二十一年、韓休同平章事。休爲人峭直。上或宴遊小過、輒謂左右曰、韓休知否。言終諌疏已至。左右曰、休爲相、陛下殊痩於舊。上歎曰、吾雖瘠、天下肥矣。休罷。張九齢繼之。
二十二年、九齢爲中書令、李林甫同三品。林甫柔佞多狡數。深結宦官及妃嬪家、伺上動靜、無不知之。由是毎奏對常稱旨。
二十一年、韓休、同平章事たり。休、人となり峭直(しょうちょく)なり。上、或いは宴遊小しく過ぐれば、輒(すなわ)ち左右に謂って曰く、「韓休、知るや否や」と。言い終わって諌疏(かんそ)已に至る。左右曰く「休、相となり、陛下殊に旧より痩せたり」と。上、歎じて曰く、「吾痩せたりと雖も、天下肥えたり」と。休罷(や)む。張九齢、之に継ぐ。
二十二年、九齢、中書令となり、李林甫、同三品たり。林甫、柔佞(じゅうねい)にして狡数(こうすう)多し。深く宦官及び妃嬪(ひひん)の家に結び、上の動静を伺いて、之を知らざる無し。是に由って奏対(そうたい)する毎に、常に旨(むね)に称(かな)う。
峭直 厳格で道理を曲げないこと。 諌疏 諫言の上書。 柔佞 人当たりが柔らかく、口が上手い。 狡数 狡猾で術数が多い。 奏対 奏上、応対
二十一年、韓休、同平章事になった。韓休は厳格で一徹な性格であった。玄宗が宴席で少しでも度を過ごすと、左右に「韓休は気付いていないだろうな」と言うと、すでにその時には諌めの上書が届いているという次第であった。側の者も「韓休が宰相になって陛下は以前よりお痩せになったのではありませんか」と更迭を仄めかすとため息まじりに、「わしは痩せたが天下が肥えたぞ」と退けた。しかしやがて韓休は職を辞し、張九齢が後を継いだ。
開元二十二年、張九齢は中書令になり、李林甫が同三品となった。李林甫は外面は柔和でありながら、狡賢く、謀をめぐらすことに長じていた。宦官や後宮の女官たちに近づき、玄宗皇帝の動静を窺って、常に把握していた。だから何事につけ、意にそわぬことはなかった。
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