ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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あなたも大事な一人

2008-06-14 | 育児
 問題行動を起こす子が学級にいるとき、どんな気持ちでその子と接しているだろう。もし、「この子がいなければ、どれ程楽だろう。」と考えていればそれは不幸な事。(人権感覚に問題があることは当然である)
 問題行動が起きるには、それなりの原因がある。その原因を探って背景となる課題を発見し、その課題解決の努力をすることで今以上の学級を築くことができる。問題が起きたときは、その課題発見の大切な機会なのだ。問題行動を起こす子は、それを知らせてくれる大事な子である。問題行動にきちんと向き合ってじっくり考えない限り、本当に解決しなければならない問題は見えてこない。目の前の問題を対処療法的に解決しても根本的な問題が解決されない以上、また別の形で新たな問題が発生する。だから、問題行動を起こす子を排斥しても意味がない。
 問題行動を起こす裏にどんな課題が隠れているのかを見抜くことが大事。
・仲間関係を密にする経営をしているだろうか。
・子どもとの人間関係を築く働きかけをしているだろうか。
・親子関係を改善する働きかけをしているだろうか。
・子どもから信頼される言動をしているだろうか。
・よりよい生き方ができるように子どもたちを導いているだろうか。
・本気で子どもと向き合っているだろうか。
・新たな知恵を生み出す努力をしているだろうか。
・夢や希望を与え続けているだろうか。
 子どもに責任を転嫁しても課題解決にはならない。
今の世の中を見ていても教育と同じように感じることが多い。
刃物を使った犯罪が起これば、刃物の規制が強化される。これで犯罪が減るとは思わない。その裏にあるもっと大事な問題を解決できなれば、また別の形で犯罪は出現する。一体何が問題なのだろう。(教育しか社会を変えることはできない。)
 大事な子どもから出てくるサインを真摯に受け止め、本質を見抜き、問題解決に当たる自分でいたい。


1 コメント

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横超 (zazen256)
2008-06-15 03:54:40
 親鸞聖人は「横超」ということばで教えられています。つまり時々は、世の中の流れに流されている自分を横から眺めなさい、というような意味であると私は解釈しています。
 この言葉は社会的にも適用できると思います。
 つまり、日本経済をグローバル化しなければならないからといって教育問題までもその流れに追従させてしまってはいないかどうか、日本に教育哲学というものを根付かせるためには何が必要か、というようなことを考えるべきであると思います。これは何処でとか誰に考えて欲しいという問題ではないと思います。
 社会全体の流れのなかに教育哲学を根付かせてほしいものと期待しています。

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