雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

格差

2007-03-29 21:53:39 | 時事
昨年秋に内閣府から出た「世界の潮流」では、2007年の経済は減速傾向で、全体では伸び悩み状態にある。最近は「格差」という言葉も聞かれ、猪瀬さんがどこかでこれを多様ととらえようとしていたが、僕はそうは思わない。先がみえない状態で混迷し、多種多様に手を伸ばしているから多様にみえるのだと思う。だから竹中さんがいうように、今は何をどうやってもという選択肢があるが、どれも堅実で成長率があるとは思えない。

そしてその大きな要因は、なんやかんや米中それぞれのなかでの格差だと思う。日本の景気は、それらにどうしても引きずられて、着陸地点を決めざるを得ない。これまでEUやロシアとのいろいろな交渉がほとんどものわかれに終っているからである。

というわけで中国の格差をGallup世論調査から。

13億といわれる人口のうち、都会と田舎でずいぶん人口比がわかれていることは周知だが、5億6千万人が都会で、7億4500万人が田舎である。この都会化は近年のもので、かなり比率は高い。以前触れたときは、3割ほどだとレポートしたと思う。

結局中国の場合、都会と田舎、都会の中でのRich、Poor 層という見方だったが、今回の調査で明らかになったのは、田舎でも格差が出てきたということ。例えば、2006年での都会の平均給与が、28,748 RMB、2004年からみて4,000 RMBアップ、田舎では大体3,300 RMBアップとなっているが、中国の田舎は大体1000RMBアップがここ15年くらいの傾向だったから、田舎に工場進出などが著しい模様がうかがえる。

中国の都会での格差はこれまでどおり開いている。高給取りの上位20%が、2004-6年の間で40%増、低所得者の下から20%は約27%増とのことである。中国は第11次5ヵ年計画に入っており、今のところそれなりだと感じているが、いかが?

ただし中国にはいろんな問題があることも事実。例えばNY Times によれば、中国は、2005年から15年の間に高齢者の総人口に占める割合が倍になる。現在の定年は女性50、男性55だが、システムの変更は必至。なんといっても前世紀からの数字しか見てないが、高齢者がこんなに多い社会を経験したことがない(2050年には3分の1が高齢者)。また、男の人数も少ない(「Feminism とPostmodern 4」参照)し、システム安定を求められてる金融もアメリカともめそうだし(Washingtonpost)。

続いてUSAを NY Times から。

同記事によると、この国は、相変わらずのことだが、2005年度の儲けは全部Top1%がかっさらっている。年収348,000ドルで、1928年以来ではShare 率は最も高い。アメリカの50%以下のひととの給与差は、440倍である(1980年の時点からみて倍になってる)。

そして上位10%が年収100,000ドルで、これも大恐慌以来の富のShare率の高さ。一方これ以外の90%のひとは、金額で、$172、0.6 %マイナス。

Top 1%のひとは何で儲けているかというと、ほとんど株と投資。前年度より、$139,000アップの14%増。

関連してるかもしれない記事:「実存主義者中国」、「中国経済」、「くるま」、「Coke」、「アメリカ保守2」、「Emission Trade」、「」、「虎視眈々」、「室町ふたたび2」、「China は脅威か」、「同じ穴のムジナ」、「油断大敵」、「室町ふたたび3」、「Cotton Kingdom」。

St. Patrick

2007-03-28 19:01:59 | 歴史
加護ちゃんに解雇通告!密会旅行と喫煙疑惑…このまま引退(サンケイスポーツ) - goo ニュース

「加護」といっても誰の「ご加護」もなかったのだな、と思った。

ところで前回のホリエモン同様「加護ちゃん」を弁護する気は全くないが、未成年者喫煙禁止法では未成年喫煙者には罰則がない(販売者とそのまわりにいた成人が50万円以下の罰金)。

それからUKの法律では、16歳から喫煙可能で、近く18歳に引き上げられる。

何がいいたいかというと、法律に書いてあるから、という説明は説得力がない、といいたい。

犯罪が起きるたびに同じことを書くのは嫌なのだが、法律依存は本当にいけないことをみえなくするような気がする。

さて、前回が 「Swift」 で今回が「ご加護」とくれば、Ireland のSt. Patrick(17日のSt. Patrick Day についてはParanoid Policy の追伸で触れました)を思い出す。

St. Patrick はIreland にChristianity を伝えたひとで、蛇と有毒蜘蛛をIreland から追放したといわれる聖人。だからアイルランドの木々で出来た建築物には蜘蛛がいないともいわれるから「ご加護」、それからSwift は、Dublin にあるSt. Patrick Church のDean をしていた。

Queen Ann がなくなったあと、結構政治的には見境なく、Tory、Whig 両方に顔を出していたSwift は、ちょっとした問題のあおりをくらって、England にいられなくなったのだ。

そしてIreland でいわゆるIrish Tracts というEngland による一方的な数々の仕打ちに反対する政治パンフレットを書いて(「審査法」に抗議するやつとか、貨幣の質を落とす案への反対とか)、Ireland の英雄となったわけである。

St. Patrick Day のパレードの模様はここでみられるが、そこここでいろんな形でお祝いがなされているらしい。

民主主義という宗教」にも書いたがとにかくイギリス系移民では最も多かっただけに、たくさんいる。

ただBostonglobe によると、Ireland というと、どうもイメージが両極端らしい。Swift も抗議していたように、Ethnicity というイメージもあれば、Joe MacCarthy のような極右もいるというわけだ(僕の場合、Donna J. Haraway がIrishだからなんとなく左のイメージだった)。

ただ同記事によれば、いろいろな人種との miscegenation (あまりいい言葉ではない)もあり、本当に多彩で、むしろIreland の祭なら、その多様さこそ誇るべきだと、ある大学で、Irish America at the Crossroads というフレーズもつくられたらしい。

もともとSt. Patrick は、Palladius and Patrickのふたりがいてこのふたりが伝説のなかで一緒になったものだという説もあったなぁと思い出したくなる話である。

それから合体といえば、Bostonglobeに、Belfast での信じられない合体が報じられている。

Ireland の独立を主張してきたSinn Fein 党と、Unionist が協力するというのだ。しかも調印したのが、宿命の仇、Ian Paisleyと Gerry Adams。

Dice-K Fever

2007-03-27 20:44:16 | 将棋・スポーツ
松坂会見拒否…米メディア「故障か」一時騒然(夕刊フジ) - goo ニュース

Bostonglobe でのほぼ同じ記事

読んでもらえばわかるように、松坂がオープン戦後の会見拒否で大騒ぎ。毎イニング、四球を出すなど、流れを悪くしたのが原因とみられるが、とにかく文章から騒然さを感じた。次の試合が土曜日のフィリーズ戦(Philadelphia)まで40-60球投げる予定だが、それまでみな気が気でないらしい。

「どうしてそこまで?」と訊きたくなるほどだが、とにかく松坂のもたらす経済効果が凄いらしい(だからといってそれが理由だといいたいのではない)。

Bostonglobe によると、Boston だけの経済効果で、14 million dollars、ツアリストも例年の3万5千人+1万人は堅いと予測されている。

お土産屋さんもホクホク顔で日本人が話せる店員をひとり雇ったものの、足りずもっと必要だと喜んでいる。

ほかに寿司屋のオープン、旅行会社での日本語のレッスン、それからレッドソックスのグッズの日本への輸出、どれもが、これまでレッドソックスにやってきた大物がもたらさなかったものだという。

追伸:今日のNHK22:00からの『プロフェッショナル』は、宮崎駿の特集。偉そうなモノイイだけど、『紅の豚』から、彼の言動は評価できるようになった。それまでは彼が言う、「理想を捨てない現実主義者」ではなく、ただの「理想主義者」だと思う。「素っ裸で対象にあたるしかない」はかつて僕も口にしたことがある。

再降臨

2007-03-26 22:24:53 | 文学
卒業シーズンってのは寂しい

ただ「寂しい」のはいい。「寂しい」は、世の常であり、次のステージに進むことで、「おめでたい」同様、「芽が出る」ことに似ていると思うからだ。

でも今年のこのシーズンはなぜか悲しい。

その理由を、ブラームスの4番(クライバー)を聴きながらずっと考えていた。

そうしたらまた文学の神が降臨した。

ここのところ Jonathan Swift を読んでいた。彼のことは、Misanthrope でも書いたが、その批評家で好きなひとに、Frank Brady がいる。

その最初の1行が、「Jonathan Swift について書くのは危険だ。なぜなら彼は読者よりも頭がいいからである」。

これほど適確なのはみたことがない。Brady もいっているが、今までいくつかの論評を読んでみて、『ガリバー旅行記』の解釈の幅は広すぎる。

現代文学をポストモダンで斬るとか、フェミニズムで斬るというのではない。

いわゆる「純粋批評」という分野(まさにいいたいことを突き止める)で、1726年に発表されたものなのに近づけない。

そして多くの大家が、Impossible という回答を残して死んでいった(なかには「バカバカしい」とか「彼はうまくない」と非難するひともいた)。

僕の場合大家がいえばいうほど、その反対を持ちたくなる(「無勢に多勢」が好き!そのため社会生活では苦戦を強いられている、というかそれを自分で選びながら悲しんでいる)。

そのため「Misanthrope」にも書いたように「今までのひとはここを読み違えとるっ」と書いたわけだが、そうしたアマノジャクを続けているといいこともあるらしく(継続は力なり)、文学の神が降臨して、『ガリバー旅行記』の主題を教えてくれ、こともあろうに、僕の最近の悲しみの理由を明かにしてくれた。

ひとことでいえば、「既成の価値観に依存しすぎたとき堕落が始まる」というものだが、これを人間関係にあてはめてみよう。

人間関係は社会関係であって、友人、親子、知人、元恋人、兄弟、いろいろ括り方がある。

「親子」を例にとろう。「親」は、相手である「子」に対し、自分の子供だからとあまやかしたり、自分のやり方を押し付けたりすると、その親子関係は堕落したことになる。

今度は「恋人同士」。結婚の挨拶をするとき、「男」が結婚の許しを得るために「女」のご両親に挨拶に行くとき、その女の方が「断られてもきちんと挨拶して根性みせるのは当たり前、助けなんて求めないでガンバレ」と考えていると、「男」はやる気がなくなって壊れる(実際に途中で引き返して婚約を解消した人を知っている)。

なぜか後半の例の方が理解が難しそうだが実例だから仕方ない(僕はこの話を聞いたとき女性の方が知り合いだったので黙っていた)。

つまり秩序はゲームのルールのようなものだからその関係をホンモノにするには個として適切な行動が必要ということだ。

そしてそれをきちんとやっておけば、たとえその社会関係がカリソメのものであっても一生の付き合いに発展していく。

この卒業シーズン、悲しかったのは、そうした関係を作りたかったのにきちんと作れなかったから(この3月で配置換えされれば、何でもなくなってしまいそう)。作りたいひとだったのに。

追伸:しかしわかってしまえばこっちのもん。いつの間にやらスピーカーから流れる音楽は、ブルックナーの7番(ベイヌム)。これが聴きたくなるときは大体快方に向かっている。

将棋・スポーツ(改訂)

2007-03-22 23:48:13 | 将棋・スポーツ
今日は、今ひとつ記事数が増えないスポーツ・将棋編のNEWS。

1)まずは、桑田のいるPirates 相手に5回と3分の2を投げて、被安打1、7三振に押さえ込んだ松坂の話(Bostonglobe)。岡島と、桑田を誘って、食事に行ったそうな。なんでも松坂はずっと桑田に憧れていて、オフにはゴルフをやり、いろいろとアドバイスもしてきたらしい。桑田は通訳なしで、ずいぶんアメリカ・メディアにいろいろ説明してるらしい。一番大事なのは、「闘志」だと松坂に伝えたことが載っている。松坂のインタビューのVideo もあるのだが、これも面白かった。松坂が「根負けしないように」の「根負け」を通訳できる?と訊いて通訳は困っていたが、「闘志」にしろ「根負け」にしろ、日本野球の精神主義的なところが伺える。

 参考:松坂 MAX154キロ!メジャー初勝利(スポーツニッポン) - goo ニュース

2)続いて、羽生「永世5冠」に 大山、中原に次ぎ3人目(産経新聞) - goo ニュース

佐藤勝利ならずだが、羽生の永世王将獲得の方を賞賛すべき。

3)将棋最強ソフト 凡ミス…プロに及ばず(産経新聞) - goo ニュース

渡辺明竜王は、ボナンザに112手で勝利したわけだが、竜王と昨晩のNHK放映によると、ボナンザの凄いところは、局面に応じて、駒の重要度評価を変えられて、一局全体を見渡せるらしい。

4)深刻!? 巨人ナイナイ打線…OP戦本塁打数は最下位(夕刊フジ) - goo ニュース

昔の名前で出ていますチームだから仕方ないかも。

5) Sudoku って知ってますか?なんて説明していいかわからないので、NY Times 欄から実際にプレイできるのでそこにいってください。先日数学の専門家と仕事をすることがあってそのとき彼があまりに雑談が下手な僕に、雑談のきっかけにいくつかくれました(NY の紀伊国屋で買ったといってた)。これ、今Crossword を追い越す勢いで世界に流れてるらしいです、同記事によると。

6) Boston Red Sox のマニー・ラミレスの話(Bostonglobe)。ひとことでまとめるのが難しいが、Red Sox ファンからみると、Red Sox を出て行きたくて仕方ないくらいトレードの話があったりするが、とにかくラミレス自身が全く何の説明もないからわからない奴で、ただホームラン打ってくれればRed Sox としては嬉しい(?)ってな感じ。

未来形

2007-03-20 16:03:12 | 宗教
今あなたの一番近くにあるドアをあなたは躊躇なくあけられますか?

その向こうに動物園から逃げたライオンがいるかもしれないし、ヨボヨボのお年寄りがいてあなたが開けたドアで死んで殺人罪に問われるかもしれない。もちろんそこに500万円が落ちてるかもしれないし、絶世の美女が誰でもいいから結婚したいと探しているかもしれない。

少なくとも何がそのドアの後にいるかわからないのに、あなたはあけることができますか?

生きることは日々そのドアを開けていくことに似ていると思う。何が起こるかわからないが、あける勇気もしくはそんなこと全く気にしない鈍感さ(?)が必要だ。

その意味で生も死も変らないと考えるのが仏教哲学愛好家だが、今日は Suicide の話題ではない方向に向かいたい。

生きていればもっともっと満足したい。しかし未来は見えない。その不可知を認識すると、未来を知る手がかりがほしくなる。そして現在最も信用されている手がかりが科学だと思う(細木数子や江原なんとかさんというひともいようが)。

例えばDNA。

NY Times に、Huntington's Disease を宣告された23歳の女性の話が載っていた。多くは30代で発症し、痴呆症のようになる。

彼女の場合確実にきちんとした状態でドアを開けられる期間があと7年ということでそれに向けて準備している。

ほかにも読者投稿欄をみると、具体的に心配の内容が書かれている。

まずHuntington Disease が親族にいる場合検査を受けるようにすすめられるらしいが、それを受けるかどうかは自分が決める。その場合女性の回答で、私なら知りたいと回答するひとが多かった。

子供をつくっても7年後以降は面倒みられなくなるし、自分自身の生も保険や給料のことなど、それによる変化は計り知れない。

また実際にHDのDNAを持っていて、30代、40代を迎えているひとも投稿していた、「知ってよかった」と。知っていたから今彼女たちが過ごしている現在に備えることができた、と。

だけどこういうのをみるといつも思う。

結局こういうのは未来を知ったというより、情報ひとつによって時の流れに区画をつくることに過ぎない、と。

なんだか養老孟司が出てる朝日新聞のCMみたいだが、何かを知るということは自分が変るということだ。

過去・現在・未来の区分は、ハイデガーもいっていたが、そうした認識によって区切られる。

知ったことによって区分が出来て、うらみを持ったり希望を持ったり悲しんだり幸せになったり、する。

そして知ったことによって何かしらの感情や行動に移行したら、確実に知る前と知ったあとに時制の壁が出来ている。

そしてまた何かを知る。

例えばHDにかかるのは確実としてもそのほかに死においやられるかもしれない病や事故もあるはずだと知れば、気にしても仕方ないか、って奴も出てくる。

例えばHDによって子供をつくるのをやめると決めて自分は不幸だと思っても、ニュースで手塩にかけた子供がいじめで自殺した親がなきくずれるのをみたら、どちらが不幸かわからなくなる。

そして更に視界を広げると、所詮未来がわかったのではなく現在の気持ちにひとつの情報が作用したのだということがわかる。

英語に未来形がないのを知ったのはいつだったか忘れたが、なんだか小気味いい発見だったのを覚えている。

未来は結局「未だに来ていない」のだから表せる時制はない。ただ現在における未来への確信度や希望度は表す助動詞があるだけだ(だから自分の意志次第だ)と。

現在明かになった情報は、未来に向けて生きる現在の気持ちに彩りを与えるに過ぎない、と。

だから逆に過去についての情報が現在と未来に影響することも当然ある。

例えばこちらのNY Times には、同じくDNA検査で自分の人種が明らかになる話が載っている。

アメリカの大学の場合、人種や出身によって助成金が出るが、その助成金目当てに白人という申告を選ばなかったりすることがある。

そこに載ってる大学生は、80%がヨーロッパ、11%が北アフリカ、21%がNative Indians だという。

また、あるアフリカ系アメリカ人の女性は、奴隷制度下の時代、自分の曽祖父だったかそのぐらいのひとがそのスウェーデン人主人との間に出来たひとからつながってきていることがわかった。

こうした発見によって自分の人種欄に「アフリカ系アメリカ人」とか「ネイティブ・アメリカン」と書いたりするひともいれば、一喜一憂するひともいる。でもそれを決めるのは現在における「気持ち」の持ち方だ(気というのは持つものなんだね)。

そんなことを教えてくれる英文法が好きだ(なんのこっちゃ)。

追伸1:やっぱり自殺を止まらせる論にはならなかった(やっぱり Suicideの話になってしまった・・・)。

追伸2:中国やインドでクーラーなどに使われる冷却剤HCFF-22がオゾン層破壊に貢献(NY Times)。欧米では徐々に姿を消しているが、これからの数十年間特に中国で使われる見通し。

追伸3:いくら気の持ちようだからって、科学を完全に無視していいってわけじゃない。Bostonglobe によると、今最大の脅威は核兵器ではなくて、ナノテクノロジーなどのGNRテクノロジーで、このまま何もしないと、地球上の生物圏自体が破壊される。この9月にモントリオールで会議があるが、同記事は、世界の指導者があまりにこういう科学を知らないために防御策が講じられないと嘆いている。時代はもはや核が最大の恐怖ではない、と。

追伸4:第8976896回ブラームス交響曲2番選手権
①ワルター(NYP) ②ザンデルリング(ドレスデン) ③シューリヒト
1年ぶりにこういう順序に戻った。ボールトとバルビローリが耳障りに感じた。

Shocking

2007-03-18 21:26:41 | 雑談(ジョーク)
いつものように、ダンベルほかでトレーニングしていたら汗をかいたので上半身裸になった

黒いタイツ一枚で、更にトレーニングを続けていたら、通りがかったひとに、「江頭2:50に似ている」といわれた。  

はじめ一緒に笑ったが、その後かなりのショックが襲ってきた

<好評のジョーク集>
砂漠錯覚昼下がりの情事中身だけの男差別か区別か絵心くしゃみを我慢するとどうなるか知ってますか?、To Be or Not to Be 23幸福の木鏡の中のヨン様

粘り

2007-03-18 13:44:47 | 将棋・スポーツ
第56回NHK杯将棋トーナメント決勝は、佐藤康光棋聖が、森内俊之名人を破り初優勝、感動したっ!

佐藤というと、ひとりよがりの完璧主義で一人相撲をとっている風があった。完璧主義といっても所詮自分の枠を超えられないわけだから、自分を超える相手には通用しないのだ。

今回の森内も超える相手だった。

かなりクリエイティブな手を打つもしっかりと対応して最終的には優勢にする森内の将棋は、いつもTotalのバランスがみえていて、先日の先崎の嚢中の錐のような攻めは通用しない。

今日の決勝も序盤の打ち合いが終わった時点で、森内優勢。目先の利益にまどわされない手の取捨選択は正確で、解説者同様、そこまで考えていたかっという手を放つ佐藤をいつも上回り、うならざるをえなかった。

やはり勝てないのか・・・。

しかしこの誰もがあきらめかけた瞬間から佐藤の強みが出てくる。ダメだとわかっているのにわらをもつかむかのような手をたらす(一昨年前だったか中井広恵女流との一戦もそうだった)。

そしてそこから一滴の水が岩を砕くようにこじあける。

完璧主義というかいつも最善をつくすことが、次のステップであってほしいといつも思うが、佐藤はその成功例をみせてくれた。

彼は自分は凡人だといつも思っていると思う(結構勝ってるけど)。だからこそ尚更与えられた仕事をいつも完璧にこなそうと頑張る。

たとえそれが所詮凡人のそれであっても完璧主義を目指そうとしていれば、自分の枠が少しずつ広がると信じてる、と感じさせてくれる。

その佐藤が、今季は、森内に挑戦する棋王戦では2勝1敗で今月23日、羽生に挑戦する王将戦でも3勝3敗で今月19日とタイトル戦に名を残し、NHK杯でも、前半から圧倒する試合が多くみられた。

つまり最後のねばりだけではなく、しっかりと自分の枠を広げてきた証拠だと思う。

今日の勝因は、もちろんこの粘り強さ(Perseverance)だった。感想戦でやっていたように、直接の森内の敗因は、桂で受ければよいところを間違えて角を使ったところだったが、あれを導いたのは佐藤のガンバリだった。

とっても感動させてくれた。部屋でずっと佐藤に拍手してた。

追伸:3月21日の渡辺竜王 vs 世界最高コンピューター将棋ソフト:ボナンザも楽しみ。

Suicide

2007-03-17 15:50:21 | 宗教
自殺願望のあるひとに会った。

数日前から会うことはわかっていたから、人並みに、「生きること」を選んでもらえる説明を探していた。

どんなに頑張っても死ぬことは避けられないのがわかっているのに、「死んじゃだめだよ」とか「死んだらすべてが終わり」などという言葉は吐けない。そんな言葉しか吐けないのなら、1度目は自殺予告者を阻止してもその次は止められないはずだからだ。

そこで、生を選ぶための提言者として親鸞がいる。

その答えは、「自殺サイト:なぜ死んではいけない」(浄土真宗の有志が作っているらしい)にもある通り、「人心受け難し今既に受く」である。

親鸞の名が出てくると、宗教的色彩を感じるかもしれないがそんなことはない。

取り敢えず生が与えられたわけだから、それを大事にしよう。どうせ黙っていても死ぬんだから生を使い尽くそう。人生がたった1回しかないかはわからないが、少なくとも次回与えられたときには今生きている記憶はないし(過去に生きた記憶もないし)、今ある意識で知覚し得る、たった1回の人生に向かおう。

僕なんかはこれで十分だから、僕の人生の目的は、僕を exhaust (完全に使い切る)することに尽きて、そうしあえるひとたちと一緒にいることが、幸せなことになる。

「幸せ」は、「仕合わせ」(ひとが仕え合うこと)だからで、したがって親鸞の前提でいけばひとの幸せに隠遁生活を考えることは難しくなる。

問題はそうした考え方が通用しないひとにどうするかだ。

その方は、僕より年輩で齢40を超え、「仕え合う」人がいない(先ごろ数年の介護ののち母親を看取った)。だから、厭世観とかではなく、人生を続けていく意義を感じない、という。しかも夢を追う労力を費やす年齢ではないし(石原さんみたいにいつまでも夢があるひとばかりではない)、なにをするにも億劫な病も抱えている。

親鸞は通用しない。それが僕が会う以前に想定していたことだった。

当日お話をうかがって、更にこの自殺は止められないと思った。きちんと論理的に考えるひとだとわかったし、仕え合うひとがいなければ、僕なんかは勉強する楽しみしかないが、その方は、目を悪くしているから字が読めない。

そういう状態なら、むしろその年齢まで生きて、成功はしなかったがそれなりの挑戦もしてきたわけだし、死は明確な選択肢のひとつになる。

おそらく江藤淳さんだって、それで死を選んだのだろうから(僕はそう推測するが、ひとはそれを浅い、江藤さんにはもっとほかに理由があったといわれる)、僕にもその方の自殺をとめる力はなかった。

同席していたのは仏教やキリスト教ほかの信者のひとで、なんで僕がそこにいるのかも、どうして僕の小さな家でやるのかもわからなかったが(僕がどこにも属していないからだろう)、そんな席で僕は話を聞きながら、仏教哲学愛好者としての回答をすべきか躊躇しつづけた挙句結局いえなかった。

なぜならおそらくジャイナ教と並ぶ時代の仏教哲学で考えて、生と死は本来分かつものではなく知覚の問題といっても、「因果応報」や「神がそういった」といった説明と同じく、この方にリアリティがある説明になるとは思えなかったからだ。

また、もちろんそれが明確に生を選ぶことに直結するとも思えなかったし、むしろ原始仏教で考えたら、自殺してもいい、と考える方が「悟り」には近いし。

ただその方がその集まりにやってきたこと自体が、そのひとがその回答を求め始めたのだということは感じられた。

ホリエモン

2007-03-16 22:17:14 | 時事
堀江被告実刑、判決理由の要旨(朝日新聞) - goo ニュース

理系と文系を比べると、どんなに大発見をしても文系での場合大した銭にならないどころか、無視されれば終わりだから、文系は所詮食べていくには・・・と思っていた。が、同じ嘘でも、数字は、1は2には絶対なれないから罪になるんだね。

「好評発売中」や「これで絶対英語はモノにできる」といったフレーズは、誰かが「そんな気がする」とか「そんな話を聞いた」、ひどくなれば「オレは絶対そう思う」といえばそれで通るんじゃないだろうか。

主観と客観の差ということなんだろうけど、もともと株の売買だってある会社の業績がどうなるかという話だから、とても客観的な内容とは思えない(客観的なら経済評論家の予想はもっとあたるはずだ)。

というより、投資と賭け事は大差ないと思ってる僕にとっては、投資家が「怒り心頭」とTVで喋ってるのを見ると腹立たしくなってくる。

僕の記憶が正しければ(全然確認するつもりなし)、株式の売買は、リスクを分配するための手段として始まった。大航海時代のあと、海外との船での貿易は大きなビジネスチャンスだったが、海賊や災難といったいくつかのリスク要素があったからだ。

しかし先ごろのそれは単なる賭け事だ。賭け事に公正がないとはいわないが、「投資家」と「家」がついた名称しょってるならそのぐらいの粉飾見抜くぐらいの研究はしてほしいものだ(もうかるときには何もしないくせにただ金が入るんだから)。

別にホリエモンの弁護をするつもりはないが、メディアのホリエモン批判をみていると、なんだか一言いいたくなってくる。

それから以下の記事は何だ?

【視点】ライブドア事件 堀江被告に実刑 投資家“踏み台”に厳罰(産経新聞) - goo ニュース

同じ粉飾でも、LDは、業績が悪化する会社がするのとは違って明かに投資家をだます意図があって、とあるが、自分の生命線がかかった場合の虚偽は許されるのか。両方とも同じ虚偽だから、ホリエモンが異常なワルモノにされるいわれはない。

また売る値段と原価(必要経費)の差が大きい商品には、それなりに「騙す意図」があるとはいえないのか。その虚構部分を粉飾といわないのは、その粉飾(虚構)に金を払おうというという物好きな方がいるためだが、商売関係を健全にするには、売り手の良心だけでなく、買い手も賢くなる努力は必要だと思う(その点、先日の京都旅行はよかった)。

とにかく何がいいたいのかというと、非難するならしっかり非難しろ、できないならするな、といいたい。

追伸1:Song For Megumi in NHK

追伸2:Gallup 世論調査によると、アメリカでホテルの13階に泊まることを気にするアメリカ人は、13%しかいない、とのことだった。13が不吉な数字になったのは、悪魔のための数字とか、12が調和していてそれの次だからとか、Juda が13人目だった、とか、いろいろあるそうだが、こうした迷信で真剣に悩んでいる方がいるのがなんだか不思議な気がした。ちなみに「13日の金曜日」が騒がれ始めたのは、20世紀初頭らしいが、これもキリストが磔にされたのが金曜で、ユダの13とくっついたとか、いろいろあるらしいが、定かでない。いずれにしろ1日が日曜で始まれば、「13日の金曜日」はやってくる(今年は4月と7月、来年は6月、再来年は2、3、11月)。

追伸3:先日Disc Union に行ったら、ヨアヒム・キューンの『ボールド・ミュージック』というアルバムをみつけた。1969年の作品で、名前の通り、大胆にいろんなことを試している感じだった。今年のこれまでのCDでよかったのは、上原ひろみ。