昨日須永博士から電話があり、この前の「須永博士が18歳~19歳のころに将来なりたかった職業」のことをクイズにした話から…
東京の須永博士の資料室からいろいろと出してみて、自分の当時のことを振り返ったりする時間があったそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タクシーの運転手になりたいと思っていたころの自分…
対人恐怖症になってしまったのは、そのあとのことで、当時の自分ってどんなだったかなぁと思うと、本当の自分の性格は明るかったんだろうな。
だから、過去の友達は、自分が社会に出てつらいことがあって苦しんでいたとは想像もつかないだろう。
だけど、顔は笑っていても心で泣いている時がある
つらいことがあれば、たまってゆく。
でも、表には出さないで生きていた。
だから、だれもそんなこと知らないよね。
死のうとまで思ったことも・・・
本人の人生と、周りが見ている自分の人生とは違うからね。
表を見てるのと、中身を知っているのと違うように。
「詩人、絵描きで生きていく」と決めてからは、「自分の絵が世の中に認められるかな」と不安もあったけれど、近所の喫茶店に、勇気を出して「絵を飾らせてください。」とお願いして3枚の絵を飾らせてもらったんだ。
そうしたら、喫茶店のお客さんに「おもしろい絵だなぁ」と言ってもらえた。
うれしかったなぁ~~
そのあと、父の手伝いをしていた家業の写真屋の配達でカメラの修理で銀座ミノルタカメラへ行った帰り道、銀座三愛みゆき店の前を通るとポスターがあって水森亜土さんとやなせたかしさんの絵の展覧会をしていた。
水森亜土さんは終わっていて、その時はやなせたかしさんの絵が飾られてあった。
かわいい絵や詩がいっぱい飾ってあって、それをみて「僕もやりたいなぁ」と思った。
今でも、その時、26歳の須永博士の行動は生涯忘れられません。
売り場のカウンターへ行って、2~3人いた女性にドキドキする心臓から言葉を絞り出して・・・
「このやなせたかしさんの展覧会の場所は、どうしたらお貸りできるのですか?」
と。今思っても、このことが、今の自分の第一歩です。
女性が、「この場所にふさわしい、かわいい作品ならばお貸しします。担当者がいますので、電話をしてください。」と電話番号をもらいました。
家に帰り、担当者さんに電話をすると、「ぜひ作品を持ってきてください。」と言われ、1週間から10日後にそれまでに描いていた絵を持っていき、見せました。
「これはおもしろい、三愛のお店にふさわしい。
7月1日から10日まで、あのプペギャラリーをお貸ししましょう。」
当時3月で、そのあとのスケジュールが埋まっていたので空いている7月1日からの10日間というお返事をもらいました。
夢のような話です。
色紙に絵を描き(全部手書き)紙粘土でお面を作り、前の年に結婚した妻が、自分の絵をぬいぐるみにしてくれて、それを持って6月30日の夜、飾りに行きました。
担当の方が言いました。
「プライスカードをつけます。」と
え!自分の絵に値段が付くのか!?
「うちは営業でしていますから、1枚350円のプライスカードを付けます。」と。
自分の絵が売れるなんて思ってもなく、値段をつけてもらえることも信じられない思いでした。
翌日7月1日、展覧会スタート。その日も絵を描いていて、後から持っていこうと思っているとお昼頃 三愛さんから電話があり、
「作品が売れています。追加を持ってきてください。」と。
自分でも驚くほど、色紙を求めてくださる人がいて、ものすごい驚きと感動でした。
・・・・・・・・・・
須永博士からの電話とファックスで、当時のことを文面にしてみました。
やはり、最初の「顔で笑っていても 心で泣いている」
そのことが、今も須永博士の心の中には大きな大きなことであり、旅をしてきた中でも、苦しんでいる人にそっと言葉をかけてあげたい、詩を書いて、少しでも心が軽くなってくれたら、という思いがずっとあるんですね。
須永博士の20代のころの写真があります。
この笑顔の裏の心は・・・
また、この続きも書きます。
さぁ、今日は6月1日!
いよいよ須永博士美術館の館内見学も再開いたします。
午前10時に開館します。
感染拡大防止策をできる限りしながらの開館再開になりますが、お待ちしています!