常識について思うこと

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凄くない治世者の厳重警護

2010年11月16日 | 社会

先日、横浜で開催されたAPEC、警備体制が大変のようでした。私は、直接、検問等を受けることはありませんでしたが、周辺の高速道路等で、そのピリピリした雰囲気を感じ取っていました。

ところで今回、各国首脳といった「凄い人たち」が集まったから警護が凄かったとみるべきかについては極めて疑問です。少なくとも、私はそうではないと思っています。

仮に、各国政府首脳が治世者だとして、この人たちを護衛しないといけないというのは、世界がうまく治まっていない、彼らに害を及ぼしたいと思う人たちがたくさんいるということで、そうした問題が山積しているということでもあります。

領土、紛争、宗教、貧困・・・国家の枠組みだけでは、解決しない問題があるのも事実でしょう。しかし一方で、国家が背負ってきた歴史を含めて、国家首脳たる治世者たちに責任があることも間違いありません。即ち、警護を厳重にせざるを得ないということは、それだけ治世者が治世者として無能であるということでもあると言えるわけです。つまり、「凄い人たち」ではないということです。真に凄い治世者であれば、世はよく治まり、物々しい警護なんて必要ないはずです。

もちろん、現時点では、いろいろと仕方がないところもあると思います。一般的な見方として、今日の世界で、治世者たちの警護を厳重にせざるを得ない状況、十分に理解します。有権者の一人として、そんな「凄くない治世者」を許してしまっている責任も感じます。

しかし、その現状に甘んじていてはいけません。

これから先の世界は、大きく変わるでしょう。それは、もっと究極的な姿に変化していくのだろうと思います(「性善説と性悪説の決着」等参照)。その未来における治世者たちの姿、警備のあり方というのは、横浜でみられたそれと、だいぶ異なるような気がするのでした。

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