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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 董卓少帝を廃す

2011-09-27 08:31:38 | 十八史略
上崩。在位二十二年、改元者四、曰建寧・熹平・光和・中平、子辨立。何太后臨朝。后兄大將軍何進、録尚書事。袁紹勸進誅宦官。太后未肯。紹等畫策、召四方猛將、引兵向京、以脅太后、遂召將軍董卓之兵。卓未至。進爲宦官所殺。紹勒兵捕諸宦官、無少長皆殺之。凡二千餘人。有無鬚而誤死者。卓至問亂由。辨年十四、語不可了。陳留王答無遺。卓欲廢立。紹不可。卓怒。紹出奔。卓遂廢辨。陳留王立。是爲孝獻皇帝。

上(しょう)崩ず。在位二十二年、改元する者(こと)四、建寧(けんねい)・熹平(きへい)・光和・中平と曰う。子の弁立つ。何太后朝に臨む。后の兄大将軍何進(かしん)、録尚書事となる。袁紹(えんしょう)、進に宦官を誅せよと勧む。太后未だ肯(がえ)んぜず。紹等画策し、四方の猛将を召し、兵を引いて京(けい)に向かい、以って太后を脅かし、遂に将軍董卓(とうたく)の兵を召す。卓未だ至らず。進、宦官の殺す所と為る。紹、兵を勒(ろく)して諸々の宦官を捕え、少長と無く皆之を殺す。凡そ二千余人なり。鬚(ひげ)無くして誤って死する者有り。卓至って乱の由(よし)を問う。弁年十四、語了す可からず。陳留王、答えて遺(のこ)す無し。卓、廃立せんと欲す。紹、可(き)かず。卓怒る。紹出奔す。卓遂に弁を廃す。陳留王立つ。是を孝献皇帝と為す。
録尚書事 尚書の事を録す、文書の事をつかさどる尚書を総監する。高官が兼任した。

霊帝が崩じた(189年)。在位二十二年で改元すること四回、建寧・熹平・光和・中平という。子の弁が位に即いた。何太后が朝に臨んで、政治を執り、太后の兄の大将軍何進が録尚書事になった。司隷校尉の袁紹が宦官を誅殺すべし、と何進に勧めたが、太后が承知しなかった。そこで袁紹たちは画策して、各地の勇猛な将を招集し、兵を率いて洛陽に向わせて太后を脅かした。そしてついに将軍董卓の軍を呼び寄せた。だが董卓の軍が洛陽に到着する前に、何進が宦官に謀殺された。袁紹は兵を指揮して宦官を捕え、老若を問わずことごとく殺してしまった。その数二千人余り、中には鬚がないため誤って殺された者もあった。やがて董卓が到着して、動乱の訳を尋ねたが、弁は年が十四であったが、要領を得なかった。弟の陳留王が逐一答えて遺漏がなかった。董卓は帝を廃位にして陳留王を立てようとしたが袁紹が承知しなかった。董卓は怒り、袁紹は洛陽を去った。董卓は遂に弁を廃位し、陳留王を即位させた。これが孝献皇帝である。

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