もう6月も終わりますね・・・
2020年の半分が過ぎようとしています。
今年に入ってから、新型コロナウィルス感染症が全世界に広まり、これまで当たり前のようにできていたことからガラッと生活が変わり・・・須永博士美術館も4月10日から5月31日まで臨時休館しておりました。
4~5月、娘たちの通う高校は週に1日の登校日のみで、ほかの日は家庭学習。部活も無い日々が続いていました。
6月1日から学校が再開し、お弁当も始まり、部活もスタート!
高校でもホッケーする!と楽しみにしていた今年入学した娘も、3年生の姉と一緒にできる残りわずかな部活動に汗を流しています。
須永博士美術館も、館内の見学をお休みしていた間は
http://sunagahiroshi.cart.fc2.com/
↑須永博士美術館WEBショップ
からのご注文受付のみでしたが、館内の見学&お買い物も再開しています。
ですが、今日現在も平日はとってもゆっくりと静かです。
時間がたっぷりあるので、今、須永博士の資料を集めたり直接須永博士に質問してこれまでの人生を聞き直したりして、「須永博士の歴史」をまとめているところです。
これまで知っていたようで知らなかったこと、驚くようなこと、感動することがあり、できれば書籍にできるといいなぁとも思っています。
今のうちに、聞きたいことは聞いてこうと思いますので、皆様もご質問、聞いてみたいことがありましたら須永博士美術館へご連絡ください。
sunaga-h-b★hello.odn.ne.jp
「須永博士の人生」のブログ記事一覧-須永博士美術館スタッフブログ
↑こちらに、須永博士の人生も書いています。
昭和17年 (1942年)2月11日に生まれた須永博士、両親の元、一人っ子で育ちました。
「絵描きになりたい」「詩人になりたい」とこの道をめざし始めたのは21歳の時。
20歳の時に父親が脳出血で目の前で他界してから1年後のことでした。
「人って、こんな簡単に死んでしまうんだ」と、父親の死で感じたこと
18歳の時に就職した会社で、なんのとりえもない須永博士は会社で「お前は駄目だ」「役に立たない」と言われ続け、人に会うのも外に出るのもだんだんと怖くなり
「対人恐怖症」になってしまった。
逆境をはねかえす力も無かった須永博士は、1年半家に閉じこもり、することは絵を描くことと、本を読むこと。
その読んでいた本の中に、「詩集」があった。
その本のタイトルは「わが愛する詩人の伝記」
室生犀星(むろおそうせい)という詩人の著書なのですが、
「各詩人の人がらから潜って往って、詩を解くより外に私に方針はなかった。私はそのようにして書き、これに間違いないことを知った」。藤村、光太郎、暮鳥、白秋、朔太郎から釈迢空、千家元麿、百田宗治、堀辰雄、津村信夫、立原道造まで。親交のあった十一名の詩人の生身の姿と、その言葉に託した詩魂を優しく照射し、いまなお深く胸を打つ、毎日出版文化賞受賞の名作。」
と本の紹介にあるように、私でも名前を知っている詩人の方々が実際に生きていた時代のことで、室生犀星さんが訪ねて行ったり、出逢いの中から感じたことなども書かれてあって・・・
わたしもものすごく感動しました。
20~21歳のころの須永博士の心に、この本との出逢いはものすごく大きく響いたんですね。
「涙があふれてきて、生きる力が込み上げてきた」と言っていました。
こんなメッセージがあります。
このメッセージに書かれてある、
「人間の優しさ」を与えてもらったのは、絵描きと詩人をめざして旅をしていた須永博士の生きる力になりました。
http://sunagahiroshi.cart.fc2.com/ca2/15/p-r2-s/
「風に吹かれて」に、そのことも書かれています。
自分さがし、自分を強くしたい、その想いで旅に出た須永博士でしたが、旅の中で出逢う人に何度も助けられたことがありました。
また、続きを書きます。
須永博士の人生の中で一番つらかった時、それは18歳から22歳の時
その時のつらさ、絶望感、人間不信の想いをしたことが、今も心の中で詩を書くエネルギーになっていることは確かです。