこと清の遠きが如くなる者有らんや。幸いにして庶幾(ちか)ければ、則ち天下の窮困廢辱(きゅうこんはいじょく)、死亡せざるを得る者衆(おお)からん。市道の交、豈少なしとすべけんや。或いは曰く「清は市道の人に非ざるなり」と。
柳先生曰く「清は市に居りて市の道を為さず。然り而うして朝廷に居り、官府に居り、庠塾(しょうじゅく)郷党に居りて、士大夫を以って自ら名づくる者、反(かえ)って争うてこれを為して已(や)まず。悲しいかな。然らば則ち清は独り市人に異なるのみに非ざるなり」と。
妄 でたらめ。 応 供給。 斥棄沈廃 見捨てられ落ちぶれる。 親と交 親戚と友人。 落然 冷ややか。 怠 おろそかにする。 柄用 権力を得て重用されること。 炎 盛んなとき。 市道の交 利害を念頭に置いた交り。 窮困廃辱 困窮し棄てられ辱しめられること。 庠塾 学校。 士大夫 人格者。
宋清はこうしたやりかたで大きな利益を得ているのだから、でたらめな商売とは言えない。この方法を守り続けて富み、薬の需要が益々増え、その供給も広くなっている。中には世間から見捨てられ落ちぶれ果てて、親戚や友人から冷淡にみられている人も、宋清はその人をぞんざいに扱わない。必ずもとの通り良い薬を出している。そんな人が一旦権力を得て登用されると、ますます厚く報いることになる。宋清が後になって利益を得るのはこのようなやりかたなのだ。
私が今の人の付き合いかたを見ると、相手が盛んな時には近づき、落ちぶれると見捨てる。宋清のようなやりかたのできる者はほとんど居ない。それでも世間では宋清のやり方をただ商人の交際と言う。
ああ、宋清は正に商人である。しかし今の人たちの交りで、宋清のように遠い先の利益を考えている者があるだろうか。もし宋清のやり方に近い交わりができたなら、天下の困窮者、棄てられ辱しめられた人で死なずに助かる人たちがもっと多いことだろう。それならば商人の交わりと見下すことはできない。そこで「宋清はただの商売人ではない」という人もいる。
柳先生は言う「宋清は商人の町に居て商人の生き方をしない。それなのに朝廷の高官、官庁の役人、学校の先生、地方に居て人格者と自負している者がかえって利己的な商人のように争って利益を追求し続けている。誠に悲しむべきことだ。それなら宋清はただ商人の中で特異な存在であるというだけではあるまい」と。
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