今日、6月23日は沖縄は「慰霊の日」で、今から71年前 1945年6月23日、太平洋戦争「沖縄戦の組織的戦闘が終結」した日とされ、沖縄では国の機関以外は休日となります。
糸満市の平和祈念公園では、慰霊祭が行われていますね。
このブログを始めた2008年から、私もこの日は慰霊の日に心を寄せ、書かせてもらっています。
2008年6月23日
2009年6月24日
2010年6月23日
2011年6月23日
2013年6月23日
2015年6月25日
ここにも書きましたが、「6月23日は慰霊の日」ということを知ったのは、嘉手納小学校さんへ須永博士講演会で行った2006年からのことでした。熊本に来た22歳の時、新聞で「慰霊の日」を知りましたが詳しいことは意識せず、33歳の時に須永博士のスタッフで沖縄に行った際、講演会場となった嘉手納小学校さんは嘉手納基地のすぐそば!びっくりしてしまうような爆音で戦闘機やヘリが学校の真上を飛んでいました。
先生方のおじいちゃんおばあちゃんが戦争を経験していて、いろんなことをそれから教えて下さいました。
戦時中のこと、アメリカ軍が海の向こうからやってきて、北谷の海が真っ黒になる数の軍艦からアメリカ兵が沖縄へ入り、それから地上戦が始まっていったこと・・・
生き延びた方々が食糧難で苦しみ、住む場所や畑も無くなってしまったこと・・・
まだまだ、今生きている私たちには計り知れない苦労を越えてきた沖縄の方々の事、そして、犠牲となってしまった多くの方々の事・・・「多くの方々」と言ってしまうけれど、それは、ひとりひとりの命、その命が、平和の礎に刻まれているものを2010年に実際に見たときには、言葉も出ませんでした。
この記事を書くにあたり、屋嘉比収さん著の
「沖縄戦、
米軍占領史を
学びなおす
記憶をいかに継承するか」を手に取りました。
2011年6月23日に少し書きましたが、歴史は眠らないというNHKの番組でも紹介されました。
屋嘉比さん、小国へも来て下さったこともありました。もっともっと、お会いして勉強したかったなぁ。でも、422ページにもわたる内容で、決して眠ることのない沖縄の歴史をこの本にしっかりと残して天国から今も教えて下さっているように思います。
この本を開いて、沖縄で起きてきたこと、起き続けていることを知ること、日本の中で唯一地上戦が行われ、兵士だけでなく多くの一般市民までも命が奪われてしまったことは日本人として目をそむけることは出来ません。
屋嘉比先生がタイトルに「学びなおす」とつけたことに意味があると思います。
今、私たちは歴史を学びなおす必要があるのではないか・・・
戦争、自然災害、そして、生きる姿勢、家族を守るということ、地域のつながり
この本を開くと、ただ単に「戦争」だけでなく、深い深い人間の「想い」が書かれているように思います。
戦後を生きた沖縄の方々の力強く生きる姿も書かれています。
家族を守ろうとして命を落としていった人びとのことも書かれています。集団自決の事も、沖縄の住民を戦力化していくことの国の動きも・・・
証言、証人についても考えさせられます。
たくさんたくさん紹介したいのですが、須永博士美術館にありますし、Amazonでも購入もできます
屋嘉比収 著 「沖縄戦、米軍占領史を学びなおす」
私が今日、特に目にとまったページが
「サバイバル生活」322ページ~、
「米軍が捨てたチリ捨て場や基地の食堂から廃棄される残飯」これを、「基地内の食堂で働いている軍作業員によって持ち帰られ。それを水で薄めてスープとして販売され飛ぶように売れた」
「古くなった缶詰類や兵舎を壊した際の木材やとたんなどが捨てられていて、その廃材を利用してその廃材を利用した」
「燃料タンクの厚いゴムのカバーを切り取ってゴムゾウリを作る人もいた」
などなど、この時代の沖縄の人びとは、厳しい状況のなかで外来の文化を自らのものに取り入れて、生活の中に組み込み、アイデンティティの一部にさえしていたのであると書かれてあります。
もっと胸に迫るページもたくさんあります。どのようにして、沖縄の人たちが戦後を生きてきたのか、生きているのか。
年月は71年という時間が経っているけれど、決してまだ終わっていない「戦後」
その今、仲村颯悟監督が生み出した映画「人魚に会える日。」が公開になり、全国各地での上映が続いています。
ぜひぜひ、近くで上映される際には映画館へ足を運んでみてほしいと思います。
人魚に会える日。公式サイト
私も3月に見に行きました。
渋谷にて
毎年、慰霊の日に私の想いを一方的に書かせて頂いておりましたが、今年2016年の6月23日が熊本県が困難と立ち向かっているとは・・・です。でも、自分で書いてきたことを振り返ってみても、慰霊の日に思っていたことは「今、しっかりと生きること」だったように思います。
今生きている私たちに命をつないできてくださったご先祖様に感謝して、どんな人生がこれから待っていようとも家族や自分や周りの方々を大切にして、自然と向き合って、争うことなく生きてゆきたいな。
前の記事を振り返っていて、2012年6月23日に慰霊の日の事を書いてなかった事に気付き読んでみると、その年の6月19日に主人のお父さんが他界したのでした。
先日ちょうど命日には家族みんなで仏前に手を合わせて「みんな元気でがんばってるよ」と言ったところでした。
2012年6月23日の記事
2012年6月23日の記事の続き「応化」
本当に、人間の一生というものの中で、いろんなことが起きますね。反対に言えば、何も起きない人生なんてないのでしょう。
泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり、挑んだり失敗したり成功したり・・・
さあ、明日もがんばろう!と思います!
そして・・・
慰霊の日に沖縄戦での戦没者の方々に、沖縄へむかって心で手を合わせます。
糸満市の平和祈念公園では、慰霊祭が行われていますね。
このブログを始めた2008年から、私もこの日は慰霊の日に心を寄せ、書かせてもらっています。
2008年6月23日
2009年6月24日
2010年6月23日
2011年6月23日
2013年6月23日
2015年6月25日
ここにも書きましたが、「6月23日は慰霊の日」ということを知ったのは、嘉手納小学校さんへ須永博士講演会で行った2006年からのことでした。熊本に来た22歳の時、新聞で「慰霊の日」を知りましたが詳しいことは意識せず、33歳の時に須永博士のスタッフで沖縄に行った際、講演会場となった嘉手納小学校さんは嘉手納基地のすぐそば!びっくりしてしまうような爆音で戦闘機やヘリが学校の真上を飛んでいました。
先生方のおじいちゃんおばあちゃんが戦争を経験していて、いろんなことをそれから教えて下さいました。
戦時中のこと、アメリカ軍が海の向こうからやってきて、北谷の海が真っ黒になる数の軍艦からアメリカ兵が沖縄へ入り、それから地上戦が始まっていったこと・・・
生き延びた方々が食糧難で苦しみ、住む場所や畑も無くなってしまったこと・・・
まだまだ、今生きている私たちには計り知れない苦労を越えてきた沖縄の方々の事、そして、犠牲となってしまった多くの方々の事・・・「多くの方々」と言ってしまうけれど、それは、ひとりひとりの命、その命が、平和の礎に刻まれているものを2010年に実際に見たときには、言葉も出ませんでした。
この記事を書くにあたり、屋嘉比収さん著の
「沖縄戦、
米軍占領史を
学びなおす
記憶をいかに継承するか」を手に取りました。
2011年6月23日に少し書きましたが、歴史は眠らないというNHKの番組でも紹介されました。
屋嘉比さん、小国へも来て下さったこともありました。もっともっと、お会いして勉強したかったなぁ。でも、422ページにもわたる内容で、決して眠ることのない沖縄の歴史をこの本にしっかりと残して天国から今も教えて下さっているように思います。
この本を開いて、沖縄で起きてきたこと、起き続けていることを知ること、日本の中で唯一地上戦が行われ、兵士だけでなく多くの一般市民までも命が奪われてしまったことは日本人として目をそむけることは出来ません。
屋嘉比先生がタイトルに「学びなおす」とつけたことに意味があると思います。
今、私たちは歴史を学びなおす必要があるのではないか・・・
戦争、自然災害、そして、生きる姿勢、家族を守るということ、地域のつながり
この本を開くと、ただ単に「戦争」だけでなく、深い深い人間の「想い」が書かれているように思います。
戦後を生きた沖縄の方々の力強く生きる姿も書かれています。
家族を守ろうとして命を落としていった人びとのことも書かれています。集団自決の事も、沖縄の住民を戦力化していくことの国の動きも・・・
証言、証人についても考えさせられます。
たくさんたくさん紹介したいのですが、須永博士美術館にありますし、Amazonでも購入もできます
屋嘉比収 著 「沖縄戦、米軍占領史を学びなおす」
私が今日、特に目にとまったページが
「サバイバル生活」322ページ~、
「米軍が捨てたチリ捨て場や基地の食堂から廃棄される残飯」これを、「基地内の食堂で働いている軍作業員によって持ち帰られ。それを水で薄めてスープとして販売され飛ぶように売れた」
「古くなった缶詰類や兵舎を壊した際の木材やとたんなどが捨てられていて、その廃材を利用してその廃材を利用した」
「燃料タンクの厚いゴムのカバーを切り取ってゴムゾウリを作る人もいた」
などなど、この時代の沖縄の人びとは、厳しい状況のなかで外来の文化を自らのものに取り入れて、生活の中に組み込み、アイデンティティの一部にさえしていたのであると書かれてあります。
もっと胸に迫るページもたくさんあります。どのようにして、沖縄の人たちが戦後を生きてきたのか、生きているのか。
年月は71年という時間が経っているけれど、決してまだ終わっていない「戦後」
その今、仲村颯悟監督が生み出した映画「人魚に会える日。」が公開になり、全国各地での上映が続いています。
ぜひぜひ、近くで上映される際には映画館へ足を運んでみてほしいと思います。
人魚に会える日。公式サイト
私も3月に見に行きました。
渋谷にて
毎年、慰霊の日に私の想いを一方的に書かせて頂いておりましたが、今年2016年の6月23日が熊本県が困難と立ち向かっているとは・・・です。でも、自分で書いてきたことを振り返ってみても、慰霊の日に思っていたことは「今、しっかりと生きること」だったように思います。
今生きている私たちに命をつないできてくださったご先祖様に感謝して、どんな人生がこれから待っていようとも家族や自分や周りの方々を大切にして、自然と向き合って、争うことなく生きてゆきたいな。
前の記事を振り返っていて、2012年6月23日に慰霊の日の事を書いてなかった事に気付き読んでみると、その年の6月19日に主人のお父さんが他界したのでした。
先日ちょうど命日には家族みんなで仏前に手を合わせて「みんな元気でがんばってるよ」と言ったところでした。
2012年6月23日の記事
2012年6月23日の記事の続き「応化」
本当に、人間の一生というものの中で、いろんなことが起きますね。反対に言えば、何も起きない人生なんてないのでしょう。
泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり、挑んだり失敗したり成功したり・・・
さあ、明日もがんばろう!と思います!
そして・・・
慰霊の日に沖縄戦での戦没者の方々に、沖縄へむかって心で手を合わせます。