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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八詩略 焚書坑儒

2009-07-28 08:46:26 | Weblog
坑儒
三十五年、侯生盧生、相與譏議始皇、因亡去。始皇大怒曰、盧生等、吾尊賜之甚厚。今乃誹謗我。諸生在咸陽者、吾使人廉問、或爲妖言、以亂黔首。於是使御史悉案問。諸生傳相告引、乃自除。犯禁者四百六十四人、皆坑之咸陽。長子扶蘇諌曰、諸生皆誦法孔子。今、上皆重法縄之。臣恐天下不安。始皇怒、使扶蘇北監蒙恬軍於上郡。

三十五年、侯生・盧生、相與に始皇を譏議(きぎ)し、因(よ)って亡(に)げ去る。始皇大いに怒って曰く、盧生等、吾之を尊賜甚だ厚し。今乃(すなわ)ち我を誹謗す。諸生の咸陽に在る者、吾人をして廉問せしむるに、或いは妖言を為して、以て黔首を乱る。是に於いて御史をして悉く案問せしむ。諸生伝えて相告引し、乃ち自ら徐す。禁を犯す者四百六十四人、皆之を咸陽に坑にす。長子扶蘇諌めて曰く、諸生皆法を孔子に誦す。今、上(しょう)、皆法を重くして之を縄(ただ)す。臣、天下の安からざるを恐る、と。始皇怒り、扶蘇をして北のかた蒙恬の軍を上郡に監せしむ。

三十五年、侯生と盧生はともに始皇帝を非難して、秦から逃げ去った。皇帝は怒って「二人にはいつも手厚く待遇していた。にもかかわらずわしをそしっている、ほかにも咸陽に居る書生どもを調べさせたところ、悪いことを言いふらして市民を惑わす者がいる」と。さらに検察官に詳しく取り調べさせたところ、書生たちは密告し合って自分の嫌疑を逃れようとした。かくして上を謗る者四百六十四人を数えたが、全員咸陽に生き埋めにしてしまった。長男の扶蘇が「あの者達は孔子の言葉をとなえて手本としています。ところが陛下は法を厳重にして彼等を処刑しました。私はこれから天下が不安にならないかと心配でなりません」と諌めた。始皇帝は怒って扶蘇を北方の蒙恬軍の監督に追いやった。

譏議(きぎ) そしる、批判する。
廉問、案問 共に取り調べること。案問がより厳しい。
告引 他人を引き合いにして告訴すること
上郡 陜西省の地名

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