常識について思うこと

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会社は誰のものか

2008年02月26日 | 社会

「会社は誰のものか」という議論があります。いろいろな人々が、それぞれの持論を展開しているようですが、私は、会社は株主のものでもあり、顧客のものでもあり、従業員及び経営者のものでもあると捉えるべきであると思います。「いやいや。それら三者のうち、誰のものかという議論なのだ」という意見もあるかもしれません。しかし、そういう議論をしているうちは、真の答えは見えないのではないかと思うのです。会社は、これら全員のものであると言うべきであると考えます。

先日、ある方とお話をさせているなかで、これからの社会は資本主義でありながら、市場主義の要素を組み合わせていかなければならないということを聞かされました。私は、その通りだと思います。いや、もっと踏み込んでいうならば、単に組み合わせではなく、資本主義と市場主義を融合させていかなければならないと考えています。組み合わせというのは、非常に曖昧な表現になる可能性があります。資本主義と市場主義を組み合わせるとなると、「はてさて、結局はどっちなのだ?」という疑問を抱かせてしまい兼ねません。右を立てれば左が立たず、左を立てれば右が立たないという印象を与えてしまう可能性もありますし、組み合わせている以上、「どっちが大きいか?あるいは重要か?」という疑念を残してしまうこともあり得ます。私は組み合わせではなく、資本主義と市場主義を融合させ、両者の境界線を取り払って、まったく別の概念を生み出すような発想が必要ではないかと考えます(後述のとおり、それこそが「会社」の役割であると考えます)。

現代社会は、資本主義で動いています。それぞれの企業は、収益を目的とした営利活動を展開し、それをいかに大きくするかということに対して、常に最大限の努力を払っています。資本主義では、一定のルールを定めておき、それに基づいて投下した資本を増やし、回収していくという行為を積み重ねていくのです。こうした行為の積み重ねによって、社会は大きく発展し、人々の生活は豊かになってきたわけです。

しかし同時に、資本主義による弊害も顕在化してきているように思います。利益第一主義は、企業(あるいは業界)の都合によるモノやサービスを提供させてしまったり、金融手法に大きく頼ったビジネスが横行してしまったりという副作用を引き起こしてきているように思うのです。このまま何の方策もなければ、利益第一主義に振り回された市場は疲弊し、一時的には潤っているような企業でも、その収益性は次第に落ちていき、最終的には企業破綻、業界破綻といった結果を招くようなことが予見されます。

また一方で、現代社会は市場主義で動いていると言うこともできます。それぞれの企業は、常に市場のニーズを汲み取りながらモノやサービスを開発し、それを社会に提供することで、収益を得ているわけです。これにより、私たちは常に便利なモノやサービスの提供を受けることができ、不自由のない生活を送れるようになってきました。そうした意味で、主役は常に市場であり、顧客である私たちになるわけです。

けれども、最近では市場主義による弊害も目立つようになってきたように思います。市場が望んでいること、顧客やユーザーが楽しいと思うことばかりを実現しようとすると、さまざまな違法行為が横行するようになります。このブログのなかで、たびたび触れているコンテンツの違法コピーや著作権侵害などは、その典型とも言えるものであり、著作権や商標権等を無視したさまざまな社会現象は、市場主義の弊害であろうと思います。こうしたことは、以前からもあったことですが、情報通信技術の発達等、近年の技術革新により、この流れはますます加速化し、とんでもない勢いで拡大していくのではないかと考えます。これを野放しにしておけば、さまざまな違法行為を重ねるような人々ばかりが得をして、ルールを無視した抜け駆けが横行するようになり、社会の秩序は大きく乱れる結果となるでしょう。

私は、上記のような問題が、日々深刻化しているように思いますし、これらはいずれ本当の限界を迎えることになると考えています。

ここで「会社は誰のものか」の議論に立ち返ります。

資本主義の観点から捉えるならば、会社は株主のものと考えるべきでしょう。会社が成り立っているのは、株主のおかげであり、会社の本質がその出資者たちに宿るというのであれば、会社は株主のものであると断ずる必要があります。

いや、市場主義の発想で考えるべきだというならば、会社は顧客のものであると答えるべきです。会社は常に顧客のための意思決定をしなければならず、そのためにあらゆる方策を講じる会社は、顧客のものであると考える必要があるでしょう。

しかし上述の通り、資本主義にしても、市場主義にしても、今のままではまともに機能しなくなることが予見されますし、そうした危機感を持つことが大切です。そういう状況にあって出すべき答え、あるいは採るべき方策は明確です。それは、資本主義と市場主義の両方を取り入れながら、新しい「会社」を作っていくということです。けっして両方を否定するのではありません。両方を肯定しながら、新しい仕組みづくりを考えるということが、これからの会社に求められるということだと思うのです。これは非常に大変なことですが、十分に可能なことでもあります。

そして、こうした課題を解いていくのが、会社の経営者であり従業員になります。これからの会社では、こうした資本主義や株主の視点、市場主義や顧客の視点の両方を「会社」という器のなかできちんと結び付け、融合させていくことが重要であると考えます。その意味で、会社における本質は「株主」であり、「顧客」であり、またそれらを繋ぎ合わせていく「従業員や経営者」でもあると言えるのではないかと思うわけです。

ところで、このことは実に当たり前のことであるとも言えます。何も今に始まったことではありません。社会制度や技術が高度に発達してしまったことによって、「資本主義」を深堀りし、「市場主義」が深く浸透していくなかで、忘れられがちになっている「会社」の本質を見直して、整理しているに過ぎないと思います。

資本主義とは何か?このままで大丈夫なのか?市場の位置づけはどうなのか?いろいろな疑問が生じている時代だからこそ、今一度、こうした問題を見直し、各人がきちんとした結論を出していくことが大切なのでしょう。

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