Twitterをやっていて、面白いと思うことは、普段、なかなか目にしないような価値観や考え方について、他人のつぶやきから感じ取ることができる点です。
親バカというのも、そのひとつです。少なくとも、私の場合、普段の生活をしていて、あまり親バカぶりをさらけ出すという人には会いませんが、Twitterの中には、四六時中、子供のことを考えて、それについてつぶやいてばかりいるような方もいらっしゃるわけです。
私は、子供の愛し方にはいろいろあって然るべきだと思うので、それ自体に関して、とやかく言うつもりはありません。ただし、こうした諸々の変化が激しく、社会的に不安定要素が満ち溢れるような時代にあっては、その愛しい子供を守るのに、相当の覚悟と実行力が求められるということも、また事実だろうと思います。
これまでの私の人生において、いくつか転機と呼べる時がありました。そのうちのひとつが、5年ほど前に子供を抱いている時でした。当たり前のことながら、自分の子供はとても可愛く、その瞬間の幸福感というのは、言い知れぬものだといって良いと思います。一方で、その子を抱きながら、テレビを見ていると、暗いニュースの数々が放送されており、社会の行く末に暗澹たる気持ちになっていくのです。そこで思ったことは、その瞬間、自分が胸に抱いている子供のことでした。
-将来この子は、今の自分と同じように子供を抱く幸せを感じられるだろうか?-
国の財政問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題・・・。どれをとっても30年、60年の単位で考えた時、この子が大変なことになると思えてなりませんでした。もちろん、その時の自分にできることは、大変限られていますが、それでもできることはたくさんあると思うほかありませんでした。
-この子たちの世代に、将来の希望を残してバトンタッチするのが親の仕事だ-
子供を愛し、子供を守るということには、いろいろなかたちがあろうかと思います。常に彼らの傍らに寄り添って、十分な愛情を注げることができるのであれば、それに越したことはありません。しかし、それだけでは、子供たちの将来を守ることができないかもしれない時代、しばし子供から離れることがあっても、やるべき事をやる覚悟と実行力が求められるのではないかと思うのです。
親から子供へのバトンタッチというのは、きっとそういうものなのでしょう。おそらく、歴史とは、そうした世代交代を繰り返しながら成り立っているのであり、私自身、そういう繋がりの中に存在しているのだろうと思います。
いずれにせよ、そんなことを踏まえつつ、今、親をやっている方々にとっては、これからが頑張り時だと思うのです。
《おまけ》
「北斗の拳」のケンシロウにとって、ラオウとの決戦までの間、リンとバットはただ守るだけの対象でした。しかし、ラオウとの戦いの後、リンやバットと再会したケンシロウは、彼らを共に戦う仲間として受け入れました。
今、私にとっての子供たちは、ラオウ決戦前のリンとバットなのです。彼らに望むことは、ただ生き延びてくれること、そして自分がやるべき事は、彼らに希望を繋ぐことです。彼らを守り抜き、希望を繋ぎ、共に地球の未来を切り拓くための戦いができるようになった時、私は彼らに堂々と言えるようになるでしょう。
「ここまではパパが頑張ったんだから、あとはお前たちも頑張ってみろ」ってね。
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