漢自丞相亮既亡、蔣琬爲政。楊敏毀琬曰、作事憒憒、不及前人。或請推治敏。琬曰、吾實不如前人、無可推。琬卒。費褘・董允、爲政。公亮盡忠。允卒。姜維與、費褘竝爲政。
魏曹爽驕奢無度。司馬懿殺之。懿爲魏丞相、加九錫不受。爽之黨夏侯覇奔蜀。姜維問之曰、懿得政。復有征伐志否。覇曰、彼營立家門、未遑外事。有鍾士季者。雖少若管朝政、呉・蜀之憂也。
魏司馬懿卒。以其子師爲撫軍大將軍、録尚書事。
呉主殂。諡曰太皇帝。子亮立。
漢費褘、汎愛不疑。降人刺殺之。姜維用事、數出兵攻魏。
漢、丞相亮、既に滅びしより、蔣琬(しょうえん)、政を為す。楊敏、琬を毀(そし)って曰く、「事を作(な)すこと憒憒(かいかい)たり、前人に及ばず」と。或いは敏を推治(すいち)せんと請う。琬曰く、「吾実に前人に如かず、推す可き無し」と。琬卒す。費褘(ひい)・董允(とういん)政を為す。公亮(こうりょう)にして忠を尽くす。允卒す。姜維(きょうい)、費褘と竝びに政を為す。
魏の曹爽(そうそう)驕奢(きょうしゃ)にして度無し。司馬懿(しばい)、之を殺す。懿、魏の丞相と為り、九錫(きゅうしゃく)を加うれども受けず。爽の党の夏侯覇(かこうは)、蜀に奔(はし)る。姜維之に問うて曰く、「懿、政を得たり。復征伐の志有りや否や」と。覇曰く、「彼、家門を営立して、未だ外の事に遑(いとま)あらず。鍾士季(しょうしき)という者有り。少(わか)しと雖も若(も)し朝政を管せば、呉・蜀の憂いならん」と。
魏の司馬懿卒す。其の子師を以って、撫軍大将軍と為し、尚書の事を録せしむ。
呉主殂(そ)す。諡(おくりな)して太皇帝と曰う。子亮立つ。
漢の費褘、汎(ひろ)く愛して疑わず。降人之を刺し殺す。姜維、事を用い、数しば兵を出だして魏を攻む。
憒憒 こころ乱れるさま。 推治 罪を取り調べる=推問。 公亮 公平で明らかなこと。 九錫 天子から賜る九種の品や特典。輿馬、衣服、楽器、虎賁(勇者三百人)、弓矢、鈇鉞(ふえつ=殺生の権)、秬鬯(きょちょう=祭酒)、朱戸(朱塗りの門)、納陛(宮殿内の階段、取り次ぎ無しで直接天子に謁見できる権利)。 録尚書事 宮中の文書をつかさどる尚書を総括する。 事を用い 政治をおこなうこと。
漢では、丞相亮が亡くなってから、蔣琬が政治をおこなっていた。楊敏がそれを「迷ってばかりで決断が遅い、とても前の諸葛公には及ばぬ」と、漏らした。ある人が楊敏を罪に問うよう要請したところ、「私は確かに諸葛公に及ばないのだ、処罰のしようがない」と取り上げなかった。やがて琬が死ぬと、費褘と董允が政治にあたった。
魏の曹爽が驕奢限りなく、司馬懿がこれを殺した。司馬懿は魏の丞相になり、九錫を賜ったが、受けなかった。曹爽の一派の夏侯覇は蜀に逃げた。蜀の姜維が覇に尋ねて「司馬懿は実権を手にいれたようだが、他国を伐つ気はあるだろうか」と。覇は「彼は一門の繁栄に心を奪われており、他国の事にまで目を向けるまでには至って降りません。ただし鍾士季という者がおります。まだ弱年でありますが、朝政にあずかるようになると、呉や蜀にとって憂いのもとになるでしょう」と言った。
魏の司馬懿が亡くなった。その子の師を撫軍大将軍とした、併せて録尚書事に任じられた。
呉主孫権が歿した。太皇帝と諡して、子の孫亮が後を嗣いだ。
漢の費褘はひろく人を愛して疑うことがなかった。そのため魏の降人に暗殺された。そこで姜維が代って政治を行い、何回か兵を出して魏を攻めた
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