上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

瞽女峠への旅・四国をめぐる Part 2

2015-03-17 17:24:35 | 四国紀

 

             朝食の支度

 

新潟上越市から瀬戸大橋を渡り,画家の友人のいる三豊町迄およそ1000km.与島SAの電話で,岩田君の元気な声が通る「6年前,仕事の都合で四国にきたものの,電話で話しただけで終わってしまったので,今回は家に泊まれ」のこと.20年前,私が家族で四国にキャンプに来たときに会った時から,早20年.時の経つのはあまりに早い.

 彼の家は,香川県地方独特の本瓦屋根.近隣の家はおおよそが同様だ.鬼瓦の装飾は見事で,すごい作りだね,と褒めると,彼は見栄以外の何ものでもないよ!ととりあわない.庭には彼がモチーフとする,植物,樹木が所狭しと植えられている.特にライフワークにしているのは野菜類,そのなかでもとりわけ拘っているのは,タマネギである.

 

            春の七草の植えてある鉢を説明する.

 

 岩田茂,20代でル・サロン展等に何度も入賞して,実績を残し東京から田舎の香川県に帰ってきた.私が彼にあったのは20才のころ,親友で画家志望であった江田真治が下宿していたアパートに彼も下宿し.三人とも同い年.江田と同じ絵画研究所に通う画友であった.彼の部屋に遊びに行くと,彼は新聞のチラシの裏が真っ黒になるほど,鉛筆デッサンの線引きをしていた.,中野坂上の女郎屋を改造したここの下宿人は,多かれ少なかれ,貧乏学生がほとんどで,創作活動を目指す者が多かった.

 この下宿屋「曙荘」には,笹倉もおり,4人とも同い年であった.

 

 

 またの再会と展覧会の案内状送付を約束させ,香川県を後にした。2015年3月7日~8日


瞽女峠への旅・若狭路~山陽路~四国をめぐる

2015-03-16 14:49:58 | 四国紀

 

 

 瞽女峠 (356m)愛媛県八幡市 保内町

 

 これだけ瞽女が活躍し,瞽女の聖域として最後迄残った,瞽女の原点とも言える新潟に,瞽女の名を冠した土地や品名を私は知らない.朱鷺はかろうじて残ったが(中国からの移設した個体での移流だから疑問は残るが),瞽女の歴史は小林ハルさんで最後であり,10年程前に途絶えてしまった.

 ネットで検索すると瞽女の名を冠した地名では,四国に瞽女峠が著される.その峠の名は瞽女の名を冠した薩摩の土人形に続いて,私の中でいつも漂流しており,気がかりの一つであった.今回,四国高知に用が出来,6年前に田中一村の取材の際に会えなかった画家の友人にあったり,釣りバカの私を誘う渓魚への関心も,あったから,渓流道具,山道具一式を携え,新潟の家から若狭路を走り,四国路と向かった.

 

 

     親知らず・子知らず

 

           親知らず子知らず 駐車場にある,この像は? 親・子の図なの

 

 京都の山里のある道の駅にて車泊・兵庫県の山村部,かの有名な竹田城の脇をとおる.なるほどこの辺りは,雨模様の日は山霧が多いようだ.姫路の山村部は新潟の山村部は,趣は違う.民家にしても整然としており,家作りにこだわりが有るのが分かる.例えば漆喰を使った窓枠?など,面白い.

ミツマタの花,杉林の下を好む,とある

 

 

 漆喰壁といい窓サッシまわりの漆喰の額縁が美しい

 

兵庫県朝来市  神子畑鉱山

 

 

 兵庫県を要領よく走り去ろうと直線的に山沿いの道路を選んでは知るが,兵庫の国道でさえ,通行止めで迂回を余儀なくされる.午後14時.瀬戸大橋を渡る.

 

   与島SAから香川方面を見る    2015年 3月6~7日