goo blog サービス終了のお知らせ 

迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

上海の思い出 その3

2005年05月05日 | 
中国という国の本性に触れたのはそれからしばらくしてからのことでした。
いくつかの中華料理店を比較した結果、味には大きな違いはなさそうなので、最初に行ったのとは別のホテル近くの中華料理店に毎日のように通っていました。
違いがあるとすれば、上海周辺のいなかから出稼ぎに来ていた若いウェイトレスが多かったことくらいでしょうか。
毎日通って、マーボ豆腐やエビチリなどのあるていど決まった料理を頼んでいれば、お会計もわかるようになって、適当に注文していても今日は何元だなという予想と、実際に支払う金額に5元の誤差もなくなっていました。
中華料理店にも飽きてきた5日目ころのことでした。
その日はいつもよりも注文が少なく、たいした金額を払うはずがなかったのですが、会計をするといつもよりも高いというのです。
他のテーブルと伝票を間違っているんじゃないかと、同行している中国人社員に確認してもらうと違いないという。
こんなに食べていないから間違いだと言っても、間違いはないと言い張る。
最終的に支払ったのか支払わなかったのかは忘れてしまいましたが、中国人というのはお得意さんに対してもぼったくりみたいなことをするのかとしみじみ思いました。
中国人社員も自国民として恥ずかしい思いをしたからか、流石に悲しそうな顔をしていました。

ついでにもうひとついやなことを書いておくと、ホテルで円を元に交換する際、普通はレート通りにきっちりと両替してくれるはずですが、このホテルの両替担当は(多分、このホテルだけでなくどこでもやっていることだと思います)、端数を切り捨ててしまうのです。
もちろんたいした額ではありせんが、そういう問題ではありません。

ルールに関してルーズな中国の一端を実感した出来事でした。

上海の思い出 その2

2005年05月01日 | 
ホテル(ホリディ・イン)に着いたのは夜、夕食を食べに近くの中華料理店に行きました。
初めて食べる本場の中華料理はおいしかったです。
どこかの航空会社のスチュワーデスが食事に来ていたので、ハズレの店ではなかったかも。
値段は日本よりも多少安い程度だったと思います。

ホテルの周辺は民家と空き地と建設中のマンションでした。なんか、日本にはない景色です。
日本にないと言えば、たくさんの自転車と、牛が荷車を引いている光景もそうでした。
これが日本の戦後の風景だったのかもなー、と思いました。

当時の上海を走っている車は、ワーゲンゴルフと軽自動車ばかりで、それ以外に中古の日本車が走っていたように思います。
交通マナーは悪く、赤信号で停車していると後ろからクラクションを鳴らされるし、歩行者はどんどん道路を横断する。
高速道路みたいなところに車を停車させているのを見て、驚いたこともありました。

なんというか、生活力があるというか、たくましいという印象を持ったものです。

続く

上海の思い出 その1

2005年04月30日 | 
十数年前に仕事で上海に行きました。
まだ、虹橋空港を使っていて、浦東地区が開発される前でした。今、「ぷーとん」と入力して「浦東」と変換されたのでちょっと驚きました。

同行者は中国人の契約社員。言葉の心配をする必要がなかったので心強かったです。
虹橋空港での最初の仕事は、会社の人から預かった荷物を渡すことでした。
上海出身のスナックの女性とお付き合いをしていた彼は、彼女の家族にお土産を持っていって欲しいということでしたが、そんなことはどうでもいいですね。

上海では携帯電話が普及していたので驚きました。それほど近代化されていないと思っていたからです。
そんな思いを抱きながら、宿泊先であるホリディ・インに到着しました。

続く