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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宋八家文 柳宗元 梓人傳 (四の四)

2014-12-02 11:55:42 | 唐宋八家文
或曰、彼主爲室者、儻或發其私智、牽制梓人之慮、奪其世守、而道謀是用、雖不能成功、豈其罪耶。亦在任之而已。余曰、不然。夫繩墨誠陳、規矩誠設、高者不可抑而下也。狹者不可張而廣也。由我則固、不由我則圮。彼將樂去固而就圮也、則巻其術、默其智、悠爾而去、不屈吾道。是誠良梓人耳。其或嗜其貨利、忍而不能捨也。喪其制量、屈而不能守也。棟撓屋壞、則曰非我罪也、可乎哉、可乎哉。余謂梓人之道類於相。故書而藏之。梓人蓋古之審曲面勢者。今謂之都料匠云。余所遇者、楊氏、濳其名。

或るひと曰く「彼(か)の室を為(つく)るに主たる者、儻(も)し或いはその私智を発して梓人の慮を牽制し、その世守(せいしゅ)を奪って道謀(どうぼう)を是れ用うれば、功を成す能わずと雖も、豈その罪ならんや。亦たこれに任ずるに在るのみ」と。
余曰く「然らず。夫れ縄墨誠に陳(の)べ、規矩誠に設くれば、高きものは抑えて下(ひく)くすべからざるなり。狭きものは張りて広くすべからざるなり。我に由(よ)れば則ち固く、我に由らざれば則ち圮(やぶ)れん。彼将に固を去って圮(ひ)に就くを楽しまんとするや、則ちその術を巻き、その智を黙して悠爾(ゆうじ)として去り、吾が道を屈せず。是れ誠に良梓人のみ。それ或いはその貨利を嗜(この)み、忍んで捨つる能わず。その制量を喪(うしな)い、屈して守る能わず。棟撓(たわ)み屋壊るれば則ち吾が罪に非ずと曰うも可ならんや、可ならんや」と。
余謂(おも)えらく、梓人の道は相に類すと。故に書してこれを蔵す。梓人は蓋(けだ)し古の曲・面・勢を審(つまびら)かにする者なり。今はこれを都料匠(とりょうしょう)と謂うと云う。余の遇(あ)いし所の者は、楊氏、潜はその名なり。


儻 もし。 私智 自分ひとりの浅い智恵。 世守 代々受け継いだもの。 道謀 道行く人の意見。 曲面勢 曲直、表裏、形勢。 都料匠 都は統べる、料はおしはかる。 

ある人はこう言う「施工主がもし自分勝手な考えを押し付けて棟梁の方針を無視し、その代々伝わる手法を封じて素人の考えを押し付けたとしたら、仕事を完成させることができないとしても、それは棟梁の罪ではないだろう。大事なのは仕事をやりおおせることだ」と。
私は言った「いやそうではない。墨縄を引き、定規をきちんと使えば、高い所を低くすることはないし、狭い所を引っ張って広くすることもできないのである。棟梁の手にかかれば堅固に仕上がるし、そうでなければ壊れてしまうだろう。
施主が勝手に堅固を捨てて破壊に至るのを楽しむようなものだから、棟梁は持てる技能を引込め、その知恵を黙って遠くに退いて自分のやりかたを枉げない。これが本当の棟梁というものだろう。
もし財貨や利益を欲し、我慢して仕事を捨てずに自身の設計を捨て、施主に屈して自分の方法を守ることが出来なければ、棟がゆがみ、屋根が壊れても私のせいではありませんと言えるでしょうか。本当にそれでよいのでしょうか」と。
私は思った、棟梁のやり方は宰相に似ていると。だから文書にしてこれを留める。棟梁はおそらく古代の曲直、表裏、形勢すなわち建築の極意をわきまえている者である。今ではこれを都料匠と呼ぶとか。私が遇った棟梁は楊氏、名は潜という。


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