寒い。
2連休、本日2日目は通院日。
予報では曇りのち雨だったのが晴れて来た。
晴れたと思っていたら何とバスに乗り込む時凄い雨になった。
人の頭を叩き地面にさざ波が立つ程の降り。
外来待合室寒い。
犇めき合う老人達でごった返している。
雨が酷いので今日は何処にも行かずひたすら本を読む。
本を読むにはちと暗いけど、ま、いいか。
・・・・・
読む事に没頭していたら二度呼ばれた。
一度は採血、二度目は診察。
気がついたら雨は上がって青空。
診察待ちの間、本の続きを読む。
押田師が語ったコトことば。
静謐で、過激。
頁に付箋を貼り、読み返し、備忘。
生徒と一緒に教材を発掘しましょうよ。
それが教育ですよ。
何かを作ってそれを与えようっていうんじゃないの。
一緒に関わって一緒に洞察して、
ああそういうものか、ああそうかって学ばせる事が大事なんですよね。
・・・・・
例えばヘブライ語の場合には教えるなんて言葉はないですよ。
学ぶ、学ばせる、学ばせられるという言葉しかないですよ。
それがイギリスへ行ってオックスフォードの辞書になると、
学ばせるっていう言葉を教えると訳している、
冗談じゃないですよ。
全然違う。
で、そういうものを日本に持って来て、西洋的学問といって、日本人がやってるの。
バカじゃなかろうか。
・・・・・
驚いた事に、この間、心理学の教科書を見せてもらったら、
人間とは意識であると書いてあった。
開いた口が塞がらないよ。
人間は意識であるなんて、冗談じゃないよ。
考えたり意志したりする意識っていうのは、ごく表面のことですよ。
・・・・・
我々が普通に使っている言葉、それから教科書で使っているような言葉は、
みんな理念ことばなんです。
その証拠に、中近東にもう一回戦争を起させたければ、私にまかせて下さい。
簡単です。
両方の代表的人物を会わせて、
「これから平和について議論して下さい。
これから人権について議論して下さい。
これから自由について議論して下さい」。
即座にまた戦争が始まります。
なぜ?
理念ことばと言うのは、いつも自己中心的意識と直結しているからです。
ところがコトことばというのは、その時、その時の響きを持っているんです。
存在の声なんです。
・・・・・
理念ことば、理屈のことば、概念は一切使わないでくれ、
あんたの日常の言葉で、本当に思っていることを、単純に言ってくれ。
今あんたが一番欲しいものは何なんだい。
「殺されるのヤダ!家族が殺されるのヤダ!殺されるの見るのヤダ!」
アラブ人がそう言うのをユダヤ人が聞いてたら、
それは自分の生き身に響かざるを得ないんだ。
人間の生き身同士の間で響くんだ。
それがコトことばなんです。
・・・・・
この意識に穴が開く ― 絶望などに直面して意識に穴が開いて、
存在の神秘と直面させられなければ、この深いコトことばって出て来こないんですね。
・・・・・
こうやって、
本当の彼岸からの手とコトことばで語れるようになったら、それが人なんです。
霊が留まるという人なんです。
これを引き出してやるのが教育なんですね。
だけど、学者なんてもうだめだなあ。
もう偶像が入っちゃってる。
・・・・・
…西アフリカの奴隷海岸、象牙海岸、黄金海岸というあたりへ行って、
最初に建てた教会というものを見た。
そしたら、その教会建てたのは誰かといえば、奴隷売買のその船の指導司祭だって。
・・・・・
つまり彼らは自分達のしていることを悪い事だと思っていなかったんだね。
・・・・・
その結果として、キリスト教ではどういう現象が起こったかというと
法律を精密化する事に夢中になって宗教的道を守ろうとした。
もう一つは、聖書なりなんなり、そういうものを、精密に分析して、わかるようにする事。
こういう事をやってきた。
だから、ますます空しくなったんです。
押田茂人著『祈りの姿に無の風が吹く』地湧社(1985)
あまり待たされずに受診終わった。
病院を出たらまだ10:30、天気も良かったが体調優れず風が強く冷たいので
散歩もせず調剤薬局で処方薬を受け取り買い出しをした後は
何処にも立ち寄らず真っ直ぐ帰宅した。
帰宅したら正午過ぎていた。
強風の中徒歩で結構歩き回ったので帰宅したら眠くなった。
昼食を済ませた後はますます眠くなったので昼寝した。
目が醒めたら22:00だった。
夜も更けたが、明日から仕事なので糧食の仕込みをする。
朝食用の激辛カレーと夕食用の白菜煮込みを同時進行で調理。(忙
ふふふ
明日の弁当が楽しみだ。
2連休、本日2日目は通院日。
予報では曇りのち雨だったのが晴れて来た。
晴れたと思っていたら何とバスに乗り込む時凄い雨になった。
人の頭を叩き地面にさざ波が立つ程の降り。
外来待合室寒い。
犇めき合う老人達でごった返している。
雨が酷いので今日は何処にも行かずひたすら本を読む。
本を読むにはちと暗いけど、ま、いいか。
・・・・・
読む事に没頭していたら二度呼ばれた。
一度は採血、二度目は診察。
気がついたら雨は上がって青空。
診察待ちの間、本の続きを読む。
押田師が語ったコトことば。
静謐で、過激。
頁に付箋を貼り、読み返し、備忘。
生徒と一緒に教材を発掘しましょうよ。
それが教育ですよ。
何かを作ってそれを与えようっていうんじゃないの。
一緒に関わって一緒に洞察して、
ああそういうものか、ああそうかって学ばせる事が大事なんですよね。
・・・・・
例えばヘブライ語の場合には教えるなんて言葉はないですよ。
学ぶ、学ばせる、学ばせられるという言葉しかないですよ。
それがイギリスへ行ってオックスフォードの辞書になると、
学ばせるっていう言葉を教えると訳している、
冗談じゃないですよ。
全然違う。
で、そういうものを日本に持って来て、西洋的学問といって、日本人がやってるの。
バカじゃなかろうか。
・・・・・
驚いた事に、この間、心理学の教科書を見せてもらったら、
人間とは意識であると書いてあった。
開いた口が塞がらないよ。
人間は意識であるなんて、冗談じゃないよ。
考えたり意志したりする意識っていうのは、ごく表面のことですよ。
・・・・・
我々が普通に使っている言葉、それから教科書で使っているような言葉は、
みんな理念ことばなんです。
その証拠に、中近東にもう一回戦争を起させたければ、私にまかせて下さい。
簡単です。
両方の代表的人物を会わせて、
「これから平和について議論して下さい。
これから人権について議論して下さい。
これから自由について議論して下さい」。
即座にまた戦争が始まります。
なぜ?
理念ことばと言うのは、いつも自己中心的意識と直結しているからです。
ところがコトことばというのは、その時、その時の響きを持っているんです。
存在の声なんです。
・・・・・
理念ことば、理屈のことば、概念は一切使わないでくれ、
あんたの日常の言葉で、本当に思っていることを、単純に言ってくれ。
今あんたが一番欲しいものは何なんだい。
「殺されるのヤダ!家族が殺されるのヤダ!殺されるの見るのヤダ!」
アラブ人がそう言うのをユダヤ人が聞いてたら、
それは自分の生き身に響かざるを得ないんだ。
人間の生き身同士の間で響くんだ。
それがコトことばなんです。
・・・・・
この意識に穴が開く ― 絶望などに直面して意識に穴が開いて、
存在の神秘と直面させられなければ、この深いコトことばって出て来こないんですね。
・・・・・
こうやって、
本当の彼岸からの手とコトことばで語れるようになったら、それが人なんです。
霊が留まるという人なんです。
これを引き出してやるのが教育なんですね。
だけど、学者なんてもうだめだなあ。
もう偶像が入っちゃってる。
・・・・・
…西アフリカの奴隷海岸、象牙海岸、黄金海岸というあたりへ行って、
最初に建てた教会というものを見た。
そしたら、その教会建てたのは誰かといえば、奴隷売買のその船の指導司祭だって。
・・・・・
つまり彼らは自分達のしていることを悪い事だと思っていなかったんだね。
・・・・・
その結果として、キリスト教ではどういう現象が起こったかというと
法律を精密化する事に夢中になって宗教的道を守ろうとした。
もう一つは、聖書なりなんなり、そういうものを、精密に分析して、わかるようにする事。
こういう事をやってきた。
だから、ますます空しくなったんです。
押田茂人著『祈りの姿に無の風が吹く』地湧社(1985)
あまり待たされずに受診終わった。
病院を出たらまだ10:30、天気も良かったが体調優れず風が強く冷たいので
散歩もせず調剤薬局で処方薬を受け取り買い出しをした後は
何処にも立ち寄らず真っ直ぐ帰宅した。
帰宅したら正午過ぎていた。
強風の中徒歩で結構歩き回ったので帰宅したら眠くなった。
昼食を済ませた後はますます眠くなったので昼寝した。
目が醒めたら22:00だった。
夜も更けたが、明日から仕事なので糧食の仕込みをする。
朝食用の激辛カレーと夕食用の白菜煮込みを同時進行で調理。(忙
ふふふ
明日の弁当が楽しみだ。