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上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

ねじり杉の石仏達・十日町角間

2024-10-10 15:39:28 | 石仏

 脇目も触れず新潟の上越に向かう沿線には、大中小の見所がある。

案内板には気がついても目的地にだけしか目が向かない

短慮な人間なので、そんな看板が目に入っても寄ることもなかった。

そんな場所の一つに渓谷美で有名な清洲峡がある。

その渓谷をを過ぎたところに「角間のねじり杉」という名所があるらしいのだ。

その場所に双体道祖神があるということがわかり、足を運んだ。

 このねじり杉とは、通常は真っ直ぐ伸びるはずの杉の樹皮が、捻れて着装しているらしいのだ。

   ねじり杉と石仏達。背後の観音堂。

 国道を離れこんな場所に道路があったのかと不思議に思いながら、つづら折れの急な道をあがっていると

農作業の農婦が一人。家も一軒家。80は超えたと思われる老婆に、ねじり杉があるという観音堂の場所を聞いた。

 いや〜この老婆, 雰囲気があって被写体に良い、と思ったが言い出せず、後ろを振り返りながら、車を走らせた。

 

  石仏達の背後にある大杉は、なるほど樹皮が捻れてついていた。

 

 目的の双体道祖神が参道沿いの杉木立の間に。すねたような、怒ったような男神。幼体顔の道祖神様でした。

 

 秋の日差しを感じる一日だった。

 

 


緑成す双体道祖神・新潟県十日町市

2024-08-18 21:37:10 | 石仏

     上杉謙信道と呼ばれた、戦国時代の道。その路傍に建立されている双体道祖神。(十日町孟地)

 季節ごとに訪れては撮影している双体道祖神がいくつかある。特に苔に覆われた道祖神には興味をそそられる。

苔がつくと、きれいに剥ぎ取って掃除をしてから撮影する方もいるようだが、私は自然の営みの中で培われた造型は

そのままが良いと思っているから、あえて苔で纏われた石仏を撮る。

内には今回載せるような彩色された双体道祖神があるから面白い。

 謙信道は草に覆われ、その奥に孟地の双体道祖神はひっそりと佇む。草丈があったなら、気が付かないだろう。

 

十日町芋島(おのしま)の双体道祖神は裏山の棚田へ向かう薄暗い掘割の上段にある。

 

 唇に薄紅をさしたこの双体道祖神は、艶かしく美しい。


春の野辺に・道祖神を探す

2024-04-15 18:00:59 | 石仏

まだまだ山里は冬。でも植物が繁茂していない今が石仏探査には最適なのだ

踊るようなカタクリの花。カタクリはまさに春の使者だ、と私は思う!

 

 年を跨いで何度も足繁く通って、ようやく目的の道祖神を見つけた時の喜びは一塩であるが、

所在が分かり、その集落を尋ねてもその土地に住む人達にさえ認識されなくなった道祖神の

なんと、多いことか。地元の方でさえ場所の特定ができないとなると、その集落の付近を

熊さんのように、森や藪の中を彷徨することになる。大抵目の前、数メートルの場所に

あったにもかかわらず、見つからない場合が多い。

その場合は点ポイントの目標物が必要だ。例えば古木、大木、社、石仏だ。そのポイントから上下

あるいは方角と目安の距離であるが、見つからない時には最終的には郷土の詳細な資料や、

知識のある方に協力を仰ぐしかないのである。

新潟県柏崎市広田の道祖神。雪で倒れていた石仏を起こし、撮影した。

 

この竹藪の脇を何度通っていたのだろう。小道の土手脇3mほどの場所に道祖神とともに、庚申塔

青面金剛など、石の加工物が並んでいたのだが、大薮でわからなかった。この近所の方に聞いても

誰も認識している方はいなかった。そもそも道祖神は民間信仰が作り出した純粋な祈りのシンボルである。

現在の日本は、自然に対する畏怖と優しさ、そして信仰心を失ってしまったのだろうか。

日本という島国で育ってきた素晴らしい自然観は消えいくのだろうか。そうだとしたら誠に寂しい限りである。

こごみとツクシ、やがて藪の中に埋もれてしまう。

   カタクリとモミジ の古木に囲まれた特等席に鎮座する、水野の双体道祖神。

 

4度目の正直。やっと会えた上越市水野の道祖神。目と鼻の先にあったのに辿り着けませんでした。

もちろん水野の集落のどなたも場所を特定できる方はおりませんでした。

 

 

 


上越市柿崎区 黒岩道祖神

2023-12-15 16:32:42 | 石仏

足掛け五年にもなる道祖神詣も、なかなか腕が上がらない。地区名が分かって勇んで出かけるが、大抵の場合肩透かしを喰らう。農作業に勤しむ地元の方を見つけては、尋ねるのだが、路傍の石仏には気がついているのだが、道祖神には意識が薄いらしく、場所を特定できる場合は少ない。

柏崎博物館で新潟石仏会による道祖神写真展があるというので、行ってみて分かったのは、資料によって上越市には4体と信じていた道祖神が、もう2体あることがわかったのだ。何冊かの新潟県の道祖神資料によって、類推していたのだが、勘違いであることがわかった。

 上越市の道祖神は柿崎区芋島 楞厳寺(りょうごんじ)と安塚区須川の道祖神、柿崎区小萱と平沢の4体だと思っていたからだ。あと2体は柿崎区黒岩と水野にあるというのだ。このことは信仰の山、米山を巡って山里に道祖神が設えてあるということだ。

 砂利道の斜面奥に石碑のようなものが見えた。

日を改め柿崎区黒岩に行き、情報集めをしたが、どれもただの石仏に関する情報だけだった。かっての古道を見つけ辿ってみると、ありました。おそらくどなたかが守っているようで、道祖神の周りは藪が刈られ、花瓶などがあった。
 
 
石碑の横に道祖神が。苦労が報われた瞬間である。
 
 
 
        
 
    穏やかでふくよやかな表情の黒岩道祖神が待っていた。
 
 
 
さて残る柿崎区水野の道祖神であるが、水野集落のほぼ全ての家に、と言っても7、8軒であるが、
 
聞き込みをしたのであるが、道祖神には行きつかなかった。今日、明日あたりから甲信越は雪。
 
道祖神も雪の中で眠りにつくだろうから、道祖神とのお目見えは来年の融雪を待ってと、なった。

双体道祖神あれこれ

2023-08-13 15:29:15 | 石仏

群馬県赤城町彩色双体道祖神。赤城インター近くにある。

この双体道祖神はアベック地蔵尊とでも言った方がいいにかもしれない。赤い白毫相に、眉に墨。目にはアイライン。唇には紅を差し、朱の衣を纏う。四十五年前の写真と資料をもとに訪ねたのだが、彩色はその当時よりしっかりと着色されていたから、定期的にメンテナンスしているのだろう。この様な彩色双体道祖神は長野県では多く見られるが、群馬県では珍しい。

新潟県十日町 三体道祖神。建立不明

双体道祖神に興味を持ってから、初の三体道祖神。端正な顔の頭上に、狐の冠を被った美しい仏石である。

新潟県十日町松代 孟地

上杉謙信が通ったという古道にある。双体道祖神を覆った苔は、緑衣の様。

新潟県十日町松代 芋島 建立年 天保4年5月(1833年)

切り通しの斜面にあり、足場悪く正対できないため、仰ぎ見ての撮影になった。

能面刻みの面は苔に身を委ね、やや大振りの端正な唇には薄紅を差す。

撮影中、この愛のカップルは妙に艶かしく、今にも言葉を発しそうだった。