ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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本質が見える

2010-09-26 | 育児
 私たちは、子どもに生きて働く力を身につけさせたいと常に願って、指導しています。
 この生きて働く力というのは、物事の本質をとらえたものでなければなりません。
 形だけになっていると、場が変わったり、条件が違ったりすると通用しなくなります。すると、一つ一つ、場に応じた形を教えることになり、教えることがどんどん増えていきます。
 しかし、本質を教えたとすれば、それは、場が変わったり、条件が違っても変わらないため、同じ事を教えるだけになります。場や条件に合った形は、子ども自身が考えることによって創造されるはずです。
 このことを考えると、本当ならば、子ども自身が考えて生み出すところを私たちが、教えてしまい、子ども自身の考える機会を奪っていることがないだろうかと反省させられます。
・時間がないからといって、つい教えてしまうことはないでしょうか。
・これは、子どもでは考えられないからといって、つい教えてしまうことはないでしょうか。
・教えた方が効率がよいといって、つい教えてしまうことはないでしょうか。
 私たちは、子どもたちを信じて、じっくり待てなくなっているように思います。
 本質は、それほど多くありません。
 その本質をつかんでいないから、教えることが多いように勘違いしているのではないでしょうか。
・本質を極める教材研究をしているでしょうか。
・子どものもっている本質を探ろうと常に探求し続けているでしょうか。
・集団の本質を見抜き、鍛え続ける経営をしているでしょうか。
 子どもの姿を力で変えることは、簡単です。しかし、子どもが喜んで姿を変えようとする力を身につけさせることは容易ではありません。
 これには、教師がいかに本質を見抜く力をもっているかどうかにかかっているのです。
 「先生、どうするの?」と尋ねてくる子どもに「このことがわかっているのならば、あなた自身で考えることができるはずだよ。」と言い返し、自分で考えて創り出した時、「それで、いいんだよ。」と認め励ましている私でしょうか。
 それとも一つ一つ丁寧に「それは、こうするのだよ。」と教えている私なのでしょうか。
 知らないからできないというのならば、知る必要があります。気づかないでいるのならば、気づく必要があります。本質かどうかは、子どもの反応を見るしかありません。
 これは、年齢に関係はありません。高学年だから、本質を教え、低学年だから形を教えればよいというものではないのです。常に本質を見極め教える教師でなければなりません。
 低学年の子どもは体験が少ない分、繰り返しが多くなるだけです。逆に低学年程柔軟であるから、本質を大切にした方が、応用がきくはずなのです。
 私たちは、自ら動き出せる子どもに育てているだろうか、子どもの反応を見ながら本質を見抜いているだろうか、探り続けたいと思います。この取り組みが実践者としての教師だと思います。


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