76号線をサェンモノロムの町から北に2時間ばかり進むとイスラムのモスクが幾つか見えました。ベトナム中部のチャンパの人々やメコンデルタのクメール人は先住民族との観念があるためか、モンドルキリの開拓地にチャンパの人々が暮しているということは想像外のことでした。
建設中のモスクもあったので最近移住した人々によるものなのかも知れません。
土手の上に一軒だけ離れて建てられた家があり、バナナの木が垣根のように植えられていました。どこか落ち着いた雰囲気のある農家だったので庭を見せて貰うことに。
高床式の家の下でハンモッグにまだ幼い男の子が寝ているだけで大人の姿が見えず、どうやって声を掛けようかと迷ってウロチョロしてると畑から犬が姿を見せ、目一杯吠えられてしまいました。
庭には大豆が干してあり、家の横や裏にはかなりの広さの畑が広がっていました。
家は高床式ではあるもの然程高くはなく、また板もカンボジアでは縦に張る家が多いのにこの家は横に張っていて違和感なく、その場にいるだけで落ち着くものがありました。
この地に移住して来て40年になるそうです。と言っても、この女性は40才前のようでしたが。今でも人家は疎らな土地なわけで、40年前だったらさぞかし、と思えるものがあります。40年前というと1972年。1970年にロンノルのクーデターで内戦状態となり、戦火を逃れて移住してきたのでしょうか。
標高が低くなるに連れて人家も少なくなりました。これまでは30分も走れば店もあったわけですが、家を見ることもなくなり、それでも50分ほど走り続けました。
標高が低くなったことは気温や空気の感じでわかりました。
バイクを止めると野鳥の鳴き声しか聞こえません。
携帯電話を取り出して、グーグルマップで位置を確認しようとしたところ、電波が届いてません。で、ちょっと臆病風に吹かれました。町を出てから4時間が過ぎているので、そろそろ引き返さないと日が暮れるかも。
ラタナキリとの州堺まで後どの位の所に来ているのかが気になりましたが、デジカメのGPSで緯度経度は分かっても地図に記されてないのでどうにもなりません。この先走り続けても林が延々と続いているだけとしか思えない景色なので引き返すことにしました。
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