ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

職場の勉強会

2015-12-08 20:10:44 | 日常
昨夜は不覚にも気絶したらしい。
照明も落とさず朝まで爆睡していた。

カトリックのお仲間の方によると
今日から「いつくしみの特別聖年で」だそうである。
慈しみかぁ。
第三次世界大戦たけなわだけどね。

・・・・・

職場の勉強会で朝からホテルに来ている。
今朝、家を出る時に紅玉屋さんからグラニースミス届いた。
体調落ちているから夜帰宅するまで待たずに一個持ってきた。
会場で堂々と切って食べたよ。
酸っぱくて爽快、みずみずしく最高にウマい。
紅玉屋さんのグラニースミス、めでたし。

・・・・・

帰宅。
げほげほ。
昨夜は買い物する意欲もなく気絶、
今日は職場の勉強会で8時間半座りっぱなしで足腰立たず。


PC開けて久しぶりにこの日記ブログのブックマークを見た。
ブックマークした中で
私が個人的に最高と思うDMATの看護師のブログ。

 頭にhをつけてね。
   ttp://blog.goo.ne.jp/flower-wing/m/201103

感情でだらだら流されず怒涛のような思いを表現した、
無駄のない素晴らしい文章。
永久保存したい。


・・・・・


今日職場の勉強会で講師から紹介された動画『温情判決』。
会場で、見て啜り泣く人や涙を拭う人がたくさんいた。
私も涙が出た。
でもどうして皆泣くの。
「泣ける話」だから。
さめざめ泣けるのは他人事だから。
私自身ももう喉元過ぎてやはり他人事だからである。

動画(新版)温情判決≪介護のはなし≫(認知症の母親殺害事件)


取り上げたサイトもある。
『温情判決』
   頭にhをつけてね。
     ttp://kokorodo.net/e1538

裁判長の言。

「絶対に自分で自分をあやめる事のないように
 お母さんのためにも、幸せに生きてほしい」

幸せに?
幸せにとは何ですか?
幸せとはこの人にとってどういう意味だと思いますか?

今ここを読んで下さる貴方は?
貴方がこの人だったら、どうしますか?

親が認知症で昼夜逆転し徘徊して警察に保護され
在宅介護に行き詰って職を辞めなければならなくなったら。
デイケアなんか利用しても介護負担が重過ぎて焼け石に水だったら。
頻繁に勤務に穴を空けて顰蹙を買い職場にいられなくなったら。
仕事を辞めて自分の収入が途絶え、
親の僅かな年金ではデイケアの利用料金も払えなかったら。
認知症で目の離せない親を介護しながら働ける就職口は見つからない。
実際職に就いたとしても
家に親を一人置いて見に行きながら勤務するのは不可能、
仕事を減らすか辞めるか、
どっちらしろ自分の収入を減らして介護するしかない状況に追い込まれたら。
一日一日所持金が減っていく。
役所の保護課に生活保護を申請したら
「十分働ける年齢だから」「失業給付金受給したから」という理由で
突っぱねられる。
その時貴方はどうしますか?
残りの所持金で、何をしますか?

私自身、ほぼこの人と同じ境遇だった。
2013年の2月までは。
私の父も認知症が進んでいた。
独居が長く人と一緒に生活するのが難しい人だった。
ADLが落ちるにつれて
一人で自室で転倒し肋骨を折って家具の配置を変え事故防止しても
また別の転び方をして再び肋骨を折った。
夜間譫妄を起こして夜の23時近くにマンションのエレベーターに這い出し
建物の入り口で動けなくなっている所を住人に発見された。
同じ事を繰り返すのでその度にご近所にお詫びして歩かねばならず
譫妄がひどくなるとヘルパーを罵倒し鍵を掛けて締め出し、
袋菓子を一気食いし食い散らかしながら
食用油の取っ手付きの大瓶に水を足してぐびぐび飲んでいた。
私を殺すと言ってベッドの中に刃物を数本隠し持っていたので
家中の刃物を掻き集めて処分したらヘルパーが調理出来ず
食事の用意が間に合わなくなった。
果物ナイフを1本だけ、立てない父の手の届かない高い場所に隠して
ヘルパーに使って貰った。
調理の足りないところは私が自宅で調理して届けたり
父がデイケアで不在の時を見計らって作り置きした。
自分の生活時間など無くヘルパーが介護拒否されて連絡が来る度に
私は勤務を抜けて職場に散々迷惑をかけた。
実際、私は当時の職場の主任から苦情を言われた。

「人手が足りないから休まれると物凄く困るの。
 何とか時間調整できないの?
 これじゃ業務分担表も作れない!」

この人もこんな風にして職場を去ったのかな。
この人の母親は車椅子生活、私の父も同様だった。
私とヘルパーが別室でデイケアに持って行く着替えの事で
打ち合わせしている隙に僅かな段差に設置したスロープを強引に
車椅子で登ろうとして車椅子ごと音発てて仰向けに引っ繰り返り
後頭部を強打、急遽仕事を休んで脳外科受診させた。
勤務中に救急搬送されたと連絡が入って勤務を中断して抜けた事は
何回あったろうか。
TIA発作で嘔吐たしり、
居間で転倒して頭から血を流して倒れているのをヘルパーが発見し
駆け付けた救急隊員が床一面の血溜りを見て警察に通報していた。
そんな事が何度あっただろう。

もし私の父が、
この人の母親のように身体はまだ元気で車椅子生活を続けられて
在宅介護生活がもっと長く続いていたら、
いずれは私も間違いなくこの人と同じ境遇に、確実になったであろう。
資格を持っていたってそんなものは通用しない。

この動画を職場の勉強会で皆で見た時、講師が言った。

「こんな事になる前に、もっと何とか出来た筈です。
 もっと何か出来た筈なんですよね。」

介護福祉分野にいる者がそれを言うのか。

この人はデイケアを利用していた。
つまり担当のケアマネがいてデイケアで訓練やレクや介助をして
日々関わった介護福祉関係者は何人もいた。
それでも何の助けにもなっていなかったではないか。


私の父の時も同様だった。
仕事と介護とが両立出来ず在宅介護の限界を感じ、
ショートステイを申し込む度に「空きはありません」とケアマネは言った。
この人や私のような「現役で働ける介護者」という“資源”があると
優先順位は後回しになる。
何故なら老々介護で共倒れ寸前の例や
主な介護者が介護疲れで虐待したり逆に本人が家族に暴力を振るうとか
親類縁者との関係が全く無い孤独死に至る可能性の高い例とか
命の危険や共倒れの危険のある例を当然優先する。
親族が同居していたり近隣から介護に通える場合は

「もう少しご家族に頑張って頂いて」

と言って対応は現状維持のみ、対応して貰えない。
私が入院した時でさえ「ショートステイの空きはありません」だった。
父の年金も私のパート勤務の収入も時間も介護に殆ど全部吸い取られた。
私の父の場合は在宅のうちに健康状態が悪化したので
医療機関でもそれなりの扱いを受けた。
深夜に真っ赤な血尿と共に血圧が収縮期80mmHgをきって119通報し
その日の夜間当番の医療機関に搬送する事を何度かした。
ある総合病院の夜間当直の医師がカーテン1枚の向こうで言った。

「何だこれは。
 何でこんなのがうちの病院に来るんだ。」

入院はしたが病棟の看護師長から面と向かって言われた。

「お年寄りの認知症は看護師の手がかかるんです。
 また夜間当番が来るしベッド空けたいので本日今から退院して下さい。
 できないなら明日退院して下さい。」

その後肺炎と尿路感染で別の病院に入院したらその場で言われた。

「次の行き先を探して下さい。」

このように人間以下の粗末な扱いを受けるのは父だけでない事を
私は自分の仕事を通じて知っている。
医療機関は老人を受け入れたくないのだ金にならないから。
やむおえず入院を受け入れたとしても出来るだけ早く出したいのだ。
収益にならないから。


退院後、老健に入所したが最初のオリエンテーションの場で
「介護指導員」の名札を付けた看護主任から挨拶に返事もなく
憮然と言われた。

「早く次の施設を探して下さいね。
 病院通いとかされると全部うちの施設の持ち出しになるんですから。」

それから半月も立たないうちに父はこの老健で食事介助中に
左の肺が全部潰れるほどの誤嚥で呼吸不全となり再入院し、
そして老人病院でも物品以下の扱いを受け、力尽きて死んだ。

私は思う。
もし父があの致命的な誤嚥で呼吸不全にならなかったら
回復して自宅に退院する事になっていたら。

おそらく私もこの人のように
時間的に経済的に体力的に心理的に消耗し尽くし追い詰められてただろう。
実際、私はいつも死ぬ事を考えていた。
生きていればその先に何か楽しい事とか嬉しい事とか神の恵みとか
そういう得体の知れない「何かいい事」があったとしても要らなかった。
何でもいいから早く終わらせたかった。
その前に父が力尽きた。


父が生きていた時よく色々な人に言われた。

「貴方は親の介護ばかりでなくてもっと幸せになってほしい」

父が死ぬとよく色々な人に言われた。

「これからはもっと貴方のしたい事をして幸せになってほしい」

思い出して今ここに文字として書いただけでも
虫唾が走り怒りで頭の中が真っ白になる。
踏み躙りたい言葉である。
しかし私はこのように人から言われ続けていつも笑っていた。
心理的に情緒が凍り付くと顔面は微笑で固まる。


この人のように、追い詰められた人が
無理心中や殺害、自殺を実行してしまってから初めて事件として
世に注目され皆で動画や記事を見てさめざめ泣く。
そして動画やサイトに「泣けるいい話」のタグが付けられる。
安っぽいお涙頂戴のタグ。


今、ここを読んで下さる貴方、
この『温情判決』の動画や取り上げたサイトの記事を見て涙出ましたか?
どうして泣くんですか?


これを見てさめざめ泣けるのは他人事だから。
私自身も泣きました。
父が亡くなって1年過ぎて喉元過ぎると他人事になったので
こうして安っぽく卑しい同情の涙が出ます。
少なくともこの人も、父を在宅で介護していた時の私も、
また同じ境遇にあって今追い詰められている真っ只中の人も
今この動画見て鼻を啜っている貴方や私の涙など必要としていません。
同情して泣くくらいなら
黙って見ていないで何とか手を貸してほしいという事です。


自分がこの人とほぼ同じ境遇にいた時にこれを見たら
涙はおそらく1滴も出なかった。
同じ境遇の真っ只中にいると同情の涙は出ないものです。


誰もが近い将来、
この人と同様かそれ以上に過酷な境遇に親子共々落とされます。
金が幾らあろうと無かろうとそんなものは何の役にも立たず
ただ介護費用として吸い上げられます。
時間も手間暇も物も消耗し尽くし何も残りません。
自分が何をしたかしなかったか、それだけしか残りません。
行政も、介護福祉も、病院も、
老人とその家族のためには決して力を貸してはくれません。
何故なら収益にならないから。
私は15年間のうちに身を以て痛感しました。


この動画見て同情して泣くのは
自分の身に必ず降りかかる事だとは本気で思っていないから。
私自身、喉元過ぎて他人事のように見ているから。
しかし実際に自分に降りかかった時は
行政も福祉も医療ももう既にパンクして
形骸化してしまっているかも知れません。