1947年の今日は、Truman 大統領が、ギリシャとトルコが共産主義化しないために4億ドル(ギリシャに2.5億ドル、トルコに1.5億ドル)の「経済援助」を議会に提出した日(第2次世界大戦でのアメリカの支出は341億ドル)。
この演説で表明されたのが、いわゆる Truman Doctrine で、「自由」な人々を「全体主義」から守るためならという大義名分を掲げ、実際はギリシャの内乱の一方に軍事援助をし、実質上冷戦の始まりを告げたことになった(その後の朝鮮戦争やベトナム戦争の規範をつくったという意味でも significant)。
ただし当時のNY Times の記事を読むとアメリカの恐怖と必死さが伝わってくる。この9日後にいわゆる「赤狩り」も始まるわけだが、英国にはもはや援助する力はなく、国連の力も不十分だからアメリカがやるしかない、という論調には扇動というよりは人間の弱さというか限界みたいなものまで感じるのはアメリカびいき過ぎるだろうか。
興味深いのは、Truman Doctorine 発表から17年後、公民権運動真っ只中の1964年にHarper 誌に出た、こうしたアメリカの極右対外政策の心理的な説明。その心理状況が、Paranoid Policy と呼ばれた。
Wikipedia にもその論文のメインな箇所が載っているが、極右に限らず、ある種人間の不可知性を補う言葉による二項対立的な見方がもたらした短絡的なもので、結局未知が恐怖と脅威を呼んで、落ち着くべき妥協点を見出せずに暴走し、最終的に制御しがたい結果をもたらす、と書かれている。
そんなことは日常生活にもよくある。人間がふたり相対してどちらも心のうちまで理解し合っているわけではないからどうしても誤解が生じるし、一方は、他方が知らないうちにひどく懸念を抱いたり心配したりする。その懸念が暴走してひどいひとことをいったり決裂したりする。
したがって歴史上多くの戦争でも、それぞれに言い分があり、いかにそれが正当に思われるものであっても、他方から見ればひとりよがりといわれればそれまでのところがあったりする。そのため西郷さんや諭吉っつぁんがいかに朝鮮に絶望したからといってそんなことは朝鮮のひとには関係ないことになってしまう。
しかし過去は過去なんだからと、司馬さんが中心になって始めた日韓の知識人たちが行った討論は素晴らしかったから、僕も7年前アメリカに留学したとき、韓国のひとと出会ったら、あの精神で語り合おうと、アメリカに留学しているのに、韓国人との出会いを楽しみに出かけたのだが(アメリカ人は歴史討論する以前に謝ってきた、あれはアメリカが悪かったと)、実際には失望した。
僕が知己をえた韓国で有数の大学の教授とあることでもめたとき、筋がこちらにあるとみるや、いきなり「私の父(祖父だったかな?)は日本兵に殺されたんだ!」と騒ぎ、収拾がつかなくなった。その方は、当時の僕にとって祖父のような年齢で、しかもShakespeare の専門家だったから、僕はなんともやるせない気持ちになったのを覚えている。
昨日まで東北旅行をしていたのだが、そのとき何の気なしに持っていった本が、司馬さんたちの討論を記した『日韓ソウルの友情』で、おそらく8年ぶりにこの本を読んだわけだが、ソウル五輪の前という事情はあっても、この頃の知識人は双方共にレベルが高いなぁと感心した。少なくとも歴史を、過去から学ぶ、という学問としてとらえ、現在と未来に生かそうという明確な意志があった。
そういえば一応今日のBostonglobeにも、現在のアメリカは、60年前に始まったParanoid Policy の伝統から抜け出なければ、という記事が載っていた。アメリカの現在の方針は、過去に失敗した政策をとらないという前例に乗っ取ったものでしかないことを非難していることには賛成。イラク戦争で強引に行く方策で失敗したからといってほかの国(特に北朝鮮)との交渉でまで妥協する必要はない(武力推奨しているのではない)。方策はその都度、適切と思われるものを選ぶべきだ(同記事の趣旨は、先ごろBushが発表した核兵器開発計画は中ロとの兵器競争に拍車をかけることにしかならないと非難)。
追伸:今週アメリカでは、アイルランドのSt. Patrick のお祝いがなされている。かつてのアイルランド人の処遇のひどさは有名だが、Bostonglobeによると、そうした歴史は完全に過去のもので、「記憶喪失 amnesia」の問題だとあった。
この演説で表明されたのが、いわゆる Truman Doctrine で、「自由」な人々を「全体主義」から守るためならという大義名分を掲げ、実際はギリシャの内乱の一方に軍事援助をし、実質上冷戦の始まりを告げたことになった(その後の朝鮮戦争やベトナム戦争の規範をつくったという意味でも significant)。
ただし当時のNY Times の記事を読むとアメリカの恐怖と必死さが伝わってくる。この9日後にいわゆる「赤狩り」も始まるわけだが、英国にはもはや援助する力はなく、国連の力も不十分だからアメリカがやるしかない、という論調には扇動というよりは人間の弱さというか限界みたいなものまで感じるのはアメリカびいき過ぎるだろうか。
興味深いのは、Truman Doctorine 発表から17年後、公民権運動真っ只中の1964年にHarper 誌に出た、こうしたアメリカの極右対外政策の心理的な説明。その心理状況が、Paranoid Policy と呼ばれた。
Wikipedia にもその論文のメインな箇所が載っているが、極右に限らず、ある種人間の不可知性を補う言葉による二項対立的な見方がもたらした短絡的なもので、結局未知が恐怖と脅威を呼んで、落ち着くべき妥協点を見出せずに暴走し、最終的に制御しがたい結果をもたらす、と書かれている。
そんなことは日常生活にもよくある。人間がふたり相対してどちらも心のうちまで理解し合っているわけではないからどうしても誤解が生じるし、一方は、他方が知らないうちにひどく懸念を抱いたり心配したりする。その懸念が暴走してひどいひとことをいったり決裂したりする。
したがって歴史上多くの戦争でも、それぞれに言い分があり、いかにそれが正当に思われるものであっても、他方から見ればひとりよがりといわれればそれまでのところがあったりする。そのため西郷さんや諭吉っつぁんがいかに朝鮮に絶望したからといってそんなことは朝鮮のひとには関係ないことになってしまう。
しかし過去は過去なんだからと、司馬さんが中心になって始めた日韓の知識人たちが行った討論は素晴らしかったから、僕も7年前アメリカに留学したとき、韓国のひとと出会ったら、あの精神で語り合おうと、アメリカに留学しているのに、韓国人との出会いを楽しみに出かけたのだが(アメリカ人は歴史討論する以前に謝ってきた、あれはアメリカが悪かったと)、実際には失望した。
僕が知己をえた韓国で有数の大学の教授とあることでもめたとき、筋がこちらにあるとみるや、いきなり「私の父(祖父だったかな?)は日本兵に殺されたんだ!」と騒ぎ、収拾がつかなくなった。その方は、当時の僕にとって祖父のような年齢で、しかもShakespeare の専門家だったから、僕はなんともやるせない気持ちになったのを覚えている。
昨日まで東北旅行をしていたのだが、そのとき何の気なしに持っていった本が、司馬さんたちの討論を記した『日韓ソウルの友情』で、おそらく8年ぶりにこの本を読んだわけだが、ソウル五輪の前という事情はあっても、この頃の知識人は双方共にレベルが高いなぁと感心した。少なくとも歴史を、過去から学ぶ、という学問としてとらえ、現在と未来に生かそうという明確な意志があった。
そういえば一応今日のBostonglobeにも、現在のアメリカは、60年前に始まったParanoid Policy の伝統から抜け出なければ、という記事が載っていた。アメリカの現在の方針は、過去に失敗した政策をとらないという前例に乗っ取ったものでしかないことを非難していることには賛成。イラク戦争で強引に行く方策で失敗したからといってほかの国(特に北朝鮮)との交渉でまで妥協する必要はない(武力推奨しているのではない)。方策はその都度、適切と思われるものを選ぶべきだ(同記事の趣旨は、先ごろBushが発表した核兵器開発計画は中ロとの兵器競争に拍車をかけることにしかならないと非難)。
追伸:今週アメリカでは、アイルランドのSt. Patrick のお祝いがなされている。かつてのアイルランド人の処遇のひどさは有名だが、Bostonglobeによると、そうした歴史は完全に過去のもので、「記憶喪失 amnesia」の問題だとあった。