常識について思うこと

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詐欺に遭っても

2009年08月26日 | 人生

とある都内のコーヒーショップで、お年寄りを相手に楽しそうに話をしている男性をみかけました。どうも話の内容は、「遺伝子は体の設計図。これを20代のものに書き換える技術があって、これで若返る。こういうのをビジネスチャンスと言うんだ。すごいでしょ?」といった感じのものでした。

お年寄りの方は、一応、熱心に聞いている様子で、時折、「すごいねぇ」等と相槌を打っていました。本当のところ、そのお年寄りが「すごい」と思っているのかどうかは分かりません。ただ、もし本当にその技術を信じて、「すごい」と思っているのなら、それは甘いと言わざるを得ませんし、それで何かしらの詐欺行為に遭って、金銭的な被害を受けたとしても、自省していただくしかないということになるだろうと思います。

話をしている男性は、時折、「サイエンス」やら「ニュートン」といったような雑誌の名前を挙げて、そうした専門誌でも取り上げられている画期的な技術であると言うのですが、それはきっと嘘でしょう。確認もせずに、こんなかたちで断じるのは、あまり良いことではありませんが、そんな世界を揺るがすような技術が、都内の一般的過ぎるコーヒーショップの片隅で、ビジネス案件として話されるというのは、現代社会の仕組みの中ではあり得ないと言うほかありません。

詐欺というのは、けっして許されるべきものではなく、それ自体が正当化されてはならないと思います。ただし、詐欺が起こったときに、詐欺行為を働いた者はもちろんのことですが、それに引っかかってしまった方々にも、何かしらの問題があると考えなければならないこともあるだろうと考えます。

そもそも詐欺は、人間の欲や弱みに付け込んでこそ成立するものです。逆の言い方をすれば、無欲の人は、詐欺に引っかかりようがないわけです。詐欺に引っかかるというのは、何らかの欲をかいた結果であり、そこに自分の未熟さがあったことを認めなければならないケースが、多々あると思います。

冒頭の話を例に取れば、「若さ」というのは、万人が欲しがるものなのかもしれません。そうであるが故に、その男性は、そこに付け込んでいる可能性があります。しかし、そうした話を聞いた人にとっては、そもそも自分が「若さ」を手にするだけの生き方をしてきたのか、それに値する人生を送ってきたのかについて、自ら質すことの方がより重要であると言えます。「若さ」という人生全体の基本軸を覆すような、大変な概念を考えようというときに、これまでの自分の人生を顧みずして、ただそればかりを欲するというのは、思慮に欠けると言わざるを得ないと思うのです。

-欲すれば失い、手放せば得られる-

「若さ」を手に入れるためには、むしろ「若さ」に対して意識しないくらいの方が、実はいいのかもしれません(「年老いない秘訣」参照)。

また、今回のケースでは、お年寄りに対して話していた男性の口から、「ビジネスチャンス」という言葉も出ていましたから、もしかすると「お金」の欲望にも、目を付けられている可能性があります。こうしたシーンで、被害に遭わないようにするためには、「お金」の本質に対しても、十分に考えておく必要があるでしょう(「報酬は感謝・感動の証」等参照)。

詐欺には遭わないことが何よりですが、人間に欲がある以上、それを根っこから絶つというのは非常に難しいことなのでしょう。従って、万が一詐欺に引っかかってしまった場合には、せめてそれによって蒙った被害を、自らの未熟さに気付くための授業料だと割り切り、被害者意識を引きずらずにいられたらと思います。そうやって、詐欺被害の体験すらも、ポジティブに活かしていくことができれば、その人の未来はどんどん開けていくように思うのです。

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