常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

クリスマスシーズンを迎えて

2006年12月14日 | 宗教

クリスマスシーズンを迎えて、夜の街並みがずいぶんと華やかになってきました。クリスマスに始まる年末年始の雰囲気は、一年を通じても格別のものがあるように思われます。キリスト教信者が多いわけでもないこの国で、一年の間で最も盛り上がるイベントのひとつがクリスマスであるということは、日本人には、広くいろいろな文化や価値観を受け入れる度量があるということを端的に証明しているといってよいのではないでしょうか。(「「No」と言えないことへの誇り」参照)

現代社会は競争ルールによって成り立っており人間、企業、国家、民族、宗教同士のエゴがぶつかり合う力で、もはや地球を破壊しつつあると思います。こうした人類にとって、相手を受け入れる日本人の感性や度量は、これから人類が地球に住み続けられるようになるために、非常に重要になってくると思われてなりません。

それでは、エゴを捨てさえすればよいのでしょうか。
「個は全体のためにある。エゴを捨てよ。見返りを期待するな。無条件の愛、無償の愛を捧げよ。」

しかし、エゴを究極的に捨てていくと、個の存在価値は全体のなかでしかなくなります。その結果、イエス・キリストのように、自分自身を投げ出して、結局は殺されてしまうという悲劇を生んでしまうというのが人類の歴史でした。

キリスト教では、イエスがパンを自らの肉であり、ワインを自らの血であると言い、弟子たちに、自分の死後これらを食べろと言ったといい、聖餐式(ミサ)ではパンとワインを食すということを続けているといいます。それらを食すことによって、そのときのイエスの悲痛な覚悟を、思い起こさせるのだというのが、キリスト教徒の方々の考えのようですが、私自身、こうすることが、本当にイエスが望むことなのか甚だ疑問でなりません。

イエスは、自分の血肉を食されても構わない。それでも、あなたたちを愛するという覚悟をもって、エゴを捨てきり、十字架にかけられたのでしょう。彼がパンやワインを自分の血肉と思って食せと言った裏には、究極的にエゴを捨て去った彼の偉大な決意があったのだろうと思います。しかし、これをそのまま鵜呑みにしていては、人間が考える力をもたない、愚か者であるということになってしまいます。これまでの人類の過ちは、そうした彼の決意に甘んじていたことではないかと考えるのです。つまり、「彼が食せと言ったから喰らうのである」と言っているだけで、ここには何の思考も働いていません。これが、本当に今を生きる我々のすべきことなのでしょうか。

否。彼はそれだけの決意をもって、エゴを捨てきり、人類を愛したのです。そんな人間が殺されるような世の中、社会は間違っているのであり、彼のような人間が、殺されないような世界にするにはどうするべきでしょうか。それは、今を生きる人間ひとりひとりが、彼のような決意をもって、変わらなければならないということだと思うのです。

よく考えていただきたいのです。本当に敬虔なキリスト教徒という方がいらっしゃるのであれば、そんな人こそ、彼の真意をよくよく考えていただく必要があると思います。私のような無宗教の人間が、イエスの真意を真剣に探っているのです。勇気を出して、彼が何を考えていたのか、自分が何をすべきなのかを、思考停止を起こさずにきちんと考えるべきだと思います。

私は、当時イエスは死を目の前にして、絶対に口にはしなかったけれども、心の中で叫び続けていたことがあるのだと思います。

「私は、血肉をあなたたちに捧げます。それだけ、あなたたちを愛します。」

そのあとに、本当は続けたかった言葉。
「そして、あなたたちは何をしますか?」

見返りや求めることをしない、無償の愛を説くからこそ、言えなかった一言です。イエスが言葉を使って問いかけることができなかった、この問いに対しては、今を生きる人間ひとりひとりが、自問自答しながら、答えをみつけていかなければならないことです。

私は、本当にイエスのことを理解するならば、そんな彼の壮絶な思いを胸に刻み込み、自分たちも自らの血肉を捧げる決意ができると思います。そして教会では、イエスの血肉であるパンとワインを食すのではなく、自らの血肉を捧げる決意があることを表す意味で、例えばパンと肉を持ち寄るようにする、といった工夫をすべきです。その決意の表明こそ、イエスの本当の願いに応える行為であり、彼の死に最も報いるかたちなのではないかと考えます。

クリスマスのイルミネーションを眺めながら、彼が生きたことへの意味を探り、自分たちのこれからの生き方について、きちんと考えていかなければならないと思うのでした。

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