7:16、-1℃、ぅがあ何と生暖かいのだ。
暖房で室内の空気が乾燥している。
目と鼻と喉と、あと顔や手足の皮膚も乾燥でピリピリ痛むので湯に浸かった。
風呂上がりに水出し珈琲を飲んでいる。
よく寝かせたので甘味が強い。
さて仕事に行く。
今日は往診がある。
・・・・・
仕事終わった。
忙しかったなぁ。。
疲れた。
今-2℃、生暖かい。
月齢10.0の月。
急変待機が無いのでまた斎藤工監督の映画DVD『ブランク13』を見ている。
いろいろ考える事がある。
「火葬」が99%以上の国は珍しいのかな。
これまでに親族や父を火葬で見送る体験をしてから、
火葬という地上の生き物では人間しかしない行為に対して子供の時に想像していたような漠然とした忌避感が消えた。
仕事を通して見て人間の肉体が一日一日老い衰え病んで崩壊していく現実を傍らで見る日常を長い間続けていると
人の死が火葬という形で完結される事に妙な安堵感がある。
全身に水が溜まり熟れ過ぎた柿のように膨れ上がって皮膚が透け水袋のようになった肺で漸く一息一息呼吸する、
パンに滲み込むインクのような、或いは巨大カリフラワーのような悪性新生物に全身を乗っ取られ枯れ枝のように呼吸する、
時計の秒針を睨みながらただひたすら痛みに耐えて響かないようにそっと呼吸する、
浅く静かに、そっと呼吸しながら長い長い1分1秒が1時間になって次の鎮痛剤まであと何十分、何時間を呼吸する、
そして長い長い1分1秒が1時間になって1日、1週間、1ヶ月になる間呼吸する、
人間が一枚ずつ薄皮を剥がされるように能力や意識や色々な思いや身体機能を一つずつ手離しながら呼吸し続け、
最後の吸気の次に最後の呼気が長く間延びして、再び戻って来ない、最後の時が誰にも必ず来る。
親族や知人、自分の父親の時に私は自分の眼で見て納得し受け入れた。
この世の人生のあらゆる労苦や葛藤や喜怒哀楽を潜り抜け、摩耗しぼろぼろに崩壊した肉体という殻が、
苦しむという務めを終えて最後の日を迎え、火で焼かれて僅かな焼骨の灰となる。
最後の瞬間までの総ての苦痛との闘いの痕跡を一切残さずに煙となって天に昇って行く。
私達が人を天に見送った直後、空を見上げるのはそのためかも知れない。
そこに何か慰めのようなものを感ずる。
父の収骨の後、灰の水曜日に朗読される幾つかの箇所を意図せずに思い出した。
塵にすぎないお前は塵に返る。
(創世記3;19)
生きとし生けるものは直ちに息絶え
人間も塵に返るだろう。
(ヨブ34;15)
あなたは人を塵に返し「人の子よ帰れ」と
仰せになります。
(詩篇90;3)
すべてはひとつのところに行く。
すべては塵から成った。
すべては塵に返る。
(コヘレト3;20)
わたしたちは見えるものではなく、
見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、
見えないものは永遠に存続するからです。(コリントⅡ5;18)
火葬ではなく土葬が一般的な地域に自分が住んでいたら違う印象を持ったであろう。
昨日まで苦しんでいた肉体がぼろぼろのまま箱に入れられ地中に埋められるのと、焼かれて灰になるのとでは
肉体の死の現実に対する捉え方がまるで違って来る。
麻雀に興じる父親の居所を探し当てた小学生の次男が賞を貰ったと作文を見せに来る場面は、既視感がある。
1歳足らずだった私が絶対に見た筈の無い、麻雀に興じる父親の後を追って歩く小学生の息子の光景。
父の腹違いの弟は小学校に入ったばかりの7歳だった。
協議離婚した祖父と後妻の末の息子を、実の父母である祖父と後妻とはどちらも引き取りたがらず争った。
結局後妻は中学生の娘も7歳の息子も引き取らず、娘は知人宅に居候させた。
幼い息子だけは祖父が連れ歩いた。
本当かどうかは確かめようもないが、愛人に毒殺され損なって健康を害した祖父はほんの短い一時期だけ、
両親と1歳未満の私との間借り部屋に身を寄せていた。
しかし祖父は母と険悪になって行き先も告げず汽車賃だけを要求して失踪した。
父に命じられ赤ん坊だった私を連れて13時間の汽車旅をした母が祖父を訪ね当てると、
煙草の煙で霞んだ雀荘に祖父と父の異母弟はいた。
7歳の男の子は学校にも行かず麻雀に興じる祖父の傍らでジュースや菓子や玩具を与えられて遊んでいた。
小学生の次男が父親に賞を取った作文を見て貰いに雀荘に来る一つのシーンと、
私が見た筈も理解した筈も無い、しかし実際に起こった出来事とが何故か重なる。
その後祖父はどんどん体調を悪化させ、7歳の息子を中学生の娘を預けていた知人宅に送った。
5年前父が死んだ時、祖父の遺品である自筆の手紙と7歳だった腹違いの弟の手紙が出て来た。
親と離れて他人の家の居候になり、遠くにいる父親宛に書いた小学1年生の書いた文字である。
「おとうさん、いまどうしてますか
ぐあいどうですか
ぼくはきょう おしるこをたべました
とてもあまくておいしかったです
おとうさんはきょうなにたべましたか
おとうさん いまなにしてますか
はやくびょうきがよくなって
おとうさんとまたいっしよにくらしたいです」
この手紙を書いた小学1年生の息子を、祖父と後妻は足手纏いになると言って養育を放棄し
互いに押し付け合い責任を擦り付け合い、口論を繰り返した。
実際子供の実の両親は人の親と呼ばれる価値の無い人間達であった。
この映画『ブランク13』とは事情も設定も何もかもが違うのに、
当時赤ん坊だった私が見た筈の無い光景が映像の中に重なって見える。
麻雀のジャラジャラ言う音と賭け麻雀に打ち興じるヤニ臭い人々の怠惰な会話と、
父親の後を追って来た小さな男の子が煙草の煙に霞んで見える。
祖父自身は残した手紙によると肺癌の進行と僧帽弁狭窄や大動脈弁閉鎖不全と鬱血性心不全という持病が悪化していた。
入退院を繰り返し、先妻の長男である私の父も含め親族の誰彼に理不尽に辛く当たったり自ら喧嘩を吹っ掛けて
親族からは絶縁状態となり、後妻の子供2人を知人に預けたまま孤立して肺癌末期に至り、終末期を迎えたのだった。
5年前の父の死後、私は事務処理のため祖父と曾祖父まで遡って改製原戸籍を取り寄せた。
手続きのため書類を取り寄せるうちに祖父の最後がどんなものであったかを知った。
祖父の遺した手紙類では肺癌で入院していた筈なのに、死亡した場所は何故か精神病院だった。
肺癌の苦痛で精神的に破綻し不穏状態に陥って癌病棟から精神科に移されたのである。
入院した癌病棟の同じ院内ではなく、当時郊外と言われた場所に分院として建てられた公立病院の精神科に移され、
祖父はその精神病院で肺癌末期と複数の心疾患による終末期を、身寄りのない患者として最後の日々を送り、死んだ。
半世紀以上も昔の癌医療、循環器医療、精神科医療が孤独と病苦で精神破綻し叫び暴れる人に対し
どれほど冷酷であったか思い浮かべるのは難しくない。
精神に変調を来した患者の人権を顧みる医療者はその時代に存在し得たであろうか。
荼毘に付された祖父の遺骨は間借りしていた部屋の家主が一旦引き取り、市役所を通じて
長男である私の父を探し当てて知らせて来た。
私は祖父の手紙の束を時系列順にファイルに整理していつでも読めるようにしておいたが、
父は祖父の遺した手紙を一度も手に取らなかった。
祖父の生前も死後も、父は自分の父親と向き合わなかった。
父の葬儀が済んで父宅として借りていたマンションを引き払う時、私は祖父の遺した手紙類を全て処分した。
父と祖父、父の異母妹弟と祖父、いずれの間柄も機能不全な親子であったと言える。
しかし私は人がどうやって、どんな苦しみを味わって死んで行くかを日常的に見て来たので
父やその異母妹弟が予測しなかった部分までを思い描く。
およそ人間の死の在り方としては最悪の、身体的にも心理的にも苦痛に苛まれこれ以上ない程に無残な終末期を
祖父は味わって孤独に死んだのは間違いないと思われる。
借りていた部屋の住宅管理者が途方に暮れて遺骨の引き取り手を探したのだった。
この世に生のあるうちに向き合う事の出来なかった家族は不幸だ。
死によって生木を引き裂くような悲痛を味わう家族には共有する時間が与えられていた。
祖父にとっては終末期の苦痛を共に苦しみ、最後の時に別れを惜しみ、生前共有した時間を思い悼む人は
誰もいなかった。
自分がこれまで目にして来た人の死の在り方は様々だ。
まともに直視できないようなむごい状態の死、痛くて苦しくて精神的に破綻した末の死、
まだ死ねない死にたくないと泣きながら頑張って力尽きた死、
疼痛コントロールが上手く行って愛妻手作りの卵焼きを味わいながら迎えた幸福な死。
全く誰も身寄りの無い人、親族の誰とも関わりを拒否された人が息を引き取ると大抵は霊安室にも立ち寄らず、
市の担当者が来て手続きを済ませ安置所から火葬場に直行する。
祈る者も無く別れを惜しむ人も無い最期の在り方を何度か目にした。
父の父親である祖父も、あのようにして誰にも見送られずに逝ったのだとその度に私は
祖父の最期の在り方を思い浮かべ、人の生と死の在り様を考えた。
「これまで散々家族に迷惑かけたり傷つけて来た報いだ、自業自得だ」と言う人もいるが、
そんなに単純な事ではない。
この映画『ブランク13』の父親もカーテンの陰で著しく痩せ衰え、痛みに苦しみ孤独に終末期を迎えた事であろう。
彼女を連れて面会に来た次男が病室を立ち去るシーンで、父親の姿を隠すカーテンの向こう側の、
残り時間にやりきれない感情が湧く。
この映画の親子は最後に向き合った。
この世で共有出来る残り時間があと僅かとなっても向き合う事の無かった祖父と父の事を考える。
これ以上書くのはやめておこう。
後半の葬式のシーンでは登場する全ての人々が最高だった。
歌も大好きだ。
この映画は多分これからも何度も繰り返し見る映画になると思う。
暖房で室内の空気が乾燥している。
目と鼻と喉と、あと顔や手足の皮膚も乾燥でピリピリ痛むので湯に浸かった。
風呂上がりに水出し珈琲を飲んでいる。
よく寝かせたので甘味が強い。
さて仕事に行く。
今日は往診がある。
・・・・・
仕事終わった。
忙しかったなぁ。。
疲れた。
今-2℃、生暖かい。
月齢10.0の月。
急変待機が無いのでまた斎藤工監督の映画DVD『ブランク13』を見ている。
いろいろ考える事がある。
「火葬」が99%以上の国は珍しいのかな。
これまでに親族や父を火葬で見送る体験をしてから、
火葬という地上の生き物では人間しかしない行為に対して子供の時に想像していたような漠然とした忌避感が消えた。
仕事を通して見て人間の肉体が一日一日老い衰え病んで崩壊していく現実を傍らで見る日常を長い間続けていると
人の死が火葬という形で完結される事に妙な安堵感がある。
全身に水が溜まり熟れ過ぎた柿のように膨れ上がって皮膚が透け水袋のようになった肺で漸く一息一息呼吸する、
パンに滲み込むインクのような、或いは巨大カリフラワーのような悪性新生物に全身を乗っ取られ枯れ枝のように呼吸する、
時計の秒針を睨みながらただひたすら痛みに耐えて響かないようにそっと呼吸する、
浅く静かに、そっと呼吸しながら長い長い1分1秒が1時間になって次の鎮痛剤まであと何十分、何時間を呼吸する、
そして長い長い1分1秒が1時間になって1日、1週間、1ヶ月になる間呼吸する、
人間が一枚ずつ薄皮を剥がされるように能力や意識や色々な思いや身体機能を一つずつ手離しながら呼吸し続け、
最後の吸気の次に最後の呼気が長く間延びして、再び戻って来ない、最後の時が誰にも必ず来る。
親族や知人、自分の父親の時に私は自分の眼で見て納得し受け入れた。
この世の人生のあらゆる労苦や葛藤や喜怒哀楽を潜り抜け、摩耗しぼろぼろに崩壊した肉体という殻が、
苦しむという務めを終えて最後の日を迎え、火で焼かれて僅かな焼骨の灰となる。
最後の瞬間までの総ての苦痛との闘いの痕跡を一切残さずに煙となって天に昇って行く。
私達が人を天に見送った直後、空を見上げるのはそのためかも知れない。
そこに何か慰めのようなものを感ずる。
父の収骨の後、灰の水曜日に朗読される幾つかの箇所を意図せずに思い出した。
塵にすぎないお前は塵に返る。
(創世記3;19)
生きとし生けるものは直ちに息絶え
人間も塵に返るだろう。
(ヨブ34;15)
あなたは人を塵に返し「人の子よ帰れ」と
仰せになります。
(詩篇90;3)
すべてはひとつのところに行く。
すべては塵から成った。
すべては塵に返る。
(コヘレト3;20)
わたしたちは見えるものではなく、
見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、
見えないものは永遠に存続するからです。(コリントⅡ5;18)
火葬ではなく土葬が一般的な地域に自分が住んでいたら違う印象を持ったであろう。
昨日まで苦しんでいた肉体がぼろぼろのまま箱に入れられ地中に埋められるのと、焼かれて灰になるのとでは
肉体の死の現実に対する捉え方がまるで違って来る。
麻雀に興じる父親の居所を探し当てた小学生の次男が賞を貰ったと作文を見せに来る場面は、既視感がある。
1歳足らずだった私が絶対に見た筈の無い、麻雀に興じる父親の後を追って歩く小学生の息子の光景。
父の腹違いの弟は小学校に入ったばかりの7歳だった。
協議離婚した祖父と後妻の末の息子を、実の父母である祖父と後妻とはどちらも引き取りたがらず争った。
結局後妻は中学生の娘も7歳の息子も引き取らず、娘は知人宅に居候させた。
幼い息子だけは祖父が連れ歩いた。
本当かどうかは確かめようもないが、愛人に毒殺され損なって健康を害した祖父はほんの短い一時期だけ、
両親と1歳未満の私との間借り部屋に身を寄せていた。
しかし祖父は母と険悪になって行き先も告げず汽車賃だけを要求して失踪した。
父に命じられ赤ん坊だった私を連れて13時間の汽車旅をした母が祖父を訪ね当てると、
煙草の煙で霞んだ雀荘に祖父と父の異母弟はいた。
7歳の男の子は学校にも行かず麻雀に興じる祖父の傍らでジュースや菓子や玩具を与えられて遊んでいた。
小学生の次男が父親に賞を取った作文を見て貰いに雀荘に来る一つのシーンと、
私が見た筈も理解した筈も無い、しかし実際に起こった出来事とが何故か重なる。
その後祖父はどんどん体調を悪化させ、7歳の息子を中学生の娘を預けていた知人宅に送った。
5年前父が死んだ時、祖父の遺品である自筆の手紙と7歳だった腹違いの弟の手紙が出て来た。
親と離れて他人の家の居候になり、遠くにいる父親宛に書いた小学1年生の書いた文字である。
「おとうさん、いまどうしてますか
ぐあいどうですか
ぼくはきょう おしるこをたべました
とてもあまくておいしかったです
おとうさんはきょうなにたべましたか
おとうさん いまなにしてますか
はやくびょうきがよくなって
おとうさんとまたいっしよにくらしたいです」
この手紙を書いた小学1年生の息子を、祖父と後妻は足手纏いになると言って養育を放棄し
互いに押し付け合い責任を擦り付け合い、口論を繰り返した。
実際子供の実の両親は人の親と呼ばれる価値の無い人間達であった。
この映画『ブランク13』とは事情も設定も何もかもが違うのに、
当時赤ん坊だった私が見た筈の無い光景が映像の中に重なって見える。
麻雀のジャラジャラ言う音と賭け麻雀に打ち興じるヤニ臭い人々の怠惰な会話と、
父親の後を追って来た小さな男の子が煙草の煙に霞んで見える。
祖父自身は残した手紙によると肺癌の進行と僧帽弁狭窄や大動脈弁閉鎖不全と鬱血性心不全という持病が悪化していた。
入退院を繰り返し、先妻の長男である私の父も含め親族の誰彼に理不尽に辛く当たったり自ら喧嘩を吹っ掛けて
親族からは絶縁状態となり、後妻の子供2人を知人に預けたまま孤立して肺癌末期に至り、終末期を迎えたのだった。
5年前の父の死後、私は事務処理のため祖父と曾祖父まで遡って改製原戸籍を取り寄せた。
手続きのため書類を取り寄せるうちに祖父の最後がどんなものであったかを知った。
祖父の遺した手紙類では肺癌で入院していた筈なのに、死亡した場所は何故か精神病院だった。
肺癌の苦痛で精神的に破綻し不穏状態に陥って癌病棟から精神科に移されたのである。
入院した癌病棟の同じ院内ではなく、当時郊外と言われた場所に分院として建てられた公立病院の精神科に移され、
祖父はその精神病院で肺癌末期と複数の心疾患による終末期を、身寄りのない患者として最後の日々を送り、死んだ。
半世紀以上も昔の癌医療、循環器医療、精神科医療が孤独と病苦で精神破綻し叫び暴れる人に対し
どれほど冷酷であったか思い浮かべるのは難しくない。
精神に変調を来した患者の人権を顧みる医療者はその時代に存在し得たであろうか。
荼毘に付された祖父の遺骨は間借りしていた部屋の家主が一旦引き取り、市役所を通じて
長男である私の父を探し当てて知らせて来た。
私は祖父の手紙の束を時系列順にファイルに整理していつでも読めるようにしておいたが、
父は祖父の遺した手紙を一度も手に取らなかった。
祖父の生前も死後も、父は自分の父親と向き合わなかった。
父の葬儀が済んで父宅として借りていたマンションを引き払う時、私は祖父の遺した手紙類を全て処分した。
父と祖父、父の異母妹弟と祖父、いずれの間柄も機能不全な親子であったと言える。
しかし私は人がどうやって、どんな苦しみを味わって死んで行くかを日常的に見て来たので
父やその異母妹弟が予測しなかった部分までを思い描く。
およそ人間の死の在り方としては最悪の、身体的にも心理的にも苦痛に苛まれこれ以上ない程に無残な終末期を
祖父は味わって孤独に死んだのは間違いないと思われる。
借りていた部屋の住宅管理者が途方に暮れて遺骨の引き取り手を探したのだった。
この世に生のあるうちに向き合う事の出来なかった家族は不幸だ。
死によって生木を引き裂くような悲痛を味わう家族には共有する時間が与えられていた。
祖父にとっては終末期の苦痛を共に苦しみ、最後の時に別れを惜しみ、生前共有した時間を思い悼む人は
誰もいなかった。
自分がこれまで目にして来た人の死の在り方は様々だ。
まともに直視できないようなむごい状態の死、痛くて苦しくて精神的に破綻した末の死、
まだ死ねない死にたくないと泣きながら頑張って力尽きた死、
疼痛コントロールが上手く行って愛妻手作りの卵焼きを味わいながら迎えた幸福な死。
全く誰も身寄りの無い人、親族の誰とも関わりを拒否された人が息を引き取ると大抵は霊安室にも立ち寄らず、
市の担当者が来て手続きを済ませ安置所から火葬場に直行する。
祈る者も無く別れを惜しむ人も無い最期の在り方を何度か目にした。
父の父親である祖父も、あのようにして誰にも見送られずに逝ったのだとその度に私は
祖父の最期の在り方を思い浮かべ、人の生と死の在り様を考えた。
「これまで散々家族に迷惑かけたり傷つけて来た報いだ、自業自得だ」と言う人もいるが、
そんなに単純な事ではない。
この映画『ブランク13』の父親もカーテンの陰で著しく痩せ衰え、痛みに苦しみ孤独に終末期を迎えた事であろう。
彼女を連れて面会に来た次男が病室を立ち去るシーンで、父親の姿を隠すカーテンの向こう側の、
残り時間にやりきれない感情が湧く。
この映画の親子は最後に向き合った。
この世で共有出来る残り時間があと僅かとなっても向き合う事の無かった祖父と父の事を考える。
これ以上書くのはやめておこう。
後半の葬式のシーンでは登場する全ての人々が最高だった。
歌も大好きだ。
この映画は多分これからも何度も繰り返し見る映画になると思う。