魏李豐、數爲魏主所召。司馬師知其議己殺之。魏主不平。左右勸誅師。魏主不敢發。師廢魏主。僭位十六年。改元者二、曰正始・嘉平。師迎立高貴郷公。是爲廢帝。名髦。文帝之孫、明帝之姪。年十四即位。
揚州都督毋丘險・刺史文欽、起兵討司馬師。師撃敗之。師卒。弟昭爲大將軍、録尚書事。已而爲大都督、假黄鉞。揚州都督諸葛誕、起兵討昭。昭攻殺之。昭爲相國、封晉公。加九錫不受。
魏の李豊、数しば魏主の召す所と為る。司馬師其の己を議することを知って之を殺す。魏主平かならず。左右、師を誅せんことを勧む。魏主、敢えて発せず。師、魏主を廃す。位を僭(せん)すること十六年。改元する者(こと)二、正始・嘉平と曰う。師、高貴郷公を迎立す。是を廃帝と為す。名は髦(ぼう)。文帝の孫にして、明帝の姪(てつ)なり。年十四にして位に即く。
揚州の都督毋丘倹(ぶきゅうけん)・刺史文欽、兵を起こして司馬師を討つ。師、撃って之を敗る。師卒す。弟の昭、大将軍と為り、録尚書事と為る。已(すで)にして大都督と為り、黄鉞(こうえつ)を仮(か)る。揚州の都督諸葛誕、兵を起こして昭を討つ。昭、之を攻め殺す。昭、相国(しょうこく)と為り、晋公に封ぜらる。九錫を加うれども受けず。
高貴郷公 高貴は邑の名、郷公は王の庶子の封爵の名。 廃帝 強制されて位を退いた皇帝。 姪 おい、めい。 毋丘倹 毌丘倹(かんきゅうけん)とも。 相国 宰相。 黄鉞を仮る 黄金で飾った斧、天子の持つべきもの、それで仮るといった。
魏の李豊がしばしば国主曹芳に呼ばれるようになった。司馬師はそれが自分に対する謀議であることを知って、李豊を殺してしまった。曹芳は心中穏やかならず、左右の近臣も司馬師を誅殺するよう勧められながら、踏み切れずにいたところ、逆に師によって廃位されてしまった(254年)。帝位を僭称すること十六年、改元すること二回、正始・嘉平である。
司馬師は高貴郷公を迎えてこれを立てた。後に廃帝になった曹髦で文帝の孫、明帝の甥にあたり、十四歳で即位した。
揚州都督の毋丘倹と刺史の文欽が兵を挙げて師を討とうとした。司馬師はこれを撃破したが、病で歿した。後を託された弟の司馬昭が、大将軍、録尚書事、さらに大都督となり、天子の持つべき黄鉞を手にするに至った。揚州都督の諸葛誕が挙兵して昭を討とうとしたが、敗れて殺された。司馬昭はやがて相国となり、晋公に封ぜられ、九錫を加えられたが受けなかった
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