今日もまた猫が遊びに来とる。
今日は朝からPCの体調が不良らしい。
メンテナンスやってたら猫に散々邪魔された。
退屈になると遊びに来る。
でも私も多忙なので鰹削り少々で時間潰して貰う。
どうしても窓の外が気になるらしい。
さて、せっかく天気いいから出かけるよ。
バス待ち中。
快晴。
室内で暖房に当たるよりも屋外で日光に当たった方が暖かい。
風あるけどな。
ライラックがしょぼしょぼした蕾を付け始めた。
一つ目の崖に来た。
あー今日の海は何て青いんだ♪
海を見ようとしたら先客がいた。
キタキツネ。
何だバカヤローと捨て台詞一声叫んで退散して行った。
離れた場所からまだこっち見てる。
至近距離で見て最初放し飼いの犬かと思ってこっちも身構えた。
でもよく見ると尻尾がぶっといのね。
しかもぴょんぴょん飛び跳ねてぎぇーーーーっと奇声を上げる。
言葉が無くても伝わって来るよその嫌ぁーな気持ちが。
「げぇっ人間だぁーーー嫌ぁぁぁぁ何でいるのぉ!!!」っていうリアクションで、
どん引きして遠目から「早くいなくなってよぉー」と嫌そーにぎゃーと威嚇声を発し、
撮ってやろうと携帯向けると怖いのか草に隠れて撮らせてくれない。
ズームにしても辛うじて耳の一部だけ。
珍しい初対面だった。
何年もこの崖に来ていたのにキタキツネと遭遇したのは初めてだ。
家を出たのが遅かった。
もう日があんなに傾いている。
でもこれからあの太陽のやや左下のもう一つの崖まで歩くつもりだ。
キツネが縮こまって草に隠れているのも気の毒なので、長居は無用。
坂道を下って浜に向かう。
道に花が咲いてると思ったら水仙。
今が何月かわからなくなる。
浜。
今日の海は静かだ。
水の色も透明で、遠目に見ると空と同じ色。
緩やかな昇り坂を歩いていると足元にマンホール。
「汚 さわやか下水道」と書いてある。
絵柄入り。
なるほど爽やかな丹頂鶴。
さて、心臓破りの急な上り坂。
きっついわー。
上から見下ろすと怖いんだよこの坂。
特に真冬は。
はー。
やっと上まで来た。
このけもの道の下の斜面の半ばに、以前小さな小屋のような一軒家があった。
一人暮らしの婆さんが住んでいたと聞いた。
しかしいつの間にか建物は無くなってただのえぐれた斜面になっていた。
何て青いんだ海と空。
日の傾いた西の端に、船がいる。
何だろう、結構大きな船だ。
オオセグロカモメが波打ち際で何か拾っている。
でも凪だからあまりいいものは落ちていなさそうだ。
ラワン蕗もまだ若々しくて小ぶりだ。
さて、街に戻るかと思って歩き出すと、
伸びたスギナと早くもわたぼうずになったたんぽぽが目に入った。
明るくて深くていい緑色だったので撮った。
急な坂を下って展望台のある公園まで歩く。
途中民家の八重桜が咲いていた。
M8震度6の地震と津波を繰り返し体験して以来、
旧市街の低い場所には海抜表示の看板が掲示されている。
ここは海抜14m。
私がよく歩く、そしてこれから向かう岸壁は海抜1.5mじゃなかったっけ。
展望台の中。
下から見上げる。
展望台の上から旧市街を見る。
寺社仏閣多い。
赤い屋根はキリスト教の教会。
明治時代からの歴史ある教会だ。
展望台のある公園の斜面を下って通りに出ると若いおにっちゃんが一人、
大声で何か喋っている。
何だか演説をしているようでもあるし何かの実況中継のようでもあるし、
何かを喋ってはいるが何を喋っているかは全く不明。
すぐ傍を犬の散歩する婆さんや二、三人たむろしている子供達が素通りして行く。
別に不審な表情をするでもなく、
まるで一人で喋っている若者がこの世に存在していないかのようだ。
私も旧市街を、路面の変なマンホールを見ながら歩いている。
石川啄木の絵のマンホールを前に見た気がして、何処だったか探して見ていたら
マンホールではなくて路面の敷石を所々回顧的な図案の絵にしたのがあちこちにあって
石川啄木の絵もその一枚だった。
石川啄木が小奴とかいう女に会いに通った遊郭通りは今さっき私が展望した街並みの
反対側にあって今では廃墟ばかり。
その当時の生活を伺わせる図案の一枚が面白い。
ゲロリだって。
当時の人々は下駄の裏にスケートの刃を仕込んで作った下駄スケートをゲロリと呼んで
冬にはよく遊んでいたらしい。笑)
歩いていると道路が所々陥没したり隆起して敷石が持ち上がっている。
前回の地震の時にこうなったらしい。
液状化現象か。
この一帯は海抜1m前後、ヘタすれば海抜0m地帯とも聞く。
ぼさっと歩いていると持ち上がった敷石に足を取られる。
橋まで歩いて来た。
日の長い今の時期は太陽の落ちる位置が大きくずれて日没時に岸壁は日陰になる。
風が冷たくなって来たけど岸壁の傍の店でソフトクリームを買い、
店屋のおじさんに挨拶する。
幾ら晴れてるからってこんな寒い時に外のベンチでソフトクリームを食べるのは
私くらいのもの。
通行人はちらほら。
岸壁炉端のテントから炭火で魚介焼くにほひが・・・。涎)
さて、時間押してる。
これからじじ宅に向かう。
看護師に先日言われたリハビリ靴を取りに行かねば。
バス時間まであと10分切った。
じじ宅から夕日が見える。
リハ靴取って来た。
珈琲店で休憩中。
常連客の夫妻と久しぶりに行き合った。
そういえば私は胃を壊したり吐き気が続いたりでまる一週間珈琲店に来ていなかった。
私の部屋にもこの店で購入した同じエチオピア豆、挽いて貰ったのがある。
同じ豆で淹れたのに店に来て飲むまろやかさは自宅で私が淹れた珈琲には無い。
なんでこんなに味が違うんだろう?から始まって珈琲談義。
常連客の夫妻と珈琲の淹れ方について話し込んだ。
同じエチオピアの豆でさ、同じ人に同じ挽き方して貰って、
何でこんなに違うんだろう?
湯の注ぎの一回目は豆を蒸らすだけ、二度目で味が決まる。
三度目は伸ばし。
豆全体に均一に湯を静かに注ぐ。
道具も大事で、湯を注ぐポットは細口のものがいい。
話し込んでいる間にじじの面会時間終了時刻が迫っていた。
慌てて病院に向かう。
お疲れ様、また来週。
今日は朝からPCの体調が不良らしい。
メンテナンスやってたら猫に散々邪魔された。
退屈になると遊びに来る。
でも私も多忙なので鰹削り少々で時間潰して貰う。
どうしても窓の外が気になるらしい。
さて、せっかく天気いいから出かけるよ。
バス待ち中。
快晴。
室内で暖房に当たるよりも屋外で日光に当たった方が暖かい。
風あるけどな。
ライラックがしょぼしょぼした蕾を付け始めた。
一つ目の崖に来た。
あー今日の海は何て青いんだ♪
海を見ようとしたら先客がいた。
キタキツネ。
何だバカヤローと捨て台詞一声叫んで退散して行った。
離れた場所からまだこっち見てる。
至近距離で見て最初放し飼いの犬かと思ってこっちも身構えた。
でもよく見ると尻尾がぶっといのね。
しかもぴょんぴょん飛び跳ねてぎぇーーーーっと奇声を上げる。
言葉が無くても伝わって来るよその嫌ぁーな気持ちが。
「げぇっ人間だぁーーー嫌ぁぁぁぁ何でいるのぉ!!!」っていうリアクションで、
どん引きして遠目から「早くいなくなってよぉー」と嫌そーにぎゃーと威嚇声を発し、
撮ってやろうと携帯向けると怖いのか草に隠れて撮らせてくれない。
ズームにしても辛うじて耳の一部だけ。
珍しい初対面だった。
何年もこの崖に来ていたのにキタキツネと遭遇したのは初めてだ。
家を出たのが遅かった。
もう日があんなに傾いている。
でもこれからあの太陽のやや左下のもう一つの崖まで歩くつもりだ。
キツネが縮こまって草に隠れているのも気の毒なので、長居は無用。
坂道を下って浜に向かう。
道に花が咲いてると思ったら水仙。
今が何月かわからなくなる。
浜。
今日の海は静かだ。
水の色も透明で、遠目に見ると空と同じ色。
緩やかな昇り坂を歩いていると足元にマンホール。
「汚 さわやか下水道」と書いてある。
絵柄入り。
なるほど爽やかな丹頂鶴。
さて、心臓破りの急な上り坂。
きっついわー。
上から見下ろすと怖いんだよこの坂。
特に真冬は。
はー。
やっと上まで来た。
このけもの道の下の斜面の半ばに、以前小さな小屋のような一軒家があった。
一人暮らしの婆さんが住んでいたと聞いた。
しかしいつの間にか建物は無くなってただのえぐれた斜面になっていた。
何て青いんだ海と空。
日の傾いた西の端に、船がいる。
何だろう、結構大きな船だ。
オオセグロカモメが波打ち際で何か拾っている。
でも凪だからあまりいいものは落ちていなさそうだ。
ラワン蕗もまだ若々しくて小ぶりだ。
さて、街に戻るかと思って歩き出すと、
伸びたスギナと早くもわたぼうずになったたんぽぽが目に入った。
明るくて深くていい緑色だったので撮った。
急な坂を下って展望台のある公園まで歩く。
途中民家の八重桜が咲いていた。
M8震度6の地震と津波を繰り返し体験して以来、
旧市街の低い場所には海抜表示の看板が掲示されている。
ここは海抜14m。
私がよく歩く、そしてこれから向かう岸壁は海抜1.5mじゃなかったっけ。
展望台の中。
下から見上げる。
展望台の上から旧市街を見る。
寺社仏閣多い。
赤い屋根はキリスト教の教会。
明治時代からの歴史ある教会だ。
展望台のある公園の斜面を下って通りに出ると若いおにっちゃんが一人、
大声で何か喋っている。
何だか演説をしているようでもあるし何かの実況中継のようでもあるし、
何かを喋ってはいるが何を喋っているかは全く不明。
すぐ傍を犬の散歩する婆さんや二、三人たむろしている子供達が素通りして行く。
別に不審な表情をするでもなく、
まるで一人で喋っている若者がこの世に存在していないかのようだ。
私も旧市街を、路面の変なマンホールを見ながら歩いている。
石川啄木の絵のマンホールを前に見た気がして、何処だったか探して見ていたら
マンホールではなくて路面の敷石を所々回顧的な図案の絵にしたのがあちこちにあって
石川啄木の絵もその一枚だった。
石川啄木が小奴とかいう女に会いに通った遊郭通りは今さっき私が展望した街並みの
反対側にあって今では廃墟ばかり。
その当時の生活を伺わせる図案の一枚が面白い。
ゲロリだって。
当時の人々は下駄の裏にスケートの刃を仕込んで作った下駄スケートをゲロリと呼んで
冬にはよく遊んでいたらしい。笑)
歩いていると道路が所々陥没したり隆起して敷石が持ち上がっている。
前回の地震の時にこうなったらしい。
液状化現象か。
この一帯は海抜1m前後、ヘタすれば海抜0m地帯とも聞く。
ぼさっと歩いていると持ち上がった敷石に足を取られる。
橋まで歩いて来た。
日の長い今の時期は太陽の落ちる位置が大きくずれて日没時に岸壁は日陰になる。
風が冷たくなって来たけど岸壁の傍の店でソフトクリームを買い、
店屋のおじさんに挨拶する。
幾ら晴れてるからってこんな寒い時に外のベンチでソフトクリームを食べるのは
私くらいのもの。
通行人はちらほら。
岸壁炉端のテントから炭火で魚介焼くにほひが・・・。涎)
さて、時間押してる。
これからじじ宅に向かう。
看護師に先日言われたリハビリ靴を取りに行かねば。
バス時間まであと10分切った。
じじ宅から夕日が見える。
リハ靴取って来た。
珈琲店で休憩中。
常連客の夫妻と久しぶりに行き合った。
そういえば私は胃を壊したり吐き気が続いたりでまる一週間珈琲店に来ていなかった。
私の部屋にもこの店で購入した同じエチオピア豆、挽いて貰ったのがある。
同じ豆で淹れたのに店に来て飲むまろやかさは自宅で私が淹れた珈琲には無い。
なんでこんなに味が違うんだろう?から始まって珈琲談義。
常連客の夫妻と珈琲の淹れ方について話し込んだ。
同じエチオピアの豆でさ、同じ人に同じ挽き方して貰って、
何でこんなに違うんだろう?
湯の注ぎの一回目は豆を蒸らすだけ、二度目で味が決まる。
三度目は伸ばし。
豆全体に均一に湯を静かに注ぐ。
道具も大事で、湯を注ぐポットは細口のものがいい。
話し込んでいる間にじじの面会時間終了時刻が迫っていた。
慌てて病院に向かう。
お疲れ様、また来週。
久しぶりに晴天に恵まれた週末でした。
コメントありがとうございます。
街の様子もだいぶ変わって寂れてしまいましたが
地形は同じで変わらず同じ景色が見られます。
こちらにいらしたらあまりの寂れ方にがっかりされるに違いありません。
写真はあくまで私の行動範囲ですが、この日記ブログではごく一部のみ抜粋しております。
写真の方は左のブックマーク欄のぱんくず空日記、海日記、散歩録にて
まとめてあります。
一度にたくさん更新出来なくて遅れ遅れになっておりますがここら一帯の風景です。
もしよろしければご覧下さいませ。