GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

国庫に納付

2010-05-04 21:19:30 | 交通
きょうは75kmほど離れたキエンザン省ラックザーまで交通違反の反則金納付のため出掛けました。昨日、Vi Thanhからの帰りにラックザーの町を回って帰ろうとしたのが大失敗。街中の片側2車線の道路で連休期間中の「速度違反」取締りにまんまと引っかかってしまいました。

他のバイクを多少追い抜き気味に走っていたことは事実ですが、ことさら目立つほどのスピードではなかったので何故呼び止められたのか分からずに「何でしょうか」?尋ねると「検査です。書類を出して下さい」と言うので免許証と登録証を出すと、「11km/hのスピードオーバー、ここにサインして」ということに。

いくら何でも51km/hも出していませんよ。と食い下がり、一通りの抵抗をしてみましたが、「君、サインしないんなら其処退いてよ。邪魔だから」と免許証と登録証を握ってしまえばこちらのものとばかり、相手にもされなくなってしまいました。

その間にも11km/hオーバーのバイクが次々に止まり、書類が作られて行きます。しかし、誰一人として抗議の声を上げる者はなく、皆さん気軽にサインに応じてました。

ここで粘ってもどうにもならないと思い、反則書類に目を落とすと5月6日に出頭しろとの文面。それまで免許証と登録証は没収だとか。その日を含め5日間バイクに乗れず、どうやってまたこのキエンザン省まで来れば良いのでしょう?

と尋ねると、じゃあ、明日でも良いから公安に出頭して反則金を納めれば書類を返却するし、バイクはきょうそのまま乗って行って構わないとのこと。今、反則金を納めることはできないのか、と聞くと「きょうは国庫(Kho bạc)が開いてないから駄目」。

そう言えば、新聞に反則金を国庫に納めず、省の警察レベルかその下でネコババしてしまう「違法」な取締りが問題になっていました。この警察の「違法取り締まり」を取り締まる部隊まで組織されているそうです。

そんなこともあり、この省では反則金は交通警官が徴収することをやめ、反則者が国庫に出向いて納付するシステムにしたのでしょうけど、省外の居住者にはエライ迷惑・面倒です。「行政手続きの簡素化」にも逆行するわけだし。

ラックザーの町で一泊し、翌日反則金を納付してからロンスエンに戻ろうかとも思いましたが、最低の気分で見知らぬ町に泊まるのはどうも気が進みません。一度ロンスエンに戻り、気分をリセットしてから翌日またラックザーに行くことにしました。

2時間かけてラックザーの公安の建物に着くと、書類を提出する窓口前の待合席は満杯。しかめ面の担当官が尚更不愉快な面持ちで応対してました。まるで75年直後にこの地に来た北部出身の警察官でも見てるような気分になります。30分ほど待つと窓口は婦人警察官に代わり、しかししかめっ面と横柄さは変わりません。折角ばっちり化粧をしているのに(似合ってはませんが)、その化粧は一体何のためなのでしょう。

ここで違反時に受け取った書類を提出し、代わりに国庫に納付するために書類を受け取り、次に国庫で納付を済ませたらその領収証を持って再びこの窓口に提出しなければなりません。待合席の同じ境遇の人々は然程不満な表情も見せずにいます。何で皆さんこんな時は恭順なんだろう、などとそれがまた不愉快に思えて来ます。

壁に貼られた違反の規定を読んで分かりました。昨日、何故皆が皆51km/h走行の書類にサインさせられていたのか。規定速度を5km超10kmまでの反則金が10万~20万ドンとの規定です。従って11kmオーバーの51kmなら25万ドン徴収できるとのことのよう。1km/h単位でスピード計測できるとも思えないし、そもそも計器自体が設置されて動作していたとは信じられません。

順番が来て名前を呼ばれたので「ハイ」と大きな声で返事をして立ち上げ利ました。名前を呼ばれてもここの社会では返事をする習慣がないらしく、少々目立ってしまいますが。するとしかめっ面の婦警さんが「日本人ですか?」などと声を掛け、信じられないほど親切に国庫への納付の仕方などを説明してくれました。「場所はこの先、橋を二本渡った所にあります。バイクタクシーで行けば大丈夫ですよ」。帰り際にもう一度呼び止められ「もう昼休みになりますから、納付は1時からですよ。国庫は」。そのぐらいのことは知ってるワイ、と思いましたが、ご親切には礼を述べました。






Vi Thanh 砂糖黍畑

2010-05-04 13:44:49 | 旅行
日曜日は一日中走り回っても結局砂糖黍畑は見つけられませんでした。一日中と言っても走行距離は120kmほど。限られた道を走ってもメコンデルタを知ることはできそうもなく、やはりボートに乗って縦横無尽に張り巡らされた水路を行くべきのようです。しかし、宝くじに当たってボートを一台買ったとしてもディーゼルエンジンの音は騒々しいし、速度もせいぜい20km/hほどでしかなく、長距離走行には向かないようです。

Long Myの町からも南に下ってみましたが所々に養殖池があり魚が飛び跳ねているのが他の景色とは異なる程度でした。この町で昨年11月に来た時に公園でcheを食べたのを思い出し、また食べたくなったので寄ってみました。木陰でcheを食べてると、昼過ぎの気温とは思えぬ涼しさでした。売店のオネイさんは昨年のことを覚えていたようで他の客に「この人、子供の物乞いが来て、パンを買うので5000ドン頂戴、というとバックからパンを取り出してそれを上げてたのよ、」などと面白がって喋っていました。

砂糖黍畑は見ることができなかったわけですが、田園風景にそこそこ癒され、それ以上に暑さに疲れ果てて日曜日が終わりました。

月曜の朝ホテルをチェックアウトし、市場近くの店で卵焼きサンドとコーヒーの朝食をとってからキエンザン方向からロンスエンに帰ることにしました。

カントー製糖工場の先に左折する道があり、製糖工場の近くには砂糖黍畑があるはず、と思いその道を進んでみました。すると10分も走らない内に道沿いに砂糖黍が植えられているのが見えました。

バイクを止め、じっくりと観察。砂糖黍は既に2mを超える高さに成長してますが、まだ幹は青く、町で売られているような紫色にはなっていませんでした。畑に足を踏み入れると、畑というよりは田圃のようで、池のようになった太い水路が畑部分を取り囲んでいます。植わっている土の部分は水面より一段高くなっているわけですが、水路の水の多さは、これほどまでに砂糖黍は水を必要とするものなのかと驚くほどでした。

その隣にはパイナップル畑があり、こちらも周囲を水に囲まれています。そしてその隣には田圃が広がっていました。焼け付くような熱帯の太陽と無数の水路、それがこの地の豊かな農業を作り出している、ということなんでしょうけど。

田圃の向こう側の林の上には白い見事な積乱雲が見えました。この綺麗な形の雲が鮮やかに見えるのはこの季節ならではです。


ニッパヤシの家

2010-05-03 23:51:57 | 旅行
Vi Thanhに着いた日は特に暑く感じられ、直ぐに砂糖黍畑を探しに出掛ける気力も失われて、ホテルの部屋でシャワーを浴び、水をたら腹飲んでエアコンと扇風機の風に当たっているうちに眠ってしまいました。夕方涼しくなってから外出し、国道沿いに位置するカントー製糖工場は直ぐにわかりましたが、砂糖黍畑はまるで見当がつきません。

地図には製糖工場の近くで国道61号線のバイパスの分岐があることになってしますが、実際にはそんな道路はなく、予定道路のようです。だいぶ薄暗くなって来たので、この当てにならない地図に頼るよりは、翌日一日時間もあることだからゆっくり省内を気ままに回ってみよう、ということにしました。

砂糖黍を作るより米を作った方が収入になるらしく、したがって米作に適さない場所に砂糖黍畑はある筈だから、カントー市の近くよりはバクリュウ省に近い南方向ではないか、と思って、翌日は南方向へ走ってみることにしました。

しかし、夥しい水路の数に比べ道路は悲しいほど限られた本数しかありません。南に向かう省道らしき道路は地図では3本だけ。しかも2本は途中で途切れてます。Nang Mauの町を右折する道路を行ってみることにしました。

道は次第に閑散とした地域に入って行きましたが、木立の向こう側に見えるのは主に水田で、ニッパヤシに覆われた薄暗い林の中を進んでも砂糖黍は見えません。細い道が幾つか分岐するようになり、折れてみようかとも思いましたが、帰りに迷うだけなのでひたすら水路沿いに直進しました。

しかし景色は変わらず、諦めて鳥の鳴声を聞き澄ましたり、蓮の葉の上に乗ったアヒル(?)の雛を眺めたり、その場を楽しむことにしました。橋の上からビデオを撮っていると、近くの家から「こっち来て水でも飲んで行けや」ってな声を掛けてもらったので、お邪魔して来ました。

木の柱はしっかりしてましたが、壁や屋根はニッパヤシで葺かれていて、床は土間。家の中には大きな籾摺り機が設置してありました。この機械は現役ですか?と聞きたくなるような風情がありました。「人に頼まれた時だけ動かすんだ」そうで、この日は稼動してませんでした。籾米がビッシリとはち切れんばかりに詰まった袋が何個も積み重ねて置いてありましたが。

6歳ぐらいの男の子と年頃の娘さんとご夫婦の4人家族でしたが、その上にもう1人子供があり、町で働いてるそうです。お嬢さんはとてもチャーミングでしたが、カメラを向けると逃げ出してしまい折角の器量を収めることはできませんでした。

その代わりに帰り際、猫がトカゲを捕まえてきて楽しませてくれました。工場の庭にいるトカゲと同じ種類のものでした。このトカゲ、走る姿が、かつて80年代だったかTVコマーシャルで見たエリマキトカゲに似ています。それだけに猫に食べられてしまうのは可愛そう、と思ってしまったわけですが、猫には猫の立場もあるだろうし。

子供の頃は素手で何度もトカゲを捕まえたことがあるので、猫にしてみればトカゲを捕まえることなど簡単であるに違いありません。食べるために捕まえたのか、それとも自慢するために家に持ち帰ったのかは知りませんが、全員が注目する中、突然トカゲが逃げ出しました。そして再度捕獲し、すると仔犬が寄ってきてパフォーマンスに参加しました。

向かいの家では二人の子供のお母さんがニッパヤシの葉を編んでいました。編むというより、ビニール紐を細く裂いた糸で葉を縫う作業です。この近所では何軒もが同じ作業をしていました。この葉は何年位持つものなのか尋ねてみたのですが、話はかみ合わず、一方的にペラペラ喋り捲られました。日本人なのでベトナム語は良く聞き取れないんですが・・・と言うと、「でも良いわよ、妹の亭主が台湾人なんだけと全然ベトナム語が分からないからって何時も母がこぼしてるんだから・・・」てな具合。

同じメコンデルタの省の中でもこのニッパヤシの家の生活と町の暮らしとではまるで別世界です。この落差は一体何なのでしょうか。農村の美徳が失われ、それとは断絶したところに成立しているベトナムの都市って感じもします。

この家は、ここに越して来て10年だそうで、籾摺り屋一家はまだ2年だそうです。農村への人口流入がメコンデルタでは今でも可能な社会ということかも知れません。

メコンの砂糖黍畑

2010-05-02 20:09:00 | 旅行
90年代まではベトナムの最大の砂糖黍生産地はメコンデルタでしたが、今はたぶんその半分位の作付け面積です。北中部のゲアン省やタインホア省などはその反対にこの10年間に急増。生産量も逆転してしまいました。

作付け面積が減ったとは言え、他の作物同様に単位面積当たりの収穫量はメコンデルタが圧倒してます。もっとも今年は、昨年の砂糖価格高騰を受けて、メコンデルタでもカユプチの林や果樹園を砂糖黍畑に変えている所が多い、などとも聞き、メコンデルタの砂糖黍畑を一度見ておこうと出掛けることにしました。

メコンデルタの砂糖黍生産地はハウザン省が最大です。先週もヴィータンの町には行ったので今回は違う道を通って行くことにしました。連休中なので国道は交通量も多そうだし、田園風景を眺めながら省道や農道を走ることにしました。

カントー市のO Monからキエンザン省のGiong Riengに抜けVi Thanhに至るルートが地図を見るとありそうでした。三叉路で迷っていたりすると、やはり連休中のためかホーチミン市のナンバーを付けたバイクが同じように地元の人に道を聞いていました。

地図を見ながら知らない道を走るということはないようで、迷ったら人に聞くのがここでは当たり前のことのようです。何故そうするのかを余り考えたことはありませんが、今回ようやく解りました。地図が当てにならないからです。

地図ではO Monから水路沿いにGiong Riengまで一本の線が引かれてるだけですが、実際は分岐する道が何本もあるわけです。今更ながらのことですが、今回も何時しか舗装路が砂利道に変わり、そして民家の軒先みたいな小道を走ることになり、したがって壊れかけたボロボロ橋を何本も渡ることになりました。要注意なのは県境というか省の境で、キエンザン省に入って暫くすると田圃道になり、遂に歩いてしか渡れない橋に出てしまいました。慌てて左に曲がる農道に折れたところ行き止まりで目の前は田圃。

気付くと水路の反対側にはバイクの通る道がありました。仕方なく引き返し、暫くするとバイクを一台乗せられるような手漕ぎの小舟があったので頼んで水路を渡ってもらいました。これまたどうしようもない悪路でしたが20km/hほどでは走れました。

やっとのことで初めての町Giong Riengに着きました。ところが何処か見覚えがあります。市場の近くでパンを買いコーヒーを飲んでると、昨年の「コメ祭り」でVi Thanhに行く時に寄った場所だと気付きました。その時は国道61号線を走ったつもりだったのですが。

Vi Thanhの町に着くと直ぐにハウザン省とキエンザン省の地図を買いました。キエンザン省の地図にはGiong RiengからVi Thanhへの道、今走って来た省道すら記載されていませんでした。

ロンスエンの4月30日

2010-05-01 00:33:38 | 天気
ゴソゴソと天井で物音が鳴り、エアコンの調子が悪いのかのような異音が雨音の始まりでした。次第に激しくトタン屋根を叩く雨音に変わり、ドアを開けて外を見ると、急な雨に家路を急ぐバイクがクラクションを鳴らしながら走っていました。

30分ほどすると雨音は再び遠ざかり、ゆっくりした雨だれ音がかすかに聞こえて来るだけになり、しかし空ではゴロゴロと雷鳴が響いています。まだ濡れたままの道路を、涼しくなった空気を楽しむかのうようにバイクが走りはじめました。

降りそうで降らない雨は、「暮れそうで暮れない黄昏時」よりもずっと辛い、などと思っていた雨がやっと降り、滞ってた懸案課題が解決したような、あるいは数日続いた便秘が治ったようなスッキリした気分になりました。雨で冷やされた地表の温度はたぶん1・2℃しか下がらないのでしょうが、この1・2℃の差が短距離走者の100分の1秒のように貴重です。

連休の初日、出掛けるつもりでしたが、カフェに朝のコーヒーを飲みに行った後、部屋に戻って洗濯を済ませ、着替えをしてると既に全身がベタベタ汗ばんでいました。10時を過ぎて陽も高く、気が変わって、「出掛けるなら早朝」にすべきと思い直しました。

午後からは、エアコンの冷えた空気の中でのんびりと、ベトナムの歴史書を辞書を引きながら読み始めてみると、これが思いのほか脳細胞には負担だったようで、1時間もしない間に炎天下をバイクで走った後のように疲れてベッドに横たわり、そのまま夕方まで数時間眠り続けてしまいました。

夕食にも出掛けないまま夜になり、10時を過ぎると打ち上げ花火の音が聞こえます。ドアを開けても隣の建物に遮られ花火は見えません。そう言えば、ロアンさんのお父さんはこのロンスエンの花火師だったと聞きましたが、たぶんだいぶ昔のことだったのだと思います。

テレビではモノクロ映画が上映されてました。観るに耐えない最近のテレビドラマが多い中で、かつてのモノクロ映画はまるで別世界です。少なくてもベトナム映画の世界では、市場経済化の進行が質の低下をもたらしていると感じます。2010年のベトナムには魅力的な何物もない、などとも思いつつ。

英語の字幕が付いた映画は、「10月になれば」のようでした。来週サイゴンに戻った時に古いベトナム映画のDVDを探してみようと思います。