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大統領のお辞儀

2009年11月23日 | 社会

アメリカのオバマ大統領が、天皇に対して深々とお辞儀をしたということで、軽く話題になりました。

かつての戦勝国でもあり、今日においても世界の覇権国を自負するアメリカの価値観からすると、とんでもないことであることは理解できます。したがって、アメリカ国内におけるオバマ大統領に対する批判も分からないではありません。

しかし、これまでのアメリカ的価値観が限界に近づいていることは、やはり間違いないでしょう。そして、そうした流れのなかで、相手に対して敬意を表する意味でのお辞儀の文化や精神は、むしろこれからの新しい時代において、アメリカが積極的に学んでいかなければならないことではないかと思うのです。

もし、アメリカの方々が、お辞儀に対して、自分を落としめる卑屈な行為と捉えているとするのなら、それは大いに的外れです。このことは、日本人同士であれば、説明なしに極めて簡単に理解できることでしょう。むしろ相手に対して敬意を表するお辞儀は、その人の礼節をわきまえた人間性や、相手をきちんと受け入れることができる度量を示すという意味で、非常に立派な行為であると考えるべきです。

これから先、アメリカはこれまでの時代を振り返り、イスラム世界や中東地域にあるような反米思想、それを生み出してしまっている自国の限界に対して、どのように向き合っていくべきかについて、真剣に考えなければいけません。戦争や武力による平和維持の継続には、多大な犠牲とコスト負担を伴います。これまでのアメリカの手法によって、世界の秩序が保たれるのであれば、それに越したことはありませんが、あらゆる資源は有限であり、これまでのアメリカ的手法では、世界の秩序を保ち続けられないことは、既に明白であろうと思うのです。アメリカの方々には、もっと積極的に相手を受け入れることを示す努力が必要になってくると思われます。こうした現状のなか、アメリカが学ぶべきヒントは、相手への敬意をきちんと身をもって表すお辞儀の文化、あるいは精神に隠されていると思えてなりません。

もちろん、学ぶのはご本人たちですから、これをアメリカの方々に無理強いするわけにもいきません。何事も学ぶには、本人たちの自主性が求められます。ただ私は、一人の日本人として、かつての近代国家誕生以降、常に学ぶ対象であったアメリカという国に対して、せめてもの恩返しの意味で、日本の側から学ぶべきものがあることを伝えておきたいと思うのです(「脱亜入欧の終焉」参照)。そしてまた一方で、今回、アメリカのトップである大統領が、日本において、深々とお辞儀をされていたというのは、アメリカに新しい時代が到来したことを感じさせるものであり、大いに歓迎したいと思います。

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